2017年4月6日木曜日

たしかにいまや“不倫は文化”である。もっと頑張れ渡辺謙!!



やっぱり不倫は文化なのである。ちょっとコレを見ていただきたい。『サイゾー』(2017年4月5日配信)、【「離婚の可能性はゼロ」渡辺謙の不倫問題、大物が“異例の火消し”に乗り出したワケとは】からの抜粋だ。



《3月30日発売の「週刊文春」(文藝春秋)で21歳年下の元ホステスとの不倫疑惑を報じられた俳優の渡辺謙だが、報道を受け、大和証券はホームページから渡辺が出演するCM映像をすべて削除した。

CMは、テレビでは3月31日まで一部で放送されていたが、一部スポーツ紙に対し同社は、報道とは関係なく4月1日から新素材に切り替えることを説明したものの「事実関係を確認中ですが、報道を受けHPの映像は削除しました」と矛盾したコメントも発表している。

「金融商品はお堅いイメージが大切なので、スキャンダルが出たらアウト。同社がHPから削除したのも納得できる。渡辺が長年、CM出演しているヤクルトは、契約自体は継続するだろうが、テレビCMは流さないのでは? いずれにせよ、今後しばらくは、渡辺に新規のCMオファーはないだろう」(広告代理店関係者)

さらにタイミングが悪いことに、31日に娘で女優の杏が第3子を妊娠していることが公になった。不倫スキャンダルについて沈黙を保ち続けている渡辺は、自身のSNSで娘を祝福することすらできなかった。

 —〈略〉— 》



渡辺謙の不倫の影響について、まるで前夜のプロ野球結果を報じるかのようにのんきな調子のタイトルで淡々と記している。このフラットな感じ、朝の食卓にも似合いそうである。



かつて石田純一(63)は「文化や芸術といったものが不倫という恋愛から生まれることもある」と語り、それが“不倫は文化”というフレーズ(=サウンドバイツ)に切り取られて一世を風靡したことがある(1996年、Wikipedia)。



このときの石田純一の“不倫”とは明らかに個人の実行行為を念頭に置いているのだけれども、それをいきなり文化だ芸術だという社会全体のあり方に結びつけたところに違和感が生じた。不倫という実行行為がそのまま文化になるのであれば乙武洋匡(41)などは文化大魔王ではないか。



実行行為としての「不倫という恋愛」が「文化や芸術といったもの」を生むには、必ずなにがしかの作品に反映され抽象化され評価され、それが多くの人々に受け容れられなければならない。このハシゴ段を一気に何段も飛ばした短絡が身勝手、厚かましさと受け取られて石田純一は総叩きに合う。なんだかチカラが入っておるのう。



ともあれ、「文化や芸術といったものが不倫という恋愛から生まれることもある」という発言が“不倫は文化”とバッサリ切り取られたことに石田純一はいまでも不満らしいけれども、ほんとうは実に的を射た、石田純一のアタマのなかを忖度した要約だったのである。



で、今回の“不倫は文化”説は、以下の3つの謎を考えると自然とそこに行き着いてしまう、れっきとした“文化”なのである。不倫すなわち現代日本が生んだ新しい文化なのである。



1)イケないことなのに、なぜ女はそれをお受けするのか?

2)イケないことなのに、なぜ男たちは性懲りもなく繰り返すのか?

3)他人の不倫騒ぎはなぜこんなに楽しいのか?



順番に見てみよう。



1)イケないことなのに、なぜ女はそれをお受けするのか?

日本では社会生活における主導権を男が握っているからである。是非善悪は別にして日本で一生を不足なく暮らしていくにはどこかで男に頼らなければならないようになっているし、それはまったく変わる気配すらない。であるから女はつい既婚男でもその甘言に釣られてしまう。逆にいえば既婚男が結婚を餌に女を口説くなどとはもっともゲスなやり口である。もとい。そういう社会の特質がまず不倫の背景にある。



2)イケないことなのに、なぜ男たちは性懲りもなく繰り返すのか?

