1972年刊の「産業教育機器システム便覧」によると、五感で受ける情報の割合は、視覚が約83%、聴覚が約11%、臭覚約3.5%、触覚約1.5%、味覚約1.0%であるらしい。40年以上も前の、ちょっと胡散臭いようなデータだが、なんとなく定説のようになっている。
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定説といえばライフスペースの高橋弘二(77)である。いわゆるカルトの教祖で、成田ミイラ化遺体事件を起こしたことでその方面では有名である。マスコミ取材に答えて「定説です」を連発し、その具体的な内容を問われると「それは自分で調べなさい」といい返したのでも有名である。なんだか汚いジジイなことでも有名であった。「定説」など、そんなものかもしれない。
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で、定説によれば視覚は空間認知をし、同時に多くの情報を直感的に処理する能力に結びつくらしい。聴覚はより遠方系の感覚であり、時間を追って順番に物事を理解していく能力に結びつくらしい。
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では、文字はどうかといえば、目で読んではいるのだが、脳のなかでいったん音に置き換わっているのである。ある時代まで、人は文字を読むとき必ず声に出していたという定説もある。
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だからテレビが家庭に入り、多様な映像に接する機会が増えて、直感的、感覚的に理解する傾向が進んだといえるのである。そのぶん段階的、論理的な思考は押しやられたのだろう。
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直感的、感覚的理解ばかりだと、言葉の能力は育たない。説明できなければ、そのとき直感的、感覚的に下した理解や判断の正しさを認識できるのは自分だけ、ということも起こりうるのである。
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もっと日常的には、自分の気持ちや置かれている状況をうまく説明できない場面が出てくる。たとえば自分は決して悪いことをしたとは思っていないのに叱られている、こんなふうな叱られ方は理不尽である、しかしそれを上手く説明できない、という状況である。感情が高ぶっていればなおさら言葉にしにくい。
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そんな苛立ちの爆発が、いわゆる「キレる」という状態を招くのである。なんとか気持ちや状況をわかってもらうために、経緯をわかりやすく再び順序だてたり、言葉を探したりする努力をそこで断ち切ってしまうのである。自分は悪くないのだという気持ちが、さらに相手への責に転じる。
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そして厄介なことに「キレる」はクセになるのである。とくに暴力がともなうと麻薬のように依存性、習慣性があるのである。麻薬はよく知らないが、それほど「キレる」と暴力はふるう側の心も支配するのである。だからどんな理由があっても、家庭に暴力を持ち込んではいけないのである。
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キレキャラ、キレ芸人と呼ばれる人たちがいる。カンニングの竹山隆範(44)などが代表である。しかしもちろん、あれはあくまでフィクションとしての「キレる」である。ほんとうにキレていれば、あれほど言葉は出てこない。「バカやろう!!」とか「ちきしょう!!」程度が精一杯である。
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私が目撃したところでは、なかなか言葉が出てこないばかりか、かろうじて吐き出した言葉もほとんど呂律がまわっておらず、まるで酔っぱらいのようにしか聞こえなかったことがある。「バカやろう!!」が「うばらろう」である。狂気じみて怖かったのである。ちなみに、このとき怒らせたのは私ではありません。ともかく、言葉を操れないというのは、きわめて重大な問題だと思うのである。
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キレて暴力的になる方向へはいかなくても、他人とのコミュニケーションに難しさを感じて内向的になったり、さらにそれが亢進して引きこもったりすることもあるだろう。こうした言語能力の低下には、明らかにテレビの影響が大きいと思うのである。テレビと限定されるのが嫌なら映像文化の影響である。
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だから相手が上手に喋れなくても、喋るのを諦めそうになっても、じっくり待って、気持ちを落ち着け、ゆっくりゆっくりもつれた言葉がほぐされていくのを待つことが大切なのである。ほとんどの人間は、話を聞いてさえもらえば、それだけでずいぶん楽な気分になるものである。おお、今回ははじめてくらいにいい話ではないか。どや?
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話は変わるが、女子サッカーの澤穂希(36)が入籍したというニュースを受けて、さっそく女子レスリングの吉田沙保里(32)のコメントが注目されたのである。ずいぶんな嫌味な話である。
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しかし、さすがに人類最強の女、吉田沙保里である。お祝いの言葉に続けて「子どもがほしいだろうし、澤さんの遺伝子を残してほしいです。子どもにサッカーをやらせるのかなあ」なのである。無邪気である。立派である。沙保里の沙は沙漠の沙、なんていう悪態を考えてしまった自分を恥じ入るのみである。 (了)





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