2017年4月24日月曜日

AVパッケージは団塊の世代が産み育て、そしてともに消えてゆく



風間ゆみというAV女優、セクシー系女優、艶系女優をご存じであろうか? それにしてもどうしてこう次々に新しい呼称が発明されるのであろうか? つかい分け、細かなジャンル分けのルールがあるのであろうか? “セクシー系”は比較的若く、“艶系”は人妻・熟女タイプという感じは受けるけれども、しかしだからといってそう決まっているわけでもないらしい。



AV女優、セクシー系女優、艶系女優のなかからひとつを選べといわれれば、風間ゆみはやはりAV女優である。“アダルトビデオ女優”ではなく“エーブイ女優”。私にとってエーブイ女優のナンバーワンは風間ゆみである。家電量販店で「AVコーナー」というバナーを目にすれば「Audio & Visual」の前に“エーブイ”が、そして風間ゆみが昏〜い脳裏に浮かぶ。



Wikipediaによると風間ゆみは現在38歳である。1997年に「九鬼」というメーカーからデビューしている。このとき18歳の計算になるからとうぜんこれ以前のキャリアはない。だが明快すぎて性格が歪んでいる私は少し疑っている。



そんな風間ゆみのキャリアで強く印象に残っているのは2000年6月にスタートした日本初の無修正アダルトサイト「JP-Express」でのご活躍である。宅配便を配達していたわけではない。あちらは「JPエクスプレス宅配便」で2010年に日本郵便の「ゆうパック」に統合されている。顔の汚い松本人志(53)である。汚い顔で「タウンワーク」のCMもやっているので、「ゆうパック」で見るたびたまには別のバイトもやればいいのに、と思ってしまう。



ともあれ風間ゆみ20歳、しかも日本人離れをしたダイナミックな、ひときわ目をひく美貌でまだ“裏”と呼ばれることの多かった無修正のビデオだのデジタル写真集だのに出演していたのである。しかもその「JP-Express」でも最初期のモデルであったからインパクトは強かったっす。それゆえたぶんこの人も早々にどこかの闇へ消えていくのだろうなあ、という不安も抱いていた。



しかし消えるもなにも、こちらが飽きっぽく、気がつけば「JP-Express」が経営不安定になっていたりして、その後についてはまったくどうなったのかわからなくなっていたのである。おお、たぶん「JP-Express」での風間ゆみの作品は5点しかない、と中華系のアダルトサイトがいま教えてくれたっす。なんというのか、こういうのを草の根交流というのか。



それから約10年、私はいったいなにをしていたのであろう? ほとんど記憶にない、気絶していたような月日のあとたまたま通りかかった“表”のアダルトサイトで風間ゆみのお姿を拝見したときには驚いた。どこかの闇へ消えていくもなにも、ゴージャスなマダムキャラやなんかで“表”の世界のトップAV女優であり続けていたのである。うれしかったのう。



さらにとんでもはっぷん!! Wikipediaによると編集ものを入れると1200点もの風間ゆみ作品があるらしい。毎日1本ずつ観て3年以上かかる。というよりWikipediaの作品リストで指折り数えると、ピーク時の2007年にはなんと年間約100タイトルが発売されているではないか。モーレツ立派なお仕事ぶりにアタマが下がる。それにひきかえ私はまだついつい自分中心にモノゴトを考えてしまう若造である。



最近の風間ゆみはすっかりふくよかになり、その広い胸板はときおり天龍源一郎(67)を思い起こさせたりするけれども、おしあわせそうでなによりである。誰かこの世のなかに風間ゆみ作品をコンプしているヤツはいるのであろうか?  もしかすると中華圏におられるかもしれない。草の根交流したい。こんなことで私のAVは風間ゆみである。もちろんアダルトビデオの歴史はもっと長い。



Wikipediaの「アダルトビデオ」の項に実にわかりやすい解説があってスッキリした。



《日本では1969年12月、電機メーカー各社が統一規格による「カセット」方式のビデオテープレコーダーを市販する。これをU規格と呼ぶ。そして、当時販売されたソフトの9割はポルノ映画であった。ただし、これはビデオカメラで撮影されたものではなく、ポルノ映画をビデオに落とし込んだものである。また、ビデオデッキの受け入れ先も、ラブホテルや当時大流行していたモーテルなどであった。

