2018年1月26日金曜日

キムタクが役者で生き残っていこうとするなら、まず悪役しかない



木村拓哉主演のドラマ『BG~身辺警護人~』(テレビ朝日)について、つくりが酷い、もうキムタクをカッコよく見せる目的でドラマや映画をつくらないほうがいいのでは、そしてキムタクは悪役をやるべき、というご意見をいただいた(1月24日付)。



たしかに考えてみれば、今日ただいま木村拓哉をカッコよく見せるのは至難のワザである。カッコいい木村拓哉が納まる場所がどこにも見当たらない。過去に当たったキャラクターをまた引っ張り出そうにも、そこにはもうすでにほかの誰かがすっぽりハマっているか、すっかり古くさくなってしまっているかだ。



たとえば『BG~身辺警護人~』にしても、木村拓哉がエレベーターの中で逮捕術みたいなワザを繰り出したとたん、こちらは格闘技オタク岡田准一(37)ご結婚おめでとう!! になってしまう。『HERO』? 。そこには『99.9-刑事専門弁護士- SEASON II』の松本潤(34)がいるではないか。



ああ、そうか。なぜ“びぃぢぃ”などと音の汚いタイトルを選んだのかと不思議だったけれどもいま気がついた。第1期の平均視聴率34.3%を叩き出した大ヒット作『HERO』のゲンを担いでアルファベットにしたかったのね。ただそれだけね。



木村拓哉を主演に考えた場合、投稿していただいた方がおっしゃるように悪役、しかもどんどんどんどん追い詰められていって最後は満身創痍で憤死するような役しかないように思う。「ねえ昨日キムタク死んだ?」というさわやかな朝の挨拶が聞こえてきそうなヤツ。



おお、なるほど。いま通りすがりの知り合いから『BG~身辺警護人~』だって主人公島崎章を意味なく死にたくてしかたがないヤツにすればおもしろいじゃん、と指摘があった。なるほどね。ボディガードの本懐は死ぬことと見つけたり、みたいなところは確かにある。身を挺して依頼人を守る、たとえば集団に襲われた場合は自分がボコボコにされて時間を稼いでいるあいだに依頼人を逃がす。それが仕事。



1981年のレーガン大統領暗殺未遂事件ではシークレットサービス1名とワシントン市警察官1名が大統領を庇って被弾している。2人の命に別状はなかったといわれているけれども、このときジェイムズ・ブレイディ大統領報道官は頭部に重症を負っている。うむ。



ボディガードの仕事の、これは威嚇なのかオトリなのか臨戦なのか解釈が難しいところである。2017年1月、ワシントンでのトランプ大統領の就任パレードに付き従っていた印象的な人物のことだ。トランプのすぐそばを歩いていたスキンヘッドのこわもての大男がオーバーコートの前に突き出したその両腕が完全にダミーだったのである。これはYouTubeにも上がっているのでぜひ探して見ていただきたい。



おそらくオーバーコートの下ではいつでも八方おっと間違いた(by荒木経惟)発砲できるようにサブマシンガンを構えていたのであろう。スキンヘッドの大男はみるからにシークレットサービス然として強そうであったし、しかも同時にどこか虚無的な雰囲気も漂わせていて不気味であった。



木村拓哉にはムリかなあ、こういう感じの。セリフも演技もいっさいなしでいいんだけどなあ。これまでの役柄とはまったくの別人格だし。



それでそうそう、ついでになにを書こうと思ったのかといえば、日本のテレビドラマはなにか独特の道を歩んでいるような気がするのである。ワンシーンを見ただけでああこりゃダメだ、と思わせる画面の薄っぺらさ、演技の大袈裟さ、パターン化はいったいなんなのであろう? もうこれはガラパゴス型といおうか小笠原諸島型といおうか、日本製ドラマ独自の生態系ができあがっておる。



ロケや舞台装置に金がかけられないのはわかるけれども、それにしてもあまりに安っぽすぎないか? といましばらく考えて、たぶんこれ実写版アニメとでもいうべきシロモノなのであろうという結論に達したのである。アニメの実写化ではなくて実写版アニメ。そう考えてアニメなんだから、と思って見ているとすべてに納得がいく。



まずは実写なのに画面全体がもつ情報量の圧倒的少なさである。背景の描き込みが少ないアニメそのものでその場の雰囲気がまったく伝わってこない。そしてその中を動く役者達の表情はみごとにパターン化され、カメラアングル、カットにも新しいものはない。くどいようだが実写版アニメ。



そしてこれ、思いつきであるけれども、どうしてこうなるかといえばやる気がない能力がないという問題以前に、そもそもの日本人の特性ではないか、という気がしてきた。キレイにいえばなにごとにもリアルを求めず抽象化の方向へすすんでいくのである。



大衆音楽にしても女と男がどーしたこーしたばかりでたとえば上司はクソ意地悪いし給料は安い、挙げ句の果てに朝から雨が降っている、いやじゃのう〜、みたいな曲はまったく少ない。つまりこんな日常の喜怒哀楽でも女と男のあれこれに仮託して聴きかつ歌う、いってみれば転化する能力、抽象化する能力を日本人はもっているのではないか、と思うのである。



抽象化を極限までおしすすめた芝居というと能ということになる。シオリといって掌で目を隠したら泣いたことね、というような決まりごとの所作があり、舞台上の作り物や小道具も極端に簡略化されている。



もし日本のテレビドラマがそうした新しい抽象化へのガラパゴス的進化を遂げる可能性を擁しているのであれば、西欧伝来のドラマトゥルギー(dramaturgie=演劇理論)を追いかけるようなことはせず、のびのびと実写版アニメの世界を追究していっていただきたいと思うのである。もうそろそろ脱亜入欧の夢は捨てて自分たちのクセの強さを自覚せなあかん(by千鳥ノブ)。



そうすれば、たとえばあの悪夢のような実写版映画『SPACE BATTLESHIP ヤマト』もおもしろくなったと思うのである。ガミラスとイスカンダルという名前の、実は表裏一体、二役の登場人物が現れると考えただけでワクワクするではないか。しないか。



木村拓哉の役柄はとうぜん古代進ではなくガラミス、デスラーにしてすなわちイスカンダルである。たいへん難しい役どころであるけれども“カッコいいキムタク”から脱皮したいのであれば、これくらいはやらなければならない。というか悪役としての木村拓哉には多重人格かつサイコしか思いつかないのである。で、最後は死ぬ。



多重人格、サイコ。国民的アイドルという過去の自分が取り憑いて離れない俳優・木村拓哉が生き残る唯一の第一歩、だと私は思う。(了)



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