歌舞伎俳優の片岡愛之助(43)が8月28日、ブログを更新して藤原紀香(44)との交際を宣言したのだそうだ。2人の関係は約3ヵ月前、2015年5月発売の「女性セブン」(小学館)がスクープしているのである。
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このときは片岡愛之助の二股疑惑として盛り上がったのである。盛り上がったのはもう一方の女、熊切あさ美(35)が「彼を信じています」とかいいながらマスコミを通して暴れたからである。
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その騒動がいったん沈静化したというかネタ切れになったかに思えた8月28日、今度は紀香と愛之助のイチャイチャ写真などを掲載した「フライデー」(講談社)が発売されることになったのである。そこで愛之助が慌てて同日付けの自身のブログで交際宣言をしたという流れである。
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今回は、その愛之助のブログの文章を少していねいに分析してみようというたくらみである。短い文章なので、すべて原文のまま紹介し、コメントを添えていこう。
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「事実と気持ち
いつも家族の様に温かく応援して下さっているファンの皆様、また、活動の場を与えてくださっている関係者の皆様方へは、きちんと僕の言葉で、事実と気持ちを1番に伝えたく、ここに書くことにしました。」
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「きちんと僕の言葉で」:「僕」はもともとは謙遜の表現である。しかしいまではむしろ、自分と対等もしくはそれ以下の人間に対して、くだけた調子で用いられることのほうが圧倒的に多い言葉である。したがってお世話になっているファンや関係者に向かって、しかもブログという公の場でつかうのにはまったくふさわしくない言葉である。愛之助、「きちんと」伝えようとした瞬間からきちんとしていないのである。
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「事実と気持ちを」:文章としてはもちろんおかしくない。しかし事実を突き詰めて表現しようとすれば自然に、主観はできるかぎり排除されるのである。そこをさっそく一緒くたにしてしまっていては、事実だけでは心もとない、あるいは事実関係だけを一人歩きさせたくない気持ちが表れていると読み取れてしまうのである。
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「1番に伝えたく」:最初に伝えたい、ということである。つまり同日(8月28日)発売予定の「フライデー」(講談社)に掲載される5ページにわたっての2ショット写真入り記事よりも早く伝えたいということである。平たくいえば先回りしたいのである。
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「この度、藤原紀香さんと交際をさせていただくことになりましたことをご報告いたします。」
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「交際をさせていただくことになりました」:文面通りに受け取れば、これから交際をスタートさせる、という意味である。しかし後の文章にあるように、すでに「今の僕を支えてくれています」なのである。事実とは異なるのである。嘘なのである。それともただの付き合いは以前からだけれど、これからはセックスもさせていただくことになりました、という意味なのであろうか? いやいや、「セックスもコソコソせず、堂々とさせていただくことになりました」なのかもしれないのである。
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「僕の人生上、2人の女性を同時に好きになったことや、重なってお付き合いをしたことは一度もありません。実際、以前の報道時はいい友人関係であり、藤原さんサイドに多大なご迷惑をお掛けし、お詫び方々 深い話をするようになり徐々に距離が縮まり、それらの逆風を乗り越える相談をする中で次第に“絆”のようなものが生まれ、互いに大切な存在であることに気づきました。」
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「2人の女性を同時に好きになったことや、重なってお付き合いをしたこと」:「同時に好きになったこと」と「重なってお付き合いをしたこと」は、この場合、繰り返しによって強調しているというより、意味内容が異なるのである。「同時に好きになったこと」はプラトニックなニュアンスであるが、それだけではやはり十分ではないと考えたのであろう、「重なってお付き合いをしたこと」を加えたのである。ここは私としては「2人の女性と私と3人が重なってお付き合いをしたこと」と読むのである。愛之助のことだからである。
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「お詫び方々 深い話をするようになり」:これはありえない話である。「お詫び方々」は「お詫び旁々」であって、お詫びがてら、お詫びのついでに、お詫びをかねて、の意味である。ついでに深い話をされるようなお詫びなど失礼千万な話である。お詫びする側の行動としてもすぐに「深い話」など不自然である。これは紀香との交際のきっかけをでっち上げるためのつくり話である。
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「それらの逆風を乗り越える相談をする中で次第に“絆”のようなものが生まれ」:「それらの逆風」とは「藤原さんサイドに多大なご迷惑」などのことであろう。鵜呑みにすればマスコミの二股報道である。しかし二股報道だけであれば、愛之助が記者会見でも開き、悪者になればそれですむ話である。紀香はあくまで被害者で通せる話である。つまり「それらの逆風」とは二股のもう一方の当事者であるあさ美その人をも含めているのである。あさ美をどう黙らせるかの「相談」をするなかで絆が生まれたといっておるのである。