—〈略〉—

1975年にベータマックス(ソニー)が、1976年にVHS(ビクター)が発売されると、1981年に「日本ビデオ映像」から発売された『ビニ本の女・秘奥覗き』と『OLワレメ白書・熟した秘園』が発売された。 1981年に一般家庭へのビデオデッキ普及率が10%を突破すると、次第にアダルトビデオも普及し始め、映画用のフィルムカメラを用いた大がかりな撮影システムが必要なく、重量20kg程度のビデオカメラが開発されると、参入障壁の低さから制作に参入する小企業も出現した。

代々木忠による1982年の『ドキュメント ザ・オナニー』シリーズの第一弾『主婦斎藤京子の場合』が8万本のセールスを記録し、アダルトビデオブームが起こり、1983年のビデオカタログには、90社ものAVメーカーが掲載された。また、当時、一部のラブホテルではビデオカメラとビデオデッキを設置した客室があり、カップルが自らの撮影してそれを観賞して楽しむことができたため、その映像が流通することもあった。》



さすがにU規格のビデオカセットはまったく記憶にないけれども、ベータとVHSはもちろんわかる。で、このベータだかVHSだかのビデオカセットデッキの販売促進のために、街の電気店では某女性歌手の裏ビデオをオマケにつけるがこと多かった、という話を聞いたことがある。実力派のポップス系シンガーであったのだけれどもこれが原因で引退同然に追い込まれた、というまことしやかなウワサである。



「一般家庭へのビデオデッキ普及率が10%を突破すると、次第にアダルトビデオも普及し始め、映画用のフィルムカメラを用いた大がかりな撮影システムが必要なく、重量20kg程度のビデオカメラが開発されると、参入障壁の低さから制作に参入する小企業も出現した。」とされる1981年をアダルトビデオ元年としよう。



翌1982年には早くも「アダルトビデオブームが起こり、1983年のビデオカタログには、90社ものAVメーカーが掲載された。」のだからスゴい。スゴいなあ、この爆発力。たいへん前置きが長くなったけれども、ここからが今日の本題である。



アダルトビデオのこんなにスンゴ〜ぅい爆発力を出現させたのは1945年〜1947年生まれの団塊の世代である。アダルトビデオ元年の1981年にはだいたい34歳から36歳になっている。約810万人もの巨大な壮年期入り口の男女の群れである。こう書くと実にそれっぽいのう。



で、1980年代の景気は右肩上がりでついでにバブルなんかもあったりして、団塊の世代はガンガン働き、ガンガンAV産業を育てたのである。消費者として、また産業従事者として。でもってそんな調子がよかった日本経済が失速した1991年には44歳から46歳、そこから失われた10年、20年を潜れば団塊の世代はもう定年満了ですよ、みなさん。この間もきっとAVを観つつ頑張っていらっしゃったのであろうとは思うのでありますけれども。



でもって本日ただいま、団塊の世代のみなさんはだいたい68歳から70歳。ジイサンは相変わらずときどき家族に隠れてアダルトサイトを覗いたりしているはずである。オトコは死ぬまで気分だけは現役なのである。



で、ここへきてまた決定的な変化が起こりつつある。アダルトビデオのパッケージソフトが徐々に消えようとしているということである。そのうちネット配信がとって替わる。「ナイスですね〜」の村西とおるは1994年にアナログ方式のCSテレビに参入したときに「エッチが空から降ってくる」といったけれども、残念ながら「エッチは線を伝ってやってきた」のである。こっちのほうがなにか気分が出て馴染みやすいではないか。



村西とおる、1948年生まれの68歳である。団塊の世代の1学年下。この「エッチが空から降ってくる」と思ったところが団塊の世代の限界、ということもできるのではありますまいか、といいたいわけである。ときはちょうど失われた10年とか20年とかに入ってから3年目。なにがちょうどなのかよくわからぬけれども。



とにかく、1990年代に入って団塊の世代はガックシとパワーダウンしてその後再び経済の牽引者として大活躍の脚光を浴びることはなかったのである。注目されるのはその購買力だけ。つまりアダルトビデオのパッケージソフトは団塊の世代によって産み育てられ、団塊の世代とともに消えてゆくのである。



団塊の世代はアダルトビデオのパッケージソフトをこそ、おのれの存在の証しとして語るべきなのである。みなさんも団塊の世代といえばアダルトビデオ、しかもパッケージソフトと憶えておいていただきたい。別に団塊の世代に恨みがあるわけではない。イヤなヤツはどこにでもいまそかる。(了)


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