自分の気持や感情を言葉で十分に説明できないと、“キレる”ということになる。反対に意味、実質のない言葉ばかりをダラダラ垂れ流していては道徳や倫理が壊れる。言葉は大事。文化庁ご発案の“打ち言葉”ってなんなのよ。
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◆『STANDBY』2018年3月6日配信
【文化庁がネット俗語を「打ち言葉」と分類 ネットユーザーも納得】
《 文化庁の文化審議会国語分科会が、SNSやメールなどで使う独特な言葉を「打ち言葉」と表現し、ネット上で話題となっている。
文化庁は3月2日、文化審議会国語分科会で進めていた「コミュニケーションの在り方」及び「言葉遣い」についての検討結果を取りまとめ、「分かり合うための言語コミュニケーション(報告)」として発表した。
報告では、言語コミュニケーションの種類には「話し言葉」や「書き言葉」があるが、電子メールやSNSなどでのやり取りは、“文字に表すという点では書き言葉に入る”としながらも、一回のやり取りで交わされる情報量が少なく、“話し言葉の要素を多く含む”と指摘。そして、これらのキー入力を伴う新しい書き言葉を「打ち言葉」と表現したのだ。
具体的には、顔をデザインした絵文字や「おk」「うp」などのローマ字誤変換を由来とするネット俗語などが「打ち言葉」になるとのこと。また、文部科学省が実施した平成27年度「国語に関する世論調査」によると、「おk」や「うp」のようなネット俗語は、10代の5割以上が「使うことがある」と回答しているが、50代以上では「見たことがない」との回答が6割を超えており、その認知度には世代間ギャップがあるようだ。
今回新たに生まれた「打ち言葉」という呼び方。Twitterでは、
“『打ち言葉』とか言ってる時点で何も理解してなさそう。 ”
といった批判的な声もあったが、
“打ち言葉】 さすが国語分科会 d(^_^o)ソレ伝わるわ ”(原文ママ) “これ面白い、絵文字も打ち言葉(ネットスラングの類い)も確かに情報伝達には一役買っているわけで…新たな言葉として認めるのは、言語学の世界が柔軟であることの証なのかも。” “「打ち言葉」って初めて聞いた。まぁ意味はよくわかる。 ”
などと、的確な表現だと納得するネットユーザーも多い。また、
“おkや絵文字は「打ち言葉」という表現になったみたいですね! 呼び名があるとわかりやすいですが、硬いですよね(笑) ”(原文ママ)
との意見もあり、砕けた俗語を指すわりに、「打ち言葉」という表現そのものが砕けていないと感じるユーザーも。
時代に合わせて変化していくのが言葉というもの。今後は「打ち言葉」がもっと身近な存在となっていきそうだ。》
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“打ち言葉”、ねえ。外人がメチャクチャに真似する日本語みたいでカクカクしていていいづらい。“ネット言葉”ではダメなの? と思ったりしたが、そうか、書き言葉、話し言葉、とくればここはフォーマットをととのえて行為で表現したいわけか。でもって“打ち言葉”か。
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その「分かり合うための言語コミュニケーション(報告)」をざっくり見てみると、コミュニケーションに関する一般論がほとんどで、残念ながら“打ち言葉”自体の分析はされていない。書き言葉、話し言葉とは違う構造的な特色が指摘されているのかと期待したのだけれども。
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“打ち言葉”は、構造的にはセンテンスが短い、とか一人称の主語がない、体現止めがきわめて多い、という顕著な傾向がまずある。
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これにさらに不特定多数の目にふれる、インターフェイスが掌サイズ、というこれまでには見られなかった特徴もある。これらがコミュニケーションをどう変化させているか、ということにおおいに興味がある。
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最近、ある知り合いの話が急に大きく飛ぶようになり、しかもしばしば主語が省略されていて、ときどき把握できなくて困る。これは話し言葉への“打ち言葉”の侵犯なのであろうか? ただそいつがボケてきただけのお話なのであろうか?
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“打ち言葉”は文字数が制限されているので極端に縮減された表現が頻出し、これが同時に仲間内のスラングを生む。学生時代に4、5人でまったり共同生活を送ったことがあって、そのときには10日ほどで新しい言語が生まれた。ふつうに話せばいいのにふざけてばかりいたから。
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たとえば「ボサンガッツ」は「おまえが憧れているあの彼女はおまえとはまったく合わないタイプの女だ」という意味であった。ここから「メシガッツ(メシがまずい)」といういい方が生まれ、さらに「ガッツボサン(ムダだから止めておけ)」と発展する。
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もちろんこんなくだらない冗談の寄せ集めが定着するはずもなく、新しい言語とはたいへん大袈裟で面映い限りであるけれども、人工知能同士で会話させたらまもなく知らない言語で話しはじめた、とかいうグールグルの噂に脅える必要もない、とはいえる。言葉はそのようにふにゃふにゃと簡単に変化する。
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むかしむかしそのむかし、パソコンでメールをやりとりしはじめたころには、これで私的なやりとりはよほど親しいあいだでなければムリだと感じていた。それほどイラッとすることが多かった。
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ただ単純にだいたいのことは電話ですませていて手紙、私信を書くという習慣をいったん放棄してしまったあとだったからなのかもしれないけれども、しかし書店にはメール用定型文だの文例集だのハウツー本が溢れていたから、メールに手こずっていたのはたぶん私だけではないと思う。
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いま思えばあの不思議なくらいのイラッとしかたはなんだったのであろう? 相手の一言一句に神経がケバ立つ感じ。もちろん原因はようやくなんとか使いこなせるようになったパソコンというツールが介在することにあっただろう。
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電話のように声のトーンや間、息づかいで相手の感情を読み取ることができない、さらにほとんど面識のない相手とも交信する機会が増える、ということで、結局は情報不足、コミュニケーションの土台が築かれていなかった、ということなのかしらん。
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で、ようやくなんとか使いこなせるようになったパソコンに向って、まーだ逆らうのかこのやろう!! みたいな感じになる。お話の内容はネットの向うにいる相手が書いているとは十分承知しているのだけれども感情的な錯覚が生じる。
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またどのようなメディアが介在するのであれ、本来言葉によるコミュニケーションは、身振り手振り、見た目、目配り、匂いなどのノンバーバルコミュニケーションの上位に位置し、ときにはダメ押しのようについてくるものだったはずである。とくに日本人同士の場合。
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「愛してるって1日1回はいうようにしています」などとニヤけている男が散見されるけれども、そんな習慣は日本にはなかったのである。身近に、というか一緒に暮らしている相手のようすからでさえ確信を得られないというのは、日本人として鈍っているということなのである。
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まあともかく、そういう土台が一切合切ごっそり省かれての舌足らずな“打ち言葉”はコミュニケーションをどのように変えていくのでござんしょ。たとえはたいへん悪いけれども群の内部だけで通用する動物の遠吠えみたいなもの、つまり言葉のフリはしているけれども限りなくノンバーバルなコミュニケーションに近い、な気もしてくる。
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“打ち言葉”というより“ウチ言葉”。ときどきジャングル太鼓。おk?(了)
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