2018年10月13日土曜日

深夜2時。カツラをかぶった62歳の男が女湯にひとり



眠くなったら寝て目が覚めたら起きるというズボラな生活を続けてきたので、眠れなくて困ったという経験はありません。横になった途端、さっき誰か後ろからオレのこと殴らなかったか? とあとで疑うくらいパッタリ眠りに落ちていきます。したがって「米軍式2分で眠りに落ちる睡眠法」など試してみるヒマもありません。2分ももちません。



しかしいちおう念のために付け加えておくと、だからといって生活時間がめちゃくちゃというわけでは決してなくて、自ずと1時間半眠って4〜5時間起きるというリズムができ上がってしまっています。4〜5時間のほうはときによって変動がありますけれども1時間半のほうはほぼ正確にそれで固定されています。ここまでズボラに生きてきてなおかつまだ摂理に縛られていると考えるとなんだか少しおもしろくありません。



横になって気がつくとボンヤリしていた、ということはあります。そんなときはつまらないことの尻尾を追いかけ回して想像を逞しくしているのです。今回はそんな感じで話を進めましょう。まずはそのテーマ。↓





◆『日テレNEWS24』2018年10月11日配信
【女性用カツラに全裸でホテルの女性風呂侵入】

《 三重県亀山市で女性用の長い髪のカツラをかぶってビジネスホテルの女性風呂に侵入した疑いで男が逮捕された。

逮捕されたのは、三重県亀山市の会社員・森川勝敏容疑者(62)。警察によると、森川容疑者は10日午前2時頃、亀山市内のビジネスホテルの女性風呂に、無断で入っていたという。

当時、風呂場には宿泊客はいなかったが、森川容疑者は全裸で、頭には女性用の長い髪のカツラをかぶっていた。

容疑を認めているという森川容疑者は「仕事のストレスがたまり女性の気持ちになりたかった」と話しているという。警察は、ホテルに侵入した時間や経路などについて調べている。》





むかし「四人囃子」というプログレバンドがあって、そこのギターが森園勝敏(64)という人でした。こちら森川勝敏(62)。2014年に癌で亡くなった大物プロデューサー・佐久間正英(享年61)もここでベースを弾いていましたね。



森園勝敏はなにをしたかったのでしょう? もとい。森川勝敏はなにをしたかったのでしょう? 「仕事のストレスがたまり女性の気持ちになりたかった」というのはどういうことでしょう? 単純に別人になりたかったということでしょうか? いや、そうではありますまい。それならいわゆるそこらのコスプレで済みます。



わざわざ危険を冒してまで女湯に入るのですから、“裸の女と一緒にいる女の気持の自分”になりたかったのでしょうか? つまり「いやーん、ワタシももっとおっぱいほしー」みたいなことでふざけあいながらワチャワチャしたかったのでしょうか? そんなことムリに決まっているではないですか。



ぶにょぶにょぷよぷよした女の体にまみれていれば癒されそうだ、という気分はわかります。まみれなくても同じ空間にいるだけで肩の張りが解けていくというような妄想も男としてわからぬでもありません。



しかしそれは男のアタマのなかでつくられた母性幻想でしかなく、現実にそんなふうにやさしい思いやりと抱擁力に満ちたぶにょぶにょぷよぷよなどは絶対に、金輪際、存在しません。そらま現実はシビアでっせ。



そんなことよりいざ女湯の客が入ってきたとして、その裸を見て思わずファン・ビンビンになってしまったらどうするつもりであったのでしょう? ということのほうが気になります。股のあいだに挟んでも限界はあります。62歳はまだまだ現役のはず。



そうなのよ。この事件が妄想ネタとして魅惑的なところは、女湯で裸を見ると同時に、自分もまた裸を晒す、しかも多勢に無勢、見世物にされるかもしれないという“見る⇔見られる”主客の交換、立場の転換が行われているところです。森川勝敏は窃視症でありつつ露出症でもあるのでしょうか?



ならおもしろいのですけれども、しかしそうした性癖の顕現はかなりの緊張のうえに成り立つものですから「仕事のストレスがたまり女性の気持ちになりたかった」という癒しを求めるおっとり気分にはそぐわないでしょう。



やはりはじめに戻って「女性の気持ちになりたかった」というその「女性の気持」とはなにか? 森川勝敏のなかで女性の気持はどのようなものと理解されているのか? ということを考えてみなければなりません。



なんでしょうね。一部の女性、あくまで一部の女性ですけれども所作や物腰が優美に見えるので、気持もそのようにゆったりと穏やかにくつろいでいるはずだと思っているのでしょうか? そうでしょうね。ストレスが溜まっているのでなりたかった気持、ですから。



とすると、森川勝敏は女にそんな幻想を抱くほど孤独だったのか、それとも女とはそういうものだという所与の感覚から抜け出せていないのか、と疑ってしまいます。最近こういう人、つまり所与の感覚から抜け出せない人が多くて、たとえば女といえば性の対象としてしか見られないというパターンが時代に逆行して増えている気さえします。興味の範囲の情報だけを漁っていればそうなりますわいな。



以上を踏まえたうえでワタクシ思うに森川勝敏、ただ女湯という場所に入ってみたかったのではないでしょうか? タイのサッカー少年たちが洞窟に潜り込んだように、ただ女湯という場所に憧れたのではないのでしょうか? 実際にほかに客はいなかったようですし。裸目的なら午前2時の女湯にオジジが1人ぽつんと佇んでいても、おもしろくもなんともないはずですから。



女湯に潜り込めばうるさい上司も追いかけてこないし、まさか家族もそんなところに隠れているとは思わないでしょう。「仕事なんてヤだよ〜。会社なんか行きたくないよう〜。課長の顔なんか見たくないよう〜。家に帰ってもドキドキ緊張するだけだよう〜」。62歳の幼児性会社員オジジが逃げ込んだ場所、深夜の女湯。



子どもみたいに大泣きできればこんなことにはならなかったのかもしれません。これはありうる、とボンヤリしたアタマで考えました。(了)



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