ゲームだからである。バレなきゃいいじゃん、てなものである。社会もありがちなこととして片付ける。しかし不倫関係が破綻したとき、女のほうはそれまでに費やした時間とかつての人間関係を失っている。元の私にして返せ!! である。これの償いができるのか? と不倫に走る前に考える男はきわめて少ない。ゲームなのである。

もうひとつ、男からすると若い女の視線でものを見ることがヤケに新鮮な場合がある。らしい。とくにアタマのいい愛人をもつと、社会の見え方が違ってくる。らしい。仕事にも大きなプラスになることもある。らしい。でもって、いままで仕事ひと筋のトーサンだってたまにはブンガクについて語りたいときもあるらしいのよ。らしい。女房はバカにして聞いてくんないのよ。でしょ。いやいや冷静になろう。これらのことはすべて不倫関係にならなくても実現可能である。



この不倫はゲームというような軽薄な感覚は、『サイゾー』の記事の続きにもよく現れている。



《 —〈略〉—

そんな中、今月4日発売の「女性自身」(光文社)に、所属事務所・ケイダッシュの川村龍夫会長のコメントが掲載された。川村会長は、渡辺と妻・南果歩について「離婚の可能性はゼロですよ。彼は事態をきちんと収拾できるはずです」と説明。前妻との離婚訴訟の最中に同事務所に移籍したことを振り返った上で、「私は彼の苦悩や憔悴ぶりをつぶさに見ています。あんな苦労を再び背負うわけがない」と渡辺の胸中を代弁。「まず果歩さんに謝ることでしょうね。すべてはそれからです」とアドバイスした。

「渡辺は1日までに帰国している。川村会長と今後の対応について話し合いを重ねているようだが、6日には文春最新号が発売。それを踏まえた上での対応になりそう。川村会長としては、自分が渡辺を擁護すれば、これ以上、渡辺に対してネガティブな報道が出るのを避けられると判断し、自ら“防波堤”になるべくメディアにコメントしたのでは?」(週刊誌記者)

川村会長ほどの大物が「離婚はない」と断言したものの、いまだにコメントしていない南の胸中やいかに――。》



「私は彼の苦悩や憔悴ぶりをつぶさに見ています。あんな苦労を再び背負うわけがない」と胸中を代弁されるくらいなのであれば、渡辺謙、まずは軽々しく妻以外の女には手を出さないことではないか。身勝手すぎる。



3)他人の不倫騒ぎはなぜこんなに楽しいのか?

人の失敗は楽しい。人の不幸は蜜の味。しかもたとえばテーブルゲームでサイコロを振ったところそれがゲーム盤から外へ飛び出してしまって3回休みのペナルティを食らったような、ゲームの本筋とはまったく関係のない失敗なのであるから間抜けでおかしい。

さらにもっと俯瞰して見れば、不倫発覚によってそれまで優勢にすすめてきたゲームを一瞬にしてチャラ、なしにされてしまうこともありうる。これは負けが込んでいたメンバーにはたまらなく嬉しいのである。調子に乗りやがってザマー見ろ、である。このバカチンが!!(by武田鉄矢) である。どれだけ囃し立てても悪いのは本人だし。



仮に不倫がバレて男が表舞台から消えたとする。それで社会はひとり有能な人材を失ったのかもしれないのだけれども、それに引き換えて十分なくらいに他人の不倫騒ぎは楽しい。どんどん不倫をしてバレていただきたい。「子どもを欲しがっていた」(by浜松恵)とチクられるくらいに赤っ恥をかいていただきたい。




うむ。だがかしかしこれらの多くはあくまで男の感覚であって、お嬢さま方にとって不倫は無条件にかなり不快な話なのである。それは1)の事情による。一生を大過なく送るためのよりどころである結婚が脅かされるのであるから、怒りを覚えて当然である。



民草の不倫はまた事情が異なるけれども、不倫、厳密にいうと有名人の不倫とその報道は日本の文化である。額縁に入ったエンタテイメントとしての“不倫”である。世間のチカラで作品化されている。私としてはここでさらにひとつキメ手として、日本の文化を大切にする安倍晋三総理(62)の名前が“不挙がってくることを期待してやまないのである。時代を逆行させるようでとてもよく似合うし、みんなも楽しいし、ありえる(not The Little Mermaid)。(了)


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