金田朋子(42)とリリー・フランキー(52)である。ほんとうはここにみつまJAPAN'(46)でも入れようと思ったのだが、それではあんまりだということで止めたのである。今回のテーマは「テレビはフリークスショウ」である。あんまりだというのは、みつまJAPAN'とフリークスショウが並ぶとあんまりなのである。
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まだ『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ)が放送されていたころ、ビートたけしがタモリを指して“見世物小屋の呼び込み”と評したことがある。お笑いだのタレントだのを集めて番組にしてはいるが、タモリ自身は何かをやるわけではない、という意味である。
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で、さっそく余談だが、見世物小屋の呼び込みを定年退職となり、平日の拘束を解かれたタモリは、いま憧れの水戸黄門(享年73)ぐらしを続けているわけである。
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羨ましいような、なんだかちょっと物足りないような、微妙なタモリ人生である。中庸とかそこそことか、あるレベルに達したところから徹底して保身に回っている感じがイヤなのである。今日もササクレているのである。
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あ、そうか。最初からみつまJAPAN'の代わりにタモリを入れておくという手もあったのである。フリークスの団長格として。田舎の夜道をやってくる電飾で飾ったバンドワゴンの、その馬の背中に乗ってキーキーと、訳のわからぬアオリを飛ばしている姿が目に浮かぶのである。
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かつては『森田一義アワー 笑っていいとも!』が“見世物小屋”になぞらえられたわけだが、いまではテレビ全体、ほとんど芸能界全体が“見世物小屋”化しているのである。いささか語弊のあるいい方だが、フリークスショウである。
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少し付け加えると、テレビのフレーム外のあれこれ、つまり実生活での出来事も取り込んで話題をつくっていくやり方は、プロレスっぽくもあるのである。恋人争奪バトルとか。偉そうにくーだらないことを書いているのである。
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でもってリリー・フランキーである。巷では吉田鋼太郎(56)に似ているとかいわれているらしいが、とんでもないバカな話である。リリー・フランキーは、どう見ても地下牢に10年くらい幽閉されていた子泣き爺である。とにかくこれほどお日様が似合わない男はいないのである。
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そのせいなのか、驚かされるのはまだ52歳だというその年齢である。風貌、巧みな立ち回りからして、もう10歳は老けているかと思ったのである。フランキー、意外に若いのである。たぶん働き過ぎなのである。九州出身者は、とにかく諦めずよく働くという偏見が私にはあるのである。
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に、しても、いまWikipediaを開いて数えてみたら、フランキーには職業の肩書きが15もあるのである。さらにその最後に「など」がついているのである。しかもその間隙を衝くようにして福山雅治(46)なんかにまで取り憑いているのである。働き者というだけではすまないのである。
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こんなに仕事ができるということは、フランキー、たいへんタフなのである。ウナギのようにスタミナいっぱいなのである。ここが今回フリークスに選んでしまった大きなポイントである。虚弱そうな見かけによらないのである。
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ついでにいってしまえば、いろいろな肩書きがあり、なんだかんだと仕事をしているのだが、作品らしい作品といえば、いまだにもって『東京タワー〜オカンとボクと、時々、オトン〜』(扶桑社)しかないのである。まあ、B級テイストの親玉みたいなものである。ああ、ササクレ立つ。
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見かけによらないといえば、フランキーは身長が174cmもあるのだそうである。35cmくらいかと思っていたのである。おもしろいことに吉田鋼太郎と身長だけはぴったり同じなのである。九州男のしぶとさ発揮である。
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52歳のフランキーはなかなかいっぱしに語るのである。ネット上には“リリー・フランキーの名言”みたいなページまであって「名言とは哲学者や文学者の机の上に飾られているモノではなく、僕らの足元に転がっているモノです」とかいう言葉が紹介されているのである。
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ほかには「女は、10代はクールな人、20代は面白い人、30代はお金持ち、40代はかまってくれる人、50代は健康な男を好きになるんだ」などという発言もあったのである。
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しかしまことに残念なことに、いずれもどっぷり19世紀的である。いま「僕ら」の足元に転がっているのは言葉ではなく哲学者や文学者の死体であり、女は産まれたときから死ぬまで金持ちが好きなのである。
