2017年10月22日日曜日

サンタクロースだって、いつもいい人とは限らない〈1〉



まだ10月でハロウィンもまだだというのに、クリスマスシーズンである。オトナになったらキャバレーにいって三角帽子をかぶり、両サイドにお姉さんをはべらかしてどんちゃん騒ぎをしよう!! と子どものころから憧れていたクリスマスである。しかしそのキャバレーがいつのまにかない!! 一緒に遊んでくれるお姉さんもいない!!



で、どうしてキリスト教徒でもない日本人がクリスマスに浮かれ騒ぎ、オトナも子どもも大はしゃぎするのかみっともない!! 若いカップルはもっともっとはしたない!! という凛々シズムに到るのである。



そんな私に『現代ビジネス』(2017年10月18日配信)が堀井憲一郎(59)の新刊『愛と狂瀾のメリークリスマス なぜ異教徒の祭典が日本化したのか』の抜粋を届けてくれたのである。さっくり目を通したところ、なんだかクリスマスはアメリカとアメリカ資本の文化戦略である、ということを切々と説いているらしい。なあんだ、金を出してまで読む本ではない。と、私は思う。すごく読みにくいし。



おもしろかったのは1951年12月24日、フランス・ブルゴーニュ、ディジョン大聖堂でサンタクロース人形が吊され、大聖堂前広場に引きだされて火あぶりになったことがある、という記述である。



これは『聖なるキリスト降誕祭を異教化した罪』によるもので、「つまりカトリック教会によって、サンタクロースの存在は異端であると断罪されたのである」と堀井憲一郎は書いている。ふうん、厳しいのね、と思っていたらこの翌日、25日の夜には市役所にサンタクロースが“復活”して市民に歓迎された、とレヴィ=ストロース(享年100、フランス人)が記しているらしい。



まるで盆と正月、イースターとクリスマスが一緒にきてしまったようなものではないか。大袈裟か。



この出来事についてのレヴィ=ストロースの見解は



「サンタクロースが闊歩するキリスト降誕祭(クリスマス)はカトリック教本来の姿ではない、と教会は強く主張していた。そのため火刑に処された。ただ、すぐさま翌25日の夜には市役所にサンタクロースが“復活”し、市民に歓迎された。聖職者たちは、サンタクロースを火刑に処すことによってかえってかれの永続性を強めたのではないか、というのがである。」(原文ママ)



である。ふうん。すると明日の夜には市役所前に“復活”することを織り込み済みのうえでサンタクロース人形は吊るされ、火あぶりにされたということになる。“復活”用と火あぶり用と両方併行して準備しなければ連日のイベントには間に合わないでしょ。



ではフランスのブルゴーニュではサンタクロースの永続性を強めるためにわざわざそんな面倒くさいことをしたというのであろうか? いやそれは結果としてそうなったのだ、ということであれば、ではそもそもなぜサンタクロースはクリスマスイブに吊るされ、火あぶりにされなければならなかったのか、というそもそもの疑問に戻る。



ここから堀井憲一郎はレヴィ=ストロースを放り出して、とりあえずというか、ようやく以下のひとつの結論に到る。



「(戦後フランスは)アメリカの物資とともに、アメリカの文化やアメリカ精神が大量にフランス社会に浸透していくのを避けることができなかった。サンタクロースは、その圧倒的なアメリカ資本主義を象徴している。だから、古きカトリックの伝統を大事にしたい人たちには、許されない存在と映ったのである。
《火あぶりにされたサンタクロース》の事例が示しているのは、『クリスマスの祭りは、じつはキリスト教とは本質的には関係していないのではないか』ということである。」



とはいいつつ、このあともカットリックカトリックといたずらにお話をメンドくさくしているのだけれども、全体の状況を説明すれば、そもそもカトリックの信者はキリスト教信者全体の約半分強である。そのカトリック教会はサンタクロースを受け容れていない。しかし個々のカトリック信者の家庭には入っている場合もある。



カトリックのほかにはプロテスタントもいれば東方正教会もある。サンタクロースに対してプロテスタントは賛否両論をもっていて、東方正教会ではクリスマスではなく新年の祝に我々の目から見ればクリスマスツリーのような飾りやサンタクロースのようなお爺さんが登場する。



