テレビの将来が不安視されるのは視聴者が減っているからである。視聴者が減るのは面白くないからである。面白くないのはコンテンツを制作する力、クリエイティブが確実に劣化しているからである。面白ければ録画してでも、時間のやりくりをしてでも見る。
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クリエイティブが劣化したのは、有能な人材がゲームやアニメなどに流れてしまったからである。彼らの年代はすでに、現在の中高年のようにはテレビを見て育ってきていないのである。テレビの崇拝者ではないのである。
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と、テレビ離れについてはいろいろなことがいえるわけだが、現実問題、最も焦眉の課題は広告費の減少である。電通のまとめによると、2014年のテレビメディア広告費は地上波と衛星あわせて1兆9564円である。2010年に2兆円を切ってからジリ貧である。
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これに対してインターネット広告媒体費は、1兆519億円である。こちらは一貫して伸びている。であるからテレビの場合は、このままではこれから先も広告収入の増加は見込めないのである。実際、地方局の放送に番宣が多いのは、その時間を埋めるべき広告が取れなかったからである。
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そうすると、ドラマで画面に映る食器の果てまでタイアップするような細かな売りを積み重ねていくか、さもなくば広告以外の収入を増やさなければいけないのである。そういうわけでソーシャルメディアとか、ネットとかとの合体が期待されているのである。しかしそんなビジネスモデルはまだない。
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とはいえテレビは死なず、なのである。これまでにも税金を大量投入されてきた、けっこうなモヤモヤゾーンだからである。潰れると金が回らなくなって困る、という話なのである。
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たとえば、地デジ化のためには税金3600億円が投入されたといわれている。テレビ局の数は、キー局、地方局あわせて全国に54局である。単純に割ると1局あたり約66億円である。おかげで自己負担額はキー局で約100億円、地方局で約50億円ですんだのだそうである。
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テレビ放送は、放送局が国から電波を借りて行っている。税金を大量に投入してもらったのだから、その分だけ電波使用料が高くなると考えるのが当たり前なのだが、実際は適正のおよそ10分の1といわれるほど安いのである。すべての局をあわせて550億円程度である。
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しかもテレビ電波の使用権は一種の聖域になっていて、マスコミグループの既得権益化しているのである。ここを小沢一郎(73)が入札制にしろと突いたのだが、それからテレビではあまり顔を見かけなくなった。肥ったブタより痩せたオオカミ、とはいうものの、痩せたブタみたいになってはしかたがないのである。
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大手マスコミグループがテレビを牛耳るということは、新聞を読んでもラジオを聞いてもテレビを見ても、すべて同一資本の運営によるという危なっかしい体勢であるということである。それに歯止めをかける法律があるにはあるのだが、とくに地方での実態はそうとう怪しいものだと思うのである。
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テレビ放送は国の電波を借りて行っているので、局を開設する許認可権は国にある。テレビ局はあらかじめ国によって首根っこを押さえられているのである。いざとなったら報道の自由ってなに? とばかりの感じになるのは目に見えているのである。
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で、そんなこんなのモヤモヤゾーンにある限り、テレビが潰れるわけがないのである。もしかすると私も、こんなモヤモヤゾーンの副産物である、ある種のいい加減さが性に会っているのかもしれないのである。
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突然話は変わるが、佐野研二郎(43)による2020年東京オリンピックエンブレムのデザイン盗用疑惑である。いわせてもらえば、疑惑が出てきた段階で、そのデザインは失敗なのである。商業美術においては、完全に無から有を生みだすなどあり得ないのである。
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音楽でいえば、19世紀までにすべての旋律は出尽くしたという話がある。それがリズムが変わり、ハーモニーが変わって新曲として再生産されるというわけである。作曲者が意図してやる場合もあるし、まったく無意識のうちに行っている場合もある。
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商業美術もまったく同じである。大衆性というのは最大公約数ということである。ひとりの人間のアタマのなかに突然降臨するようなものではない。歴史的な蓄積が背景にはあるのである。
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であるから、すべての商業デザインは盗用であるともいえるのである。今回研二郎に待ったをかけたオリビエ・ドビ(52)のデザインも、必ずそういう歴史的背景があるはずである。
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で、そのデザインの元はここにある、と指摘を受け、疑惑としてでも一般に膾炙するようであったら、そこでアウトなのである。ヘタを打ったのである。
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商業美術にかかわっていれば、みなこういう感覚はもっているはずである。そこでアウトにしておかないと、どこまでも遡ってしまうのである。完全なオリジナルだといい張らなければならないのはただギャラの多寡のためだ。
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それにしても、サントリーのトートバッグのデザインに関しては部下の仕事であるとして逃げようとするのはいかがなものか、である。 組織の長としてあるまじき態度である。しかも佐野研二郎デザインと最初からちゃんと謳ってあるではないか。これでは研二郎そのものもアウトになってしまうではないか。
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新国立競技場の問題といい、エンブレムのデザインといい、2020年東京オリンピックは、なんとなく風向きが悪い。2013年、ブエノスアイレスで開かれたIOC総会で安倍晋三首相(60)がオリンピックを誘致したさに、しゃあしゃあと吐いた大嘘のタタリだというもっぱらの噂である。
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「フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています(=under control)。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません。……」(by晋三)。研二郎、これからヒマになるはずだから「 under control」Tシャツでもつくって売ったらどうだ? もちろんデザインは部下か外注かで。 (了)





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