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「彼女は多忙の中でも、友人であった時以上に体調面、食事面など、今の僕を支えてくれています。交際を始めたのがここ最近ですし、お互い40代の独身同士、見守って下さいなんて図々しいことは言いませんが どうぞ そっとしておいて頂けると幸いです。」
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「友人であったとき以上に」:いまはすでに友人の関係ではないということである。前出「交際をさせていただくことになりました」とはなにごとであったのであろう。語るに落ちるとはまさにこのことである。まあ、いまさら目くじらを立てるほどのものでもないが。
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「 お互い40代の独身同士、見守って下さいなんて図々しいことは言いませんが」:要件を書き終えた愛之助の開放感が溢れ返っている文章である。そして次の宣伝、締めくくりへと続いていくのである。ずいぶんと分かりやすいお調子者なのである。
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「本日は、奥州平泉の世界遺産 観自在王院跡で『平泉歌舞伎』を上演させていただきます。そして、9月1日からは大阪松竹座にて『もとの黙阿弥』の公演も始まります。日々精進し、座頭としてしっかり勤めて参りたいと思いますので宜しくお願い申し上げます。
この先、何か報告したい事があれば、そのときは僕の方からお伝えさせて頂きますので、今後は仕事に集中させていただけますよう、もしこのブログを見て下さっているマスコミ各社の皆様方がいらっしゃいましたら、どうぞ御配慮の程、宜しくお願い申し上げます。
平成27年8月28日 片岡愛之助」
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「この先、何か報告したい事があれば、そのときは僕の方からお伝えさせて頂きますので」:つまりこれから先、マスコミはうるさく嗅ぎ回ったり騒ぎ立てたりするな、なにかあったらこちらから話をするから、といっているのである。ずいぶん傲慢な話である。井上ハム造(58)はこれを読んでさぞかし腹を立てていることであろう。おまえはいつからそんなにエラくなったのだ? 「報告」だと? 「ご報告」といえ!! 「ご報告」!! ってなものであろう。
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「見て下さっている」:正しくは「ご覧いただいている」である。「〜くださっている」という便利で、しかし中途半端な丁寧語は最近の傾向である。このブログ全体を見て、愛之助、オトナの文章力としては100点満点中の50点もいかないであろう。平均点は80点の設定で。
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「マスコミ各社の皆様方」:大きく出たものである。いってみればこの文章はマスコミ全体、大向こうを相手にしています、ということである。さすがは歌舞伎役者である。そして公式コメントだということなのである。しかしこの文章の冒頭は「いつも家族の様に温かく応援して下さっているファンの皆様、また、活動の場を与えてくださっている関係者の皆様方へは」と内輪のニュアンスをまといつつはじまっているのである。いささか騙しなのではある。
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ブログの文章については以上である。さて、次の興味は「2人の女性を同時に好きになったことや、重なってお付き合いをしたことは一度もありません。」ときっぱり切り捨てられた熊切あさ美がどう出るのか? である。
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私としては、まったく無責任な野次馬だが、怒りと嫉妬のあまり、あさ美はそう遠からずたいへんな凶行におよぶと読んでいるのである。そして凶行の直後、身勝手なエロ男に完膚なきまでの天誅を下した記念に、改名をするのである。カマ切ハサ美である。
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その次の興味は、藤原紀香がめでたく梨園に嫁いだとして、上手くやっていけるのであろうか? という疑問である。これについても、実は私はすでに予測を立てているのである。鍵を握るのは愛之助の養父、片岡秀太郎(74)である。関西歌舞伎界で女形といえばこの人、というくらいの大物である。
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秀太郎は実は歌舞伎以外でも有名な人なのである。往年の大スター高田浩吉(享年86)の娘、美和(68)を嫁に貰ったにもかかわらず、日活ロマンポルノ「軽井沢夫人」(1982)に無理に出演させるなどしたのである。自分の性癖を満足させるためである。鬼畜の所業である。筋金入りの変態である。
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1984年、離婚した際の記者会見での、「SMの趣味がある変態で、そばに寄られるだけで鳥肌が立つ!」という美和のあまりにもダイレクトな罵倒ぶりは世間を騒然とさせたものである。
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紀香が梨園でうまくやっていくためには、まずはこの秀太郎と上手くやらなければならないのである。もちろんそこにはアルカイックな流し目エロ男、愛之助もフンドシ一丁かなんかで参加するわけである。義父の趣味はSMなのだからナワナワなのである。すでに男としては萎んでいる秀太郎の目が狂気を孕んでギラギラと凄まじく光るのである。地獄のような光景である。
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しかしこのジャンルでは案外気の合う3人のような気もするのである。紀香の神経の鈍さにさえ目をつむれば、案外うまくいくような気がするのである。ぜひ、なんらかの記録を残しておいていただきたいと思うのである。(了)