2015年8月5日水曜日

大西小百合もっとやれ!! 負けるな室井佑月!! 全顔思想。テレビ論





私はテレビが好きである。かつてはくる日もくる日も8時間以上視聴していたし、いまでも4時間くらいは釘付けである。もちろん生まれたときにはふつうにテレビのあった世代であるから、テレビに捧げた人生みたいなものである。



掛け値なく、これまでの人生でテレビほど時間を費やしたものはほかにない。トータルすれば睡眠とでも控えめに見積もってどっこいどっこいてなものである。



これをたとえば株の勉強なんかにあてていれば、いまごろは大金持ちのはずである。少なくとも小学校時代から株取引をしていたという村上世彰(元村上ファンド代表、56)と同じ土俵には立てたはずである。小学校だけかもしれないが。



しかし、株なんかには脇目もふらず、というかその存在すら知らず、もっぱらテレビの記憶というゴミばかりを溜め込んでしまったのは、まったくもって残念なことである。テレビ廃人とまでいわれると抵抗があるが、痴れ者であることは確かである。きっと私のような人間は世の中に少なくないはずである。たいへんな社会的、経済的損失である。



テレビの何が好きかというと、いつも書いていることだが、タダでダラダラといつまでも垂れ流してくれるところである。私のような怠け者にとって、つねに受け身でいられるのは至上の心地よさである。であるからインタラクティブ(双方向性)などいらぬお節介である。


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よく、テレビの未来などといってソーシャルメディアとの連携、融合みたいなことが持ち出される。しかし残念ながら、それではもう私のいうテレビではない。ただの端末ディスプレイである。テレビをほんとうに愛していないからそんなことがいえるのである。



テレビ局にしてもソーシャルメディアとの融合なんて望んでいないのである。テレビ受信機をほかのサービスに利用されれば、それだけ自局の番組の視聴機会が減る。といいつつも時代の趨勢である。すでに各家庭に位置を占めているテレビは、情報サービス拡大の前線として、これからもいろいろな機能やサービスが付け加えられていくだろう。



おおそうだ、つまりはテレビがテレビとして生き残っていくためには、テレビ専用でなければならないのである。インターネットに接続した段階でソーシャルメディアと変わらなくなる。



だからテレビの将来ためには、電波媒体であり続けなければならないのである。電波のほうがネットよりもフィルターもかけやすいだろうし。……、?! ?! ?! 。フィルターといえばアダルトである。村西とおる(67)のCS「ダイヤモンドチャンネル」(1994〜1996)である。



もちろんテレビ放送は総務省管轄の許認可事業である。モザイク必である。別に許認可事業ではなくても国内に事業所があればモザイク必である。であるからこの場合はどでかいモザイク必である。


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しかしタダで見られるのであるから我慢するのである。どんどん増える年寄りは暇なのである。とくに男は何歳になってもエロいのである。かくして専用テレビはやがて時代遅れのレトロ&エロ雑貨に成り果てるのである。



たいへんくだらない連想で面目ない。話を戻すと、タダでダラダラといつまでも垂れ流してくれるテレビが好きな私は、だからもっぱら地上波を見ているのである。以前にも記したテレビ党地上派である。



で、なぜテレビを毎日8時間も見続ける羽目に陥ったのか、である。考えつく理由は2つある。ひとつは、それは私が「全顔思想」の持ち主だからである。これはナンシー関(享年39)の「顔面至上主義」とは似て非なるものである。もちろん半分パクっているわけだが。



字面通り解釈すれば「 顔面至上主義」とは「顔面こそが何ものにもまして尊いと信じる考え」であり、「全顔思想」とは「その人のすべては顔にあらわれるという考えの体系」である。「 顔面至上主義」とは主観であり、「全顔思想」は客観をめざすものである。



事実、私は物心ついたときから、いあわせた人たちの顔に何事かを読み取ろうと努めてきたのである。しかし、にやにやとだらしなく笑いながらオトナの顔をしげしげ見つめるガキなど、たかってくるハエやカの何万倍も鬱陶しいバカ野郎なのである。


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あっちで邪険に追い払われ、こっちで怖い目つきで睨み返される幼い私にとって、テレビは穴が開くほど人の顔を凝視しても叱られない絶対安全地帯、夢のノゾキ部屋のようなものだったのである。たとえがジジ臭いがのう。



で、理由のもうひとつは、やはり映像の力である。動く映像は、テレビか映画館でしかお目にかかれなかったのである。しかも視覚による情報がほかの感覚に較べてたいへん多く、強いということは、なんとなく経験でもわかっているとおりである。



調べてみた。脳における知覚情報の割合は、それぞれおよそ、視覚が83%、聴覚が11%、臭覚3.5%、触覚1.5%、味覚が1.0%とされているようである。どうやってこの数字が導きだされたのかというと、1972年に出版された「産業教育機器システム便覧」が初出とされている。しかしそれがなんだかはよくわからない。40年以上も前の話だしなー。



まあとにかく、視覚は他の感覚に対して圧倒的に優位なのである。百聞は一見に如かずなのである。違うか。違う。だから電波メディアといえばラジオだけだったところにテレビが出現したインパクトはとほうもなく大きかったのである。そんなこんなで、私に限らずみんな一気に腑抜けにされてしまったのである。



突然話は変わるが、何年か前の紅白歌合戦中継に出てきた森進一の顔が忘れられないのである。不自然にシャープな輪郭、ピーリングしたてらしき張りつめたピンクの肌、三角形に見開いた目、ぽってりした真っ赤な唇。それらがテラテラと汗をしたたらせ、リキむにリキむだけリキみ返って歪んでいるのである。祭りで買ったプラスチックのお面が熱で歪んでしまいましたみたいな状態なのである。それが歌いながらこちらに近づいてくるのである。




紅白歌合戦が大切な晴れの舞台なのはわかる。しかし森進一、あんまりなムリはしないでほしいのである。体調がよくないときなど、なんの脈絡もなくあの顔が脳裏に浮かんでくるのである。そして夢にまで出てくるのである。死ぬ。



そういえば元維新の党、大西小百合(32)も無茶である。昭和の古新聞紙から抜け出てきたみたいな、のっそり野蛮な顔で、セクシーショット満載の自叙伝「小百合」なのである。エリカ様ではなかったのである。見上げた根性である。たぶん昭和の根性なのである。先祖返りってやつである。なまっちょろい平成の連中などまったく相手にならないのである。



その証拠に、犬猿の仲の室井佑月(45)は、大西小百合のおかげでストレスが溜まり、突発性の痔で病院送りになったそうである。「あの女、私のお尻をどうしてくれる!!」と喚いているそうである。



ついでに、セクシーショット満載の自叙伝「小百合」について、維新の会の幹事長、柿沢未途( 44 )は、「 バカのやることは知りません」と、ひとことなのである。とにかく面白いのである。小百合もっとやれ。



ついうっかりしているといつのまにか顔が変わっている人たちがいる。しかも何度も。深田恭子(32)とか吉田栄作(46)の嫁の平子理沙(44)とか、久本雅美(57)とか。いきなり大幅なバージョンアップができない、中古パソコンのOSみたいなものなのだろう。めざすバージョンは遠い。



子どものころは、中途半端なハゲを「なまはげ」というのだと思っていた。 (了)




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