久しぶりに筒井康隆(82)の名前がマスコミに登場した。と思ったら、けっこうな物議を醸していた。『朝日新聞デジタル』(2017年4月7日配信)の、【筒井康隆さん、慰安婦像への侮辱促す?「炎上狙った」】である。とりあえずご紹介しよう。
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《 作家の筒井康隆さん(82)が自身のブログなどで、韓国の慰安婦像に侮辱的な行為をするよう呼びかけるようなことを書き、国内外から批判の声が上がっている。
4日付のブログの投稿で、帰国していた長嶺安政・駐韓大使が韓国に戻ることに触れ、「慰安婦像を容認したことになってしまった」と指摘。慰安婦像の少女を「可愛いから」と述べたうえで、性的な侮辱表現を続けて使った。公式ツイッターも同様の内容を発信したが、つぶやきはすでに削除されている。
筒井さんは朝日新聞の取材に対し、「あんなものは昔から書いています。ぼくの小説を読んでいない連中が言っているんでしょう。本当はちょっと『炎上』狙いというところもあったんです」と明かす一方、「ぼくは戦争前から生きている人間だから、韓国の人たちをどれだけ日本人がひどいめに遭わせたかよく知っています。韓国の人たちにどうこういう気持ちは何もない」とも話している。
筒井さんはこれまで、社会的なタブーをあえて破る表現で論議を起こしてきた。今回のブログやツイッターに対し、ネット上では「筒井さんの作風」と擁護する声がある一方、「セカンドレイプにしか受け取れない最低な発言」「不謹慎の方向がおかしくなっている」「『下劣』としか評しようがない」などと批判が上がった。韓国紙の朝鮮日報日本語版も「衝撃的な妄言」などと批判している。
筒井さんは過去には、教科書に載った小説「無人警察」のてんかんに関する記述が、「差別を助長する」として日本てんかん協会から削除や訂正を求められたことに反発。「自分はブラック・ユーモアの文学的伝統を守ろうとしている」などと反論、1993年に「断筆宣言」をしたが、約3年後に断筆を解いた。》
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ふうん。ではその問題の筒井康隆の4月4日付ブログ「笑犬楼大通り 偽文士日碌」も覗いてみなければなるまい。
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四月四日(火)
「コレクション・六」の校正を終える。日下三蔵が次つぎと発掘してくるので、いつまでも終わらないから困る。今日は「後記」を書き、ゲラと共に発送。
長嶺大使がまた韓国へ行く。慰安婦像を容認したことになってしまった。あの少女は可愛いから、皆で前まで行って射精し、ザーメンまみれにして来よう。
午後三時、わざわざ神戸の自宅まで、角川書店の郡司珠子が来宅。一時間ほど仕事の話。おみやげは「いいちこスペシャル」。
体調不良である。三日前から咳が出ていまだにおさまらない。明日は山崎医院へ行くとしよう。ついでに睡眠薬も貰おう。以前貰った睡眠薬は「評判がいいですよ」というので貰ってきて服用したものの、どうやら睡眠導入剤ではなかったらしい。なかなか眠れず、しかたなしにもう一錠服んだら滅茶苦茶エロい夢を見続けた。ははあ評判がいいというのはこれか、などと思ったものだ。残りの錠剤を「わしには合わぬから」と言って返すことにする。
これを読んで面白がって服用するやつが出るとよくないので、錠剤の名前は書きません。
サンクトペテルブルクでえらいことだ。わしが行ったエルミタージュのすぐ傍ではないか。おそろしや。
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まあしかし、こんなことを書けば顰蹙を買うのはあたりまえである。でもなぜ書いてしまったのかといえば、『朝日新聞デジタル』でのインタビュー「本当はちょっと『炎上』狙いというところもあったんです」は強がりに違いない。炎上するかもしれないなー、でもそれでもまいっか、というくらいのところであったろう。なにより炎上させてどうこうしようという目的意識が見られない。
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なぜ書いてしまったのか? 答えは筒井康隆自身が語っている。「あんなものは昔から書いています。ぼくの小説を読んでいない連中が言っているんでしょう。」。オレがむかしから書いている“あんなもの”を読んでいないでキーキーいっているオマエらがおかしい、といっているわけである。傲慢大将である。
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しかし傲慢だからというよりも、筒井康隆、ファンサークルのなかでだけで生きている自分の現状を見失っているのである。と思う。であるから筒井康隆のなかでは、オレが書くのだからとわかってくれるはず、通用するはず、だったのである。回りくどい? 世間は筒井康隆が想像しているより遥かに広くすばしっこい。ネットの情報拡散力、浸透力をまったく見くびっている。
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それにネットは世界を相手にしているということにもたぶん気が回っていない。国内でだけ流通しているのであればどれほどキツいブラック・ジョークでもひき起す騒動の規模は知れている。しかし今回は韓国という相手がいる話である。それをネットで、すなわち国際舞台でぶっ放しているのである。韓国をネタにして日本人相手にジョークをかましているつもりでいたらしっかり韓国人にも、ほかの外国人にも聞こえていたのである。想定外だったはずである。そりゃ慌てる。