カトリックのサンタクロース批判を外から眺めていてわかりづらいのは、キリスト教解釈からの批判と商業主義だという批判が混じりあってしまっているからだ。



実際に商業主義だという理由にもとづくサンタクロース排撃事件がドイツで起こり、神父たちが襲われたこともあったらしい(Wikipedia)。「神父」であるからカトリックの聖職者のくせにサンタクロースと仲よくした、ということであろう。プロテスタントの聖職者は「牧師」。



これだとわかりやすいのである。商業主義にまみれたサンタクロースが町を闊歩しているのは、それと仲よくしている「神父」たちが見逃しているからだ、「神父」のくせに。神父たちをやっつけろ!! 整然としていてドイツ的である。



ブルゴーニュの1951年のクリスマスイブとクリスマスの出来事は攻撃の対象がサンタクロースの人形であり、しかも2日で二股を完成させるという実にフランス的な事件である。つまりこれはフランスだからこそ起きた事件であるといいたいわけである。



フランスはカトリックの国だから? つがうってば。フランスは“文化大国”をもって任じているからである。“文化”はフランスの国家戦略の重要な柱である。知的・美的領域で世界トップとなり、国のステイタスを上げ、国際的な発言力を強化することに心血を注いでいる。商業主義にまみれたアメリカの文化侵略になど負けてはいられないのである。



成金アメリカとおフランスの意地の対決。典型的なのが「ディズニーランド・パリ」である。パリ近郊にディズニーランドがある。地元の反対などさまざまな障害を乗り越えて1992年に開園した「ユーロ・ディズニーランド」が前身である。



もちろんこんなアメリカ文化の象徴のようなシロモノはフランスという国にとっては不愉快きわまりない。とはいえ法律を遵守してやってくる以上、むげに撥ね除けることもできない。で、さまざまな規制をかける。たとえば「ディズニーランド・パリ」では非正規社員を雇えない。季節によって繁閑の差はあるからみすみす収益を逃したりオペレーションに無理が生じたり、ひいては発展にブレーキがかかる。



そんなこんなで「ディズニーランド・パリ」は慢性的な赤字である。2016年9月通期決算では純損失が8億5800万ユーロ(約1000億円)になっている(Wikipedia)。しかしそれでも、ウォルト・ディズニー・カンパニー側はユーロ・ディズニーの増資を引き受けるなどして引き下がる気配は微塵もない。意地の張り合いに近い。



アメリカの文化侵略とは徹底的に闘うおフランスのお国柄がブルゴーニュでのサンタクロース人形火あぶりの儀式をやらかしたのである。でもやっぱしサンタのプレゼントは嬉しいよねえ、国内商業・サービスの売り上げも嬉しくなるよねえ、ということでいちおうメンツっつーヤツも保って、翌日にはめでたく“復活”を遂げたわけである。



日本はどうであろうか? なにしろ終戦直後、ついこのあいだまで敵国であったアメリカからやってきたロカビリーで踊り狂って“日本人は分裂症か?”と報道された日本である。もろ手を挙げてクリスマス・ウエルカム!! サンタクロース・カモン!! である。イブの夜のホテルの「揺れるタイム」はほんとうに揺れてしまうのである。



海の向うからやってきた事物を受け容れるのに日本はまったく躊躇もてらいもない。オレはキリスト教徒じゃねーし、などとのたまうオトーさんも若い彼女ができれば大喜びでクリスマスプレゼントに十字架のついたアクセサリーなどを買ってしまうのである。パパはワタシのサンタさん、などと呼ばれたりしたらウレシすぎるー!! なのである。



どうしてそんなことになってしまったのか? 日本にも大きな袋を担いだ大黒さまがおられるではないか。堀井憲一郎はこう書いている。



「クリスマスを盛大に祝うことは、キリスト教から逸脱していくことになる。だから、積極的に祝いだした。キリスト教と敵対せず、しかしキリスト教に従属しない方策として、クリスマスだけ派手に祝うことにしたのだ。」



ほんとうにそうか? そんなに自覚的・戦略的なものなのか? うむ。そのあたりのことはまた明日までに考えようっと。今回のまとめもそのときに。(了)




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