2015年8月13日木曜日

テレビでアタマのなかが断片化、考えることが近視眼





テレビに出ている人たちはいつもなにごとかを大声で喚いている。対してネットの人々はモゴモゴと聞き取りにくい小さな声だが、大きな群れをつくり、影響力を発揮している。———こんな言説をむかしどこかで読んだ。ネット上ではなくプリントでである。モゴモゴ。



テレビというフレームのなかに居場所を確保しようとすれば、自ずと自己主張は強くなるのである。誰かが先に話していようがおかまいなしに被せる。せっかく奪い取った尺である。考え込むなど、ほんのわずかでももってのほかである。



バラエティ番組で、発言者が最後まで無事に話し終えられることはほとんどない。司会者が途中で引き取るか、別の出演者が自分の話をしはじめる。まるでドキュメンタリーで見たイタリアの大家族のようである。いや、それ以上に躁的というか狂的に見えることさえある。


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で、そんなときにでもよく注意をして聞いていると、意外にお笑い系バラエティは全体の会話に齟齬はなく、よくつながって流れているのである。始末におえないのはニュース解説や討論番組で、もっともらしいのは口調だけ、まともに論点に向き合っている発言がほとんどないという場合さえある。



とくに政治家が酷いのは、たぶんお察しの通りである。ある同時通訳が、国際会議などで長々と発言をされても翻訳する内容がないので、それならいっそ喋らないでほしい、とこぼしているのを聞いたことがある。



これに比べれば「スキーをやられていらっしゃる」も「滑ることができるわけなんですねえ」も「私も一度やってみたいなあというふうには思います」なんて可愛いものである。バカだとは思うが。モゴモゴ。


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視覚から得られる情報量は五感全体の80%以上を占めていて、テレビを見すぎるなどで視覚優位な状態になると、言葉が怪しくなるというような話を前回までしていた。



しかし、このテレビから際限なく吐き出される噛み合わない会話、尻切れの発言、意味の断片も、アタマのためには相当よくないと思うのである。なにひとつ決着がつかず、アタマのなかが激しく断片化したまま放置される感じである。



これが続くと、まとまった考えをしにくくなるのではないか、論理的な展開が難しくなるのではないか、と思うのである。そうだとすれば、たいへん危険である。


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自分のアタマで最後まで考え切ることができなければ、付和雷同、誘導されやすくなるのである。私は世論というものは、いつも想像を遥かに上回って賢明なものだと信じている。



しかしそれにしても最近の近視眼的な思潮はいかがなものか。赤ん坊が泣いてうるさいから睡眠薬を飲ませろ、である。バカである。そんならテメーのほうが睡眠薬飲んで寝てろである。モゴモゴ。



もうひとつ気がかりなのは、因果関係が無視される傾向である。何かが起これば、それが起こった理由があるはずである。現実には理由はひとつだけではなく、いくつも重なり合ってある事象が起こる。それを突き詰めようとしないのである。何もかもが宙ぶらりんである。



私の場合は、やはりときとしてそういう断片化状態に陥ることもあるが、それほど激しくはない。なぜなら、私は幸運にもテレビに映っている顔を眺めているだけだからである。結論、結着、着地など最初からまったく期待していないのである。というか想定していないのである。




だからドラマの最初や最後を飛ばしても平気だし、スポーツ中継のクライマックスでチャンネルを変えてもまったくストレスはない。それでテレビを見ているといえるのかと問われれば、この期におよんでモゴモゴである。



それにしても、私のようなラテ欄無用なテレビの見方をしている人は、最近、案外多いようである。そういう人たちは、逆に、もうすっかりアタマが断片化しているからなのだと思うのだが。モゴモゴ。



それと、前々回くらいにちょっとやってみようかなあ、と書いておいた「TVデトックス」である。テレビから離れる期間をもてばやがてアタマもスッキリして……、という話だが、そんなこんなでというか、初回、私には半日が限度であった。情けない話である。また頑張ってみる。 (了)




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