昔話で恐縮である。いまからおよそ30年ほど前、私がまだ子どものころ、コンパクトディスク、CDというものが出てきたのである。LPサイズで直径12cm、プラスチック製の銀色の円盤である。
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そのCDをはじめて聞かせてもらったときは驚いたのである。たしかPINK FLOYDの『炎』だったのである。当時3500円もしたのである。『炎』はすでに70年代に発表されていた作品である。であるからアナログでの音は聴いていたのである。
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で、CDのなにに驚いたかというと、まったくの無音からいきなり音が立ち上がってくるところである。アナログレコードの場合、針を落として数秒から十数秒ほどのあいだ、スクラッチノイズを聴きつつ心の準備をする余裕があるのである。
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とはいえノーモーションの一撃にはすぐに馴れたし、スクラッチノイズがないぶん音はずいぶんクリアに聴こえたのである。そして、とにかくCDはアナログレコードに比べて取扱いが楽なのである。
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しかし音楽ファン、オーディオファンと呼ばれる人たちに、CDはあまり評判はよくなかったのである。CDの音の規格が気に入らなかったのである。それまで規格などは気にせず楽しんでいたのである。
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アナログテープ以外、媒体はアナログレコードしかなかった時代である。アナログレコードにももちろん規格はあるのである。しかし他に比較する媒体がなかったので、規格というものにはこだわる前に考える必要もなかったのである。
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ほとんどの人は、CDの登場によってはじめて音の規格ということに気付かされたのだろうと思うのである。極端な話、この、いままでどこかに隠れていた規格という存在自体が不快だったのである。
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すこし大げさにいえば、音楽に対峙して聴き入るような人が多かった時代である。「ジャズ喫茶でレコードと闘う」なんて話も聴いたことがあるのである。次はああ来る、こう来る、と考えながら聴くのだそうである。そういう音楽は確かにあるが、いまではとても「闘う」まではいかないのである。
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スピーカーに向かい、どんなにかすかな音、かすかなメッセージでも聞き逃すまいと必死だったのである。いまは聴こえなくてもいつかある瞬間、もし体調が素晴らしくよければ、もしあと1目盛りだけボリュームを上げられたら、突然、それは神の啓示のように聴こえてくるかもしれない、みたいな期待や幻想もあったのである。そこに音の規格である。無粋きわまりなかったのである。
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低音についてはCDのほうが圧倒的に凄いということが、スペック(およそ4Hzまで)でも一聴してもわかったのである。超低周波のレベルがムリなく収まるのである。問題は高音である。CDの高音は理論値22.05kHzまで、と決まっているのである。どんなに頑張ってもそれ以上にはならないのである。この、パッツンと切られた感じが嫌だったわけである。
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ちなみに人間に聞こえる周波数の範囲は20Hz-20kHz といわれているのである。並べてみると22.05kHzという数字は確かにカツカツ感があるのである。このカツカツ感も嫌だったのである。しかし私の口座よりは余裕があるのである。
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実際には、数字の見た目にはカツカツ感はあっても、22.05kHzまでの高い音がふつうにガンガン聴こえているわけではないのである。20kHz 前後というのは、よほど耳のいい人でない限り、ほとんど音として認識されない帯域なのである。もともとアナログレコードにもそれほど入っていないのである。しかし音楽ファン、オーディオファンは、この「よほど耳のいい人」という例外に、果敢に自分を捧げてしまうものなのである。
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たとえば、FMラジオの上限は15kHzである。モスキート音はだいたい17kHzである。コンビニの前などにたむろする若者に嫌がらせをするやつである。人間はジジババになると高音がだんだん聴こえにくくなるのである。モスキート音はそこを利用してジジババには聴こえない音で若者の耳を攻撃するわけである。私はジジだが、なんだかタカをくくられた感じでいやなものである。
