10月12日にスタートした「元少年A」の有料ブログマガジン『元少年Aの“Q&少年A”』のアカウントが凍結されている。凍結されたのは15日である。月額800円の購読料で隔週月曜日に配信の予定であったから、同ブロマガはあえなく創刊号だけでストップしてしまったことになる。
*
終戦直後に盛んに出版されたエログロ雑誌は、だいたい3号目を出したあたりで廃刊、休刊になったらしいのである。3号でつぶれたのである。なに? 3合でつぶれる? まるで安酒じゃねーか、というわけで「カストリ雑誌」という呼び名になったのである。
*
カストリというのは、もともと酒粕をさらに絞ってつくった粗悪な酒のことだそうである。『元少年Aの“Q&少年A”』は、ネーミングがクドいだけでカストリにもなれなかったわけである。
*
*
さて、今回のあまりにも迅速、唐突な凍結について、「元少年A」は公式ホームページとうたった『存在の耐えられない透明さ』に謝罪文を掲載している。それによると、まず「アカウント自体が凍結されているため、何の操作も行えず、現在為す術がない状態」であることが説明されている。
*
そして、すでに購読申し込みをした人にクレジットカードによる自動引き落とし設定を解除するように呼びかけているのである。わざわざその手順まで記載しているのである。そのうえで「このたびは大変なご迷惑をおかけしてしまい、本当に申し訳ありませんでした」である。
*
しかし、アカウントが凍結された理由にはふれられていない。とはいえ「元少年A」自身がブログ運営会社に直接問い合わせていないとは考えられないのである。たとえば著書『絶歌』の出版を最初に相談した幻冬舎社長の見城徹(64)に対する激しい糾弾は、徹を恐怖に陥れたほどだといわれているのである。
*
*
あるいはまだブログ運営会社とのやりとりの最中なのかもしれないが、10月17日未明の現在、ホームページ『存在の耐えられない透明さ』上に追記はない。ブログ運営会社への不満や怒りなどは最初からいっさい記されていない。
*
一説には、警察との摩擦を危惧したブログ運営会社が早めに手を打ったのではないかといわれている。ブログやホームページを開設するにあたっての契約には、ほとんど必ず、実質的に運営会社の一存によって解除できる旨の一文がある。しかし私の見た限りでは、問題はなかったのである。
*
それにしても「元少年A」の今回の対応は、33歳のオトナとしてしごくまっとうである。15日に凍結されて16日には前記の謝罪文「ブロマガ凍結のお詫び」が掲出されているのである。淡々とした事務文である。
*
*
先入観に満ちたいいかたに受け取られたかもしれないが、私は「元少年A」の人柄を理解したいのである。そのために、ときどきの印象を見過ごしたくないのである。私にはまだ「元少年A」を理解できないところがあるのである。
*
で、こうして思いもよらずしごくまっとうな「元少年A」を感じたときに、ふと「元少年A」も世間も案外、無防備なものだなと思ったのである。というのは、少なくとも私は「元少年A」の公式ホームページが立ち上がったときから、この「元少年A」がかつての「酒鬼薔薇聖斗」だと信じて疑わなかったことに思い至ったからである。
*
しかし考えてみれば、公式ホームページやブロマガの「元少年A」がかつての「酒鬼薔薇聖斗」である保証はどこにもないのである。よくいわれる「当事者しか知り得ない秘密の暴露」も、公式ホームページやブロマガには見あたらない。
*
以前に書いた、公式ホームページの主体はいったい何者か、という話題に戻りそうだが、いまの私は「元少年A」がかつての「酒鬼薔薇聖斗」だと信じているし、現在の公式ホームページもブロマガも「元少年A」が1人で担っていると思っている
*
しかし、考えてみれば「元少年A」がかつての「酒鬼薔薇聖斗」である保証はどこにもない。しかも「元少年A」は、一般的な呼び名であって固有のものではないのである。少年時代に罪を犯した男は全員「元少年A」だし、犯罪歴にこだわらずに、もっと広くオトナの男は全員「元少年A」だということもできる。
*
これは「元少年A」にしてみれば、「元少年A」を名乗る限り無限に存在証明を求められることである。「であるかもしれない」、は同時に「でないかもしれない」であって、しかも可能性はどちらも完全にゼロになることはないのである。ああ、ややこしいのう。
*
*
さらにもしかすると、「元少年A」を名乗るひやかしが続々と出現するかもしれないのである。それは誰にも止められないのである。悪意あるなりすましが登場するかもしれない。「元少年A」は再び「存在の耐えられない透明さ」に突き落とされるのである。
*
そこのところ、「元少年A」にはやはりいささかの危惧はあるのである。ホームページ上に、情報の発信はここだけに限り、他に何かを1文字でも書き込む場合には必ずこのホームページ上に告知する、と但し書きをつけているのである。
*
*
ホームページでの告知(=裏付け)がない限りは自分の文章ではない、というわけである。なかなか賢いやり方である。しかしそれは気休めである。なんとでも嘘はつけるし、いまやほとんど誰でも偽サイトをつくれるのである。『存在の耐えられない透明さ』のコピーをつくるのも、きっとそれほど難しくはないだろう。
*
であるから、「元少年A」のネットデビューについては、世間、少なくとも私と「元少年A」とに共通する、肯定的な価値感、世界観が無意識のうちにあったわけである。
*
それがどういうものかというと、「元少年A」はリスク背負ってでも世間に発信したいものがあり、世間は眉をしかめながらもそれを許したということである。少なくとも私は面白半分に「元少年A」を名乗ろうとは思わなかったのである。
*
私と「元少年A」とは、無意識のうちに、ぎりぎりのところでお互いを認めあっていたわけである。もちろんそれは通常の社会規範に、わずかに紙1枚ほどの厚さで乗っかっているのに過ぎないものだとは思う。しかしそれでもなお、人にとっての一筋の光ではないかと感じるのである。
*
話は変わるが、『元少年H』といえば背妹河童(85)である。「元少年B」というと従犯であったと告白しているようなものである。「元少年」とだけいえば、自分を「僕」と呼びそうである。しかし60歳を過ぎても自分のことを「僕」と呼べるのは萩本欽一(74)くらいのものである。
せっかく思いついた小ネタが余ったので書いておいた。失礼。(了)




0 件のコメント:
コメントを投稿