私が松居一代(58)とともに最も怖れている女、眞鍋かをり(35)が予想通り出産をしていたのである。10月中旬だったそうである。つい先頃である。おめでたいことである。で、『産経新聞』によると、母子ともに健康で出産日は非公表らしい。性別も意図的に非公表なのか、まだ伝わっていない。
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予想通り、というのは3日前の記事で松居一代を取り上げた際に、眞鍋かをりについても少しふれたからである。そしていまごろマザーエイリアンになっているかもしれない、とたいへん不謹慎ないいかたをしているのである。
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私にとっては恐怖のイニシャル、MKsなのである。その私が感じる怖さについて、拙いながらそこに書いているのである。しかしアーカイブを覗くのが面倒という方のために、以下、転記しておくのである。
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《松居一代、眞鍋かをり、期せずして2人のイニシャルは同じMKである。DAIGOにいわせれば「マックス怖い」である。しかしMKのこの怖さをいいあてるのは、なかなか難しい。一般的に表現すればきっと「旺盛な生命力」になるのだが、その範疇にはおさまってくれないのである。「一般」を逸脱しているのである。もっとブルータルなのである。》
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《ブルータル、獣性である。精神分析でどんどん掘り下げていって、獣と同じ地点にたどり着く一歩手前で出会う怪物、みたいな感じである。それを強いてひとことにまとめれば、「 旺壮な牝」である。「旺」も「壮」も盛んな感じを表す語である。旺盛で壮烈な牝である。で、同時にその裏側に「剥き出しの死」を予感させるのである。》
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《「旺壮」という言葉は現代の日本にはないはずである。「壮」は、本来は男に対して用いられる言葉である。混乱しているが、こじつければMKは神話的な存在たりえるというわけである。》
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まっこと表現能力不足で申し訳のねぃことでごぜぃやす。汗顔のいたりでごぜぃやす。ともあれこうして眺めてみると、私は恐怖と不安がごっちゃ混ぜになっているようである。恐怖は対象がはっきりしていて、不安は対象があいまいなものである。MKs は私にとってそういう存在なのである。
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おお、そしてなんと私は、3日前には「MK」の2人を「MKs」と表記する思いつきすら浮かばなかったのである。ああバカな私(byいつかのかをり)である。しかしそのかわり、? かをりをか? 、回文を見つけたのである。
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出産日を公表しないのにはなにか理由があるのであろうか? 予定は最初から10月とされていたから、出産に際しての大きなアクシデントはなかったと思うのである。出産日から特定できることがなにかあるのであろうか? まあ、人生いろいろなので、子どものことをあれこれ知らせる必要はないと私も思う。
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ではあるけれども、私はお2人のお子さんの誕生日は10月8日だと睨んでいるのである。和哉の誕生日だからである。かをりはそのくらいのことはやる女である。そのくらいのことはやる、などと、まったくのアカの他人の無責任ないいがかりである。
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であるから、かをりには申し訳ないと思うのである。申し訳ないと思いつつ、考えたり書いたりすることは止められないのである。性懲りもなく。そしてそうこうしているうち、私のなかで怖いイメージがまたどんどん増幅していくのである。そのこと自体もまた怖いのである。ちなみにかをりの誕生日は世紀の預言者エドガー=ケイシーと同じ3月18日である。
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眞鍋かをりが自分のブログで「妊娠と結婚」を発表したのは今年、2015年の6月26日のことである。「いつも応援してくださっている皆様関係者の皆様へ」とし「私、眞鍋かをりは かねてよりお付き合いしておりました吉井和哉さんと結婚し、現在新しい命を授かっていることをご報告させていただきます」。と書いたのである。
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いささかフライングである。『スポニチアネックス』によると、婚姻届が提出されたのは先月、9月に入ってからである。まあ、厳密にいえば法的手続きをとらない、いわゆる事実婚でも「結婚」と呼ぶらしいのである。であるからかをりの発表も嘘や間違いではないのである。お互いの家を頻繁に往き来していたらしいし。でも違和感は残るのである。
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そしてその理屈が通るなら、かをりは、2007年から2010年まで、およそ3年間付き合って別れた麒麟の川島明(36)とも「結婚」していたことになるのである。そうであればかをりと和哉は再婚者同士である。最近私はこういう私が嫌いである。
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ここでもうひとつの疑問は、かをりはなぜ6月26日まで「妊娠と結婚」、あ、間違えてた「結婚と妊娠」を発表しなかったのか、である。10月に出産したのであるから、6月に入れば妊娠6ヵ月。法律の定めによる中絶可能な期間は21週6日、つまりだいたい5ヵ月いっぱいである。
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裏にどういう事情を想定するにしても、これでいちおうの説明にはなる。それは、実際にそういう要求がなされる怖れがある、ということではなくて、かをりがこんなことも考える思考、メンタリティの持ち主だから、ということである。水の深さは膝くらい、と思っていたのに、ほんとうは足がつかないほどの深みだった、みたいな、日常の想定を超えた怖さである。
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もうひとつ、これまたどこからともなく流布されはじめている遅延の理由がある。和哉には前妻とのあいだに4人の子どもがいるのだが、その長女が、何月かはわからないものの、今年の春に子どもを産んでいるのである。和哉、おじいちゃんである。おお、かをりは義理のおばあちゃんか。もとい、その長女の気持ちに配慮して6月まで伸ばした、という説である。しかしこれは弱い。