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で、話は戻って当時、80年代の中頃、各オーディオメーカーは、文句タラタラの音楽ファン、オーディオファンに対し、声を枯らして「20kHzまででも人の耳にはオーバースペック!!」みたいなことを叫んでいたのである。「聴こえないものを再生してどうする!!」、という姿勢だったのである。
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しかもCDの問題はさらにもうひとつあったのである。あたりまえのことだが、CDを聴くにはCDプレーヤーを買わなければならなかったのである。当時の5万9800円は大金である。そのためにメーカーがなにをしたかというと、レコード会社と結託して、新譜アナログレコードの発売をCDよりも1ヵ月も遅らせる、などということまでやってのけたのである。なまらえげつないっしょ。
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それから約30年、いまやハイレゾブームなのだそうである。ハイレゾとは「High-Resolution(高解像度)」の略である。CDの規格を超えたものがとりあえずハイレゾとされているのである。CDの規格を決めるときに周波数をどこで切れば十分かの議論はさんざんやったはずなのである。しかも当時もいまも、CDとそこそこのハイレゾの製品化技術には大差がなかったはずなのである。なのにいまさら思い出したように、である。
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実際にハイレゾの音を聴いてみたのである。私の駄耳ではCDとの違いははっきりわからないのである。オーディオマニアと静かな音楽を一緒に聴きながら「ここらあたりがはっきり違う」といわれれば、「そうかも」、と思い、「いやいやそれはプラセボ効果」といわれれば、また「そうかも」と思うのである。
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そしてまたまたやっかいなことに、CDのときと同じく、ハイレゾを聴きこなすにはそれなりの装置や、あるいはハイレゾオーディオ用に準備したパソコンが必要なのである。いま手もとにあるスマホやタブレットを使い、ヘッドホンで聴くというならまた話は別である。しかしそれでは体感する低音はまったく無理な話になるのである。しかも頭蓋骨のなかで楽器が鳴り、人が歌ったりするのである。
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さて、いまや「ソニーは、ハイレゾ」なのである。駄耳を疑ってしまうのである。ソニーはかつてCD開発の中心にいた会社である。見回せば他のメーカーも「聴こえない音にも音楽がある」とかなんとかである。繰り返しになるが、30年前には、22.05kHzでもオーバースペックだ、聴こえない音を再生してなんになる、とさかんに強調していたのである。
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いったいどのクチで喋ってるんだ? である。私は音のよしあしを問題にしているのではないのである。問題なのは、いかにも安直に新製品、新規格を投入してくるメーカーの姿勢である。まあ、問いただせばきっと「CD以降の経過のなかで聴こえない音の大切さを改めて認識しまして」とかなんとかいうのであろう。それならその改めて認識した時点、というのをはっきりさせてもらいたいものである。
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いくらオーディオ製品が売れないといっても、人間の耳がいい加減なものだとしても、メーカーとしての誠意が感じられないのである。自動車は時速100kmで走れれば十分、とかいっておいて、そんな自動車がだいたい行き渡ったところを見計らって、本当は咄嗟の危険回避のためには200km出せる能力が必要、とかいうのと同じようなものなのである。考えてみるとこのパターンはほかにもいろいろと多いのである。きっと市場が飽和しているのである。
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……ちょっとバカにしてませんか、コレ、30年経っているからいいの、じゃないですよ、コレ、100万円以上もするCDプレーヤーを買った人たちだっていっぱいいるんですよ、なけなしの金はたいて、コレ、つい最近まで、コレ、どーしてくれるんですか、コレ、コレ、やりたい放題じゃないですか、コレ!!(by岡村隆史)。
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人というのはいい加減なものである。わずか30年で「いい音」が変わってしまうのである。そしてそれはほとんどメーカーの都合である。とがめ立てする声すら大きくはならないのである。たかだか音楽、しかもごく趣味的なレベルのオーディオの話ではある。しかし確かに少し薄ら寒い感じはするのである。(了)





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