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何歳のときの発言なのかはわからないが、それにしてもジジくさいのである。思うにフランキーは老から幼へ、さかさまに年を取っているのである。不気味である。フリークスである。フランキーくらいで叱られては割が合わないのでこのくらいにしておくのである。
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次は金田朋子である。ヘリウムガスを吸ってもまったく変わらない声の持ち主である。実家の全員がそうらしいのである。想像しただけで胸騒ぎがするのである。声優が天職といえる数少ない人である。
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そういえばギャル曽根の実家のほうも、全員大食いなのである。食卓にはハンバーグが山盛りになったりするそうなのである。奇声族と大食い族である。しかし大食いが天職とはならないのはどういうわけだろう? ああそうか、大食いは職業とは認められていないのである。しかも趣味や特技ではなく、性質である。ここにもフリークスがいたのである。
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で、金田朋子の場合はキャラクターがいくらか過剰というだけであまり書くことはないのである。本人が自然に振る舞ってそうなっているものを、傍からとやかくいう必要はないのである。フランキーとは違って。
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強いていえば朋子、藤田朋子(50)と名前が同じなのと、身長が150cmもあるということだけが非常に微妙なのである。矢口真里(32)よりも5.2cmも高いのである。ちなみに「藤田朋子」で検索をかけると「藤田朋子 ヘアー」がトップにくるのである。恐ろしいことである。
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ああ、そういえば真里と元夫中村昌也(29)身長192cmとの結婚披露記者会見での、立ちポーズツーショットは、写真家ダイアンアーバスなら大喜びだと書いたことがあったのである。
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ああ、出てくる出てくるフリークス。巨乳アナウンサーとか、8.5頭身の女子高生「なあ坊豆腐@那奈」(なあぼうどうふ あっと なな)のI字バランスとかも、私からすれば立派なフリークスである。
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いまネットを見ていて驚いたのである。『Yahoo! 知恵袋』に「金田朋子って知恵遅れなんですか?」という驚くべき質問が寄せられていたのである。しかも、これもほとんどトップに掲載されているのである。“ベストアンサー”は、とうぜん「声が高くて天然キャラなだけですよ」なのである。
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しかしこのストレートさには驚くのである。手加減というものを知らないのである。差別に対して過敏になるのもよくないが、まったく無神経というのも困るのである。とくに金田朋子に関しては面白いからといって引きずり出しておいて何をいっているのか、という感覚もあるのである。
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で、「テレビはフリークスショウ」でなにをいいたいのかといえば、つまりテレビはもうほんとうに消費するばかりのシステムになってしまっている、ということである。なにかをつくったり育てたり掘り起こしたりする力が、番組においても、出演者に対しても、関連するスタッフに対してもなくなってしまっている、ということである。で、フリークスショウである。
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少し回りくどいいいかたになる。株式投資の手法にデイトレードというものがある。1日のうちに何度も売り買いを続けて薄い利益を重ねていくやり方である。したがってここでは対象となる企業の業績などはあまり関係がなく、そのときどきの株価の動きそのものを読んで売り買いがされるのである。
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デイトレードには、株式投資の本質である企業活動への投資・支援という意味はまったくないのである。ただただ株を次々に売り買いして薄い利益を剥いでいくのである。であるからデイトレードには、皮をむく=ピーリングという呼び方もある。
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日本のテレビがやっているのは、このピーリングのようなものである。目先の視聴率のコンマ1、コンマ2に目を血走らせているその姿は、そのままデイトレーダーに重なる。で、その結果どうなったかといえばフリークスショウである。
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底なしスタミナの子泣き爺や、ヘリウムガスボイスのマニー(躁状態)に頼ってしまっているのである。まちがっても文化的事業などということはいえないのである。いうなら文化のデイトレーダー、ピーラーである。それならそれでけっこうなのである。むかれて残った実のほうと私はお付き合いしてくのである。(了)


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