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ネット上で何かを発言するというイメージは、私の場合、たとえば果てしない荒野いっぱいに走り回っている無慮無数の車の群れを前に、とりあえず手描きの看板を首からぶら下げて突っ立っている感じである。だあれも振り向いてもくれやしねえ。しかしわずかでもミスをおかすと、どうやって知ったものか近くを走っていた車がいきなり急停車。いっせいにクラクションを鳴らして猛抗議、ヤリ玉に挙げられ吊るし上げられ、状況次第では抗議のクラクションはさらに燎原の炎のごとく広がり……。そんな感じ。
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“わずかなミス”というのは違法脱法、不道徳不謹慎のたぐいではなくて、私の場合、伝えたいことが上手く書けなかった結果から生じるのであろう。たぶん。だっていいヤツなんだもん。延々と屁理屈をこねてばかりでも詰まらないし冗談が好きだし、なのでよくくだらないギャグを文章に挟んだりする。ミスをおかしやすいのはたぶんここである。いつもキンチョールである。
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ギャグやジョークを成立させるには、まず相手と自分とのあいだに、その事柄についての共通の認識・イメージ・意見が土台としてなければならない。というか、ほとんどの場合は共通なところに納まるようにイジる範囲を調整する。ブラック・ジョークならそこのところはなおさら慎重に推し測って微細に調整する。
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そしてギャグやジョークはいわば行間を読ませる作業でもあるので、ほら、いわなくてもわかるでしょ、くらいの距離、少なくともツーカーの距離にまで相手を近くに捕まえておかないといけない。
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たとえば差別についていえば、差別は誰の心のなかにもある、差別をするのはもちろんいけないけれども自分のなかにある差別には目をつぶってそれを一方的に糾弾するのも滑稽だ、というのが筒井康隆が土台とする認識・イメージ・意見だと思う。
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慰安婦の少女像については、かつて日本がそうした暴虐を行ったことに間違いはない。しかしいまさらそれを世界に喧伝するように眼前に突きつけるとはいかがなものか。その記憶は日本人にとってもいまだ痛みをともなう大きな傷口となっているのに。だいたい戦争やいくさのたびにそんな銅像を建てていたら世界中が銅像だらけになってしまうではないか、といったところであろう。
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そうした認識・イメージ・意見の数々を共通の土台とする狭いファンサークルのなかに筒井康隆はいるのである。なのに広い世間にもそんな了解が一定の割合存在していると勘違いしてしまったのである。もしかするとかつてはそういう時代、筒井康隆が広く知られていた時代もあったのかもしれないけれども、いまは違う。
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それから、これはちょっちのついでになる。『朝日新聞デジタル』に筒井康隆の「自分はブラック・ユーモアの文学的伝統を守ろうとしている」という言葉が紹介されている。しかしひとこといわせていただければ「ブラック・ユーモアの文学的伝統」という場合のブラック・ユーモアと、ブラック・ジョークとは違う。
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ブラック・ユーモアが人間の普遍的、不可避的なおかしさを扱って深く考えさせるのに対して、ブラック・ジョークはもっとずっとジャーナル的であり、おかしさも神経反射的である。微妙なところだけれども、「無人警察」はブラック・ジョークの範囲だったと思う。
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たとえば
大戦が終り戦争犯罪を裁く法廷に証人として連れてこられた老婆がずっと笑ってばかりいるので、裁判官が見かねて
「あなたはご家族の全員を殺されたのに、そしてその犯人たちを目の前にしているのに、どうしてそうやって平気で笑っていられるのですか?」
と聞くと
「すみません。私の顔はあの日から、夫や子どもたちが目の前で殺されたあの日からこんなふうに笑ってしまって、どうしても元に戻らないのです」
と答えた、というのがブラック・ユーモアである。
ブラック・ユーモアであるけれども、同時に戦争の悲惨さを物語る痛切な悲劇でもある。
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ともかくまあ、こんなようなことで筒井康隆がなぜ「あの少女は可愛いから、皆で前まで行って射精し、ザーメンまみれにして来よう。」と書いたか、私が考えるところはおわかりいただけたであろうか?