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長女の気持ちに配慮するというなら、和哉との交際が発覚した2012年当時、結婚の予定を聞かれて「どうですかね?でも本当にいま、すごくすべてが順調で幸せな状態なので」といい、おなかが膨らむしぐさをして「これ(妊娠)はないです」というのはないです(『日刊スポーツ』)。
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仮に2012年のインタビュー問答をかをりの暴走とし、妊娠発表の6月までの引き延ばしは和哉の要望だったとしても、そこで「結婚」まで発表していいという話にはならないと思うのである。
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つまりこれまでの発表、発言はすべてかをり一人の判断で行われていて、そしてかをりは「これはないです」というヤツなのである。蛇足だが、和哉にしてみれば、少しくらい発表を先伸ばししても、孫と子どもが同い年という事態に違いはないのである。
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2人の関係を少しさかのぼってみよう。まず、和哉が前妻と離婚したのは、これも公表されていないが、諸般の状況から2008年といわれているらしいのである。『日刊スポーツ』が和哉とかをりの「2人の熱愛」を報じたのは2012年2月である。知り合ったのは2011年の秋ということである。したがって、かをりと和哉に不倫の事実はないのである。かをりは2010年まで明と付き合っていたのだし。
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そして和哉は、離婚後の養育費の負担は当然として、子どもたちとつねに良好な関係を保ち続けていたそうなのである。一説には「溺愛」である。そのこともあって、和哉はかをりとの結婚には消極的だったといわれているのである。2013年4月には『サンケイスポーツ』が「破局」とまで書いているのである。
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しかも最近になっても『女性自身』ネット版に「眞鍋かをり 妊娠8ヵ月の異変…夫の姿がどこにもいない!」と書かれているのである。8月26日である。事実だとすれば、ここへきて和哉は婚姻届の提出もそうとう渋っていたと推察されるのである。実際にそれは出産の前月の9月だったわけである。
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いやだけど、である。ここでひとついっておかなければならないことがあるのである。和哉、やることはやっておいて、そのあとであれこれ前妻との4人の子どもの気持ちが、とかなんとかいってもダメなのである。自分の気持ちがかをりから離れて、とかもっとダメなのである。
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和哉は離婚の際、妻と子どもに全財産を置いてきたらしいのである。筋を通そうとする男なのである。子ども思いなのである。しかし、それなら2015年の姫初めはなんだったのか、いや、妊娠させたのはなんだったのか、ということなのである。筋を通すならわが身を律するところから、である。しでかしてしまってから筋を通そうとするから、みっともないことになるのである。性懲りもないことである。
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かをりにいわせれば、和哉は中学生時代からの憧れの人だったのだそうである。ついに思いが叶ったわけである。しかし和哉との結婚は世間でいう玉の輿でもない。CDがまったく売れない時代である。金が目当てではないことはよくわかる。しかも和哉、すでに49歳である。かをりはもうすぐ自分よりひと回り以上も年上のジジイを抱え込むことになるわけである。損得ではないのである。
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MKsの片割れ、松居一代が金の亡者と化しているのに較べれば可愛いもののように見える。しかしかをりの場合も、人並みはずれて欲望に忠実、強烈な煩悩を抱え込んでいることにかわりはないのである。執着の度合いが尋常ではない感じがするのである。
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「ワニ族」という言葉を覚えておられるであろうか。レニ・リーフェンシュタールの写真ではない。混浴温泉で、目から上だけを湯から出して、女が姿を現すのをジッと待っている男たちのことである。和哉との「結婚、妊娠」には、かをりの計算ずく、たくらみがいくつも覗いている。妊娠ですらそうである。
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しかし状況証拠はあっても客観的に証明するものがないので、疑惑である。その疑惑の暗い沼の水のなかから顔の上半分だけを出し、ギラギラした狂気に充ちた目つきでこちらを見つめているのが、かをりである。厳密には、私にとってのかをりである。私はその黒い沼から遥かに遠く離れなければ、人間というものをふつうに考えられないのである。
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遥かに遠く離れて考えたら、少し切なくなってきたのである。吉井和哉である。和哉は東京都北区の出身で、父親は旅芸人である。その父親は和哉の小学校入学前に亡くなり、しかし母親との関係もよくはなかったらしいのである。それで家出をしたりしたそうなのである。
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その家庭に恵まれなかった経験が、自分の子どもへの「溺愛」につながっている、ということなのである。和哉の暗く、少し崩れた感じの色気も、きっと旅芸人の父親譲りのものなのだろうということで合点が行くのである。決して蔑視しているわけではなく。
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で、和哉はあたたかな家庭というものがほしくてたまらなかったと思うのである。「喪失感が僕の表現の基本」と和哉自身も語っているのである。しかし結局は4人の子どもに恵まれたものの離婚し、私から見れば新しい女に振り回される形で別の家庭をもつのである。望んでいたものとは違うはずである。だから婚姻届の提出もギリギリまで躊躇したのである。
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おそらく、自分がやってきたことはなんなのか、なんだったのか、自分の人生は……、と自問していると思うのである。いや、それはもう少し年齢が上がってからかもしれない。ともあれ、夢を自分で裏切ってしまうこの性懲りのなさ。和哉が望んでいたことではないが、立派な表現者の資質であると思うのである。(了)


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