2018年10月18日木曜日

「死んだら負け」って、松本人志ずいぶん大雑把に……



お笑い芸人に良識を求めてどーする? というお話ではある。しかもこのブログではおなじみの松本人志(55)である。おもしろくなさそ、とどこかへ行かれても仕方がない。でもいちおう書いておこう。でないとストレスが溜まりそうだ。



とりあえず今回の松本人志発言について下の記事をご覧いただきたい。お忙しい方は第3段落だけでも大丈夫。





◆『スポーツ報知』2018年10月17日配信
【松本人志、再度主張!自殺する子どもを減らすため「死んだら負けや」を「オレは言い続けるよ」】

《 「ダウンタウン」の松本人志(55)が17日、自身のツイッターを更新し、「自殺する子供をひとりでも減らすため【死んだら負け】をオレは言い続けるよ。。。」とつづった。

松本は14日放送のフジテレビ系「ワイドナショー」(日曜・前10時)で愛媛県が拠点のアイドルグループ「愛の葉Girls(えのはガールズ)」メンバーとして活動し、3月に自殺した大本萌景さん(当時16)の遺族で母親の大本幸栄さん(42)らが、自殺は所属事務所によるパワハラや苛酷な労働環境で精神的に追い詰められたためとして、代表取締役やスタッフらに総額9200万円の損害賠償を求めている裁判を特集した際、「こういう自殺の話になったときに、原因をみなさん突き止めたがるじゃないですか」とした上で「正直言って、理由なんて自殺、ひとつじゃないと思うんですよ。いろんな複合的なことが重なって、許容範囲を超えちゃって、それこそ水がコップからあふれ出ていっちゃうんだと思うんです。これが原因だからってないんです。ないから多分、遺書もないんです」と自身の見解を示した。

その上で「これは突き止めるのが不可能で、もちろん、ぼくは事務所が悪くないとも言えないですし、言うこともできないんですけど、我々、こういう番組でこういう自殺者が出てこういうニュースを扱うときになかなか亡くなった人を責めづらい、責めれないよね。でも、そうなんやけど、ついついかばってしまいがちなんだけど、ぼくはやっぱり死んだら負けやっていうことをもっとみんなが言わないと、死んだらみんながかばってくれるっていうこの風潮がすごく嫌なんです」と持論を展開した。

この発言にSNS上で賛否両論、様々な意見が寄せられていたが、この日のツイッターで松本は改めて自身の考えを明かした形となった。

このツイートをお笑いコンビ「さまぁ~ず」の三村マサカズ(51)は、リツイートし「いい言葉です。それに、どう応えようか、思っているうちに画面が、消えて行くんです。間。。を下さい。1日でもね。間。。。を下さい。間に合うかも!!!!ですから」とつづっていた。》





松本人志を代弁してもう少していねいに説明しよう。自殺すれば同情されるしニュースになって注目される、ちやほやされる、少しは自分のことや置かれた状況について思いを致してくれるかもしれない——、そういう考えが蔓延すれば自殺者はさらに増えるばかりだろう。だから「生きなきゃいかん」という意味を込めて「死んだら負けや」といい続けるのだ。



たいへんけっこう。しかし表現の仕方も、そしてその土台にある考えもたいへんに粗過ぎる。人の生き死にについて語るのである。粗雑なものいいは厳に謹まなければならない。たとえば、そう。ワタクシが代弁して説明しなければ伝わらないような話はするな、ということである。



そもそも「死んだら負けや」というフレーズがもっている意味についても松本人志の扱いは粗い。粗いというか鈍感である。長いあいだに培われてきたイメージもふくめての意味。そこには苦しみから逃げてはいけないというメッセージがあり、万策尽き果て一条の光さえ見い出せず気力まで失ってしまっていても、それでも頑張れという叱咤激励のエールがある。死んで花実が咲くものか、である。そういう言葉としてみな了解している。



「死んだら負けや」というフレーズの前にはとうぜんのこととしてそういう、「あんたの気持も含んだ上でいっているんやで」という共通の認識、親身に気持を寄せて、という意識が形づくられている。そういう言葉だという常識がある。だからこそ「あんたにいったい何がわかるんや」という反発が生まれたりする。



こうした言葉に対する感覚が松本人志にはないらしい。松本人志が「死んだら負けや」という理由は、「死んだらみんながかばってくれる」と思っているだろうから、そしてそう思ったり実際にかばったりする風潮がイヤだから、だとこの記事では読める。オレはそんなのはイヤだから止めてくれ、とはずいぶん傲慢なお話である。これでは響かないどころか反感を呼んでもしかたがない。



たとえば、実は私も何回も自殺を決意したけれども結局怖くて、勇気がなくてできなかった。そんな私がいうのもおかしいけれども死んだら負けやで、といわれればストンと胸に収まるものがあるであろう。



そこまではいかなくても、たとえば熱血教師や可愛い妹がいうのでも、その気持はわかる。しかし松本人志の気持は自分勝手なだけである。



こうなってくると松本人志はいったいどういう立場で「死んだら負けや」といっているのか? いい続けたいのか? が疑問になってくる。ワタクシが思うにそれは溺れ流されていく人がいたとして、そこからは遥か遠く離れた安全な河岸みたいなところで語っているんだろうなあ、である。遠くから「死んだら負けやで」。



でもって遥か遠く離れた河岸であるから、「アイツ『死んだらみんながかばってくれる』と思っているのだろうな」などというアラ探しもできる。弱者のアラ探しをするヒマがあるのなら傲り高ぶっている強者の鼻をあかすことを考えてもらいたいものだが、松本人志にはそんな気持はサラサラない。



まあ、そもそも「死んだらみんながかばってくれる」こともひきがねになって自殺する人間がどれくらいいるか、というお話である。ここからがすでに強引である。なぜか? なぜそんなに「死んだら負けや」といいたいのか?



松本人志にとって自殺する人間はすべからく敗者であり、敗者は敗者以外の何者でもないからだ。それが『ワイドナショー』で自殺を扱うときに露呈したということであろう。松本人志にとって「死んだら負けや」は「負けたら死ね」とほぼ同義なのである。こういう連中が多過ぎる。



自分の考えもまともに説明できないような男が勝ち負けでモノを考えてもロクなことにはならない。一刻も早くそのことに気付いていただきたいものである。さもないと三村マサカズ(51)みたいなバカがまた増える。(了)




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