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おわかりいただけた? ホント? うむ。しかし私の正解はもうひとつあるのである。すまんのう。いままでの解は厳密にいえば書いて発表するにあたっての判断に関するものであり、これから述べる解は書いた動機そのものに関するものなのである。「書く」とか書いてきてゴメンネ。
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前掲の4月4日付ブログ「笑犬楼大通り 偽文士日碌」の後半に、医者から評判がいい睡眠薬というのを貰ってきて服用したけれども効果がなく、「しかたなしにもう一錠服んだら滅茶苦茶エロい夢を見続けた。ははあ評判がいいというのはこれか、などと思ったものだ。残りの錠剤を「わしには合わぬから」と言って返すことにする。」というくだりがある。
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さて、この記述は慰安婦の少女像をネタにしたブラック・ジョークの不道徳さへのエクスキューズとして意図されたものであろうか? なにぶんエロい妄想に駆られていたので……。たぶんそうだろうと私は思う。医者が薬を面白半分で患者に渡すわけがない。医薬分業だし。「これを読んで面白がって服用するやつが出るとよくないので、錠剤の名前は書きません。」というとってつけたような一文も屋上屋を架す、ウソの上塗りで墓穴を掘るの態である。
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しかしエクスキューズのつくり話なのであろうけれども、私のもうひとつの正解は、筒井康隆、なにがしかの薬のおかげですっかりサカリがついてしまった、というものである。少なくとも夢精だけは事実。勝手にそう決めつける。筒井康隆がそう読んでくれ、色ボケしたと読んでくれといっとる。
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可愛いから抱きついてキスしてこよう、くらいの悪ふざけなら理解できるけれども、いくらなんでもいきなり“射精”とか“ザーメンまみれ”とかが出てくるとはつくり話でも尋常ではない感じがする。するだろう? かけてやったぜ!! なんておかしいだろ? 相手は銅像なんだぜ!!(byスギちゃん)
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つまり筒井康隆、2錠目を服んだか服まぬか滅茶苦茶エロい夢を見続けているあいだに夢精してしまったのである。その体験の衝撃が、慰安婦の少女像をネタにしたブラック・ジョークを書かせたのである。それでなくてあなた、どうして82歳のジジイが“射精”とか“ザーメンまみれ”とか嬉々として書き記すであろう? それにしても82歳。いつまでもいつまでも男子はメンドくさいものらしいのう。
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筒井康隆、思いもよらぬ夢精の衝撃と歓びをなんとかファンと分かち合いたかったのである。けれどもそこで思いついてしまったのが慰安婦の少女像という次第だったのである。いや最悪・最暗黒の場合、夢精時の、夢のなかでの相手が慰安婦の少女だったとさえも考えられるのである。
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そして思いつきにせよ実際に夢精の相手だったにせよ、どうして慰安婦の少女像がここに登場してくるのかは、筒井康隆のこころの深〜い深〜い闇の底にまで潜ってみないとわからないのである。いやだ。潜りたくない。
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ああ、そういえばこの私にもむかしむかし夢精の経験がホントに一度だけあり、その相手は小山ルミ(64、ロサンゼルス在住)であった。小山ルミ、夢の人である。さらば。(了)
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