2015年10月21日水曜日

ジジババが「若者の恋愛離れ」を心配しても…。『おはよう日本』




NHKの『おはよう日本』10月19日放送分によれば、若者の恋愛離れがすすんでいるそうである。「恋愛はコストパフォーマンスが悪い」と考えているヤツが多いかららしい。



街頭インタビューでは「仲よくなるまでもっていくのが面倒」「相手のことを考えて行動しないといけないので、ちょっとそれが面倒くさい」と答える姿もあった。




担当ディレクターの総括によると、ゲームやネットがものごころついたころからあったいまの若者は、以前より恋愛の相対的な価値が低くなっているらしいのである。ベタすぎる話である。確かにゲームやネットは追加されたが、一方では小川や原っぱは消去されているのである。だから相対価値うんぬんをいうなら、アダルトビデオやエロサイトといわなければならないのである。



そして「努力が必ずしも報われない」と考えているヤツが少なくないため、「自分が費やした時間やお金に見合った対価が得られるかということに敏感」になっているのだそうである。では、1日がかり1万円ならあんなこと、それで10日がかり10万円ではあんなことやそんなことにこんなことまでおまけにつけてよう、ってことなのか? セコくないか?




この担当ディレクター自身、若者である。ここ数年恋人はいないらしい。「恋人がほしくないわけではありませんが、これといった努力をするわけでもなく、過ぎていく毎日」なのである。帰宅すると、買ってきた弁当を食べつつクラフトビールを飲み、アニメ『きんいろモザイク』の女子高生キャラたちを眺めるのである。



ふうん、である。まず最初のふうんは、では性欲の処理はどうしているのか? である。またお前は下ネタか、とわらわれそうだが、身近に簡単快適低廉な性欲処理の機会があれば、「努力が必ずしも報われない」恋愛への関心が薄れるのはあたりまえのことである。ええ、「性処理」ではなく「性欲処理」でごぜえます。「欲」のお話でごぜえます。


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性欲は恋愛の強力なドライビグフォースである。ドライビングフォース? カタカナ言葉。なぜこんなところで照れるのか? 駆動力のことである。であるから恋愛離れうんぬんを語るには、性欲の問題から逃げられないのである。それを性欲の処理状況に着目しないのは故意か過失か、いずれにしろやはり『おはよう日本』の手落ちである。



街頭インタビューの際にも、ディレクター自身をレポートする際にも、きちんと性風俗を利用しているのか、オナニーをしているのか、その頻度は、とつけ加えなければ、意味がないではないか。


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たとえばそいつがオナニーのしすぎでヘロヘロ状態だとしたら「仲よくなるまでもっていくのが面倒」などと答えてしまうのはあたりまえであろう。なにをするのも面倒なのだ。断っておくが、私は岩井志麻子(50)ではない。



次のふうん、は「草食男子」への連想である。性行為や女性に対しての興味関心が薄い、といわれる人たちのことらしいのである。とかいいながら、一方では「肉食女子」に食われる、などという言辞が弄されてもいるのである。


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この場合は結局、食われるだけの性欲はあるわけである。いや食ってほしいのである。「自分が費やした時間やお金に見合った対価が得られるかということに敏感」なので、そのリスクを女性に背負ってもらいたいのである。性欲はあるが精力と勇気はないのである。



であるから「草食男子」などという奥歯にものが挟まったような、あるいは代理店臭フンプンのいいかたではなくて「風俗男子」「オナニー男子」「臆病男子」とはっきりいえばいいのである。「絶食男子」は性欲を我慢している観があるので、そのままオッケー!! である。




しかしまあ、性欲が減衰しているというのは事実なのだろうと思うのである。とはいえそれを裏付けるデータがないので勘に頼るしかないのである。「自分はそう思うか?」みたいなアンケート調査など、さっきも書いたように性欲の処理のしかたについて微に入り細にわたって詳しく質問していなければ意味がないのである。



もし、エンゲル係数に準ずるエロリン係数というものがあれば、きっと話は早いのである。家計消費に占める飲食費の割合がエンゲル係数であるように、家計消費に占める性欲発散のための費用がエロリン係数である。


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デート代、交際費は除く、である。というか、もともと恋人がいない人が対象である。単身世帯のエンゲル係数はおよそ22〜23%である。エロリン係数もだいたいそんなものかもう少し低いくらいだろうという気はする。経年推移が見られれば参考になる。



エロリン係数が50%を超えると、極端に所得の低い場合を除いて、好色のレベルである。1日3色ではたりず、4色、5色である。もしエロリン係数が万が一にも100%を超えたら、一刻も早くその習慣を止めるべきである。


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で、性欲の減衰である。性欲が減衰しているのは、そこらに、あえてアダルトビデオなどとはいわなくても、異性の裸だとか媚態だとかがふつうに転がっているからだと思うのである。誰がリンゴ畑に生まれ育ってまたリンゴが食べたい、と心底から願うであろうか? 食うな、といわれているのに、つい手を出してしまうであろうか? そんなことは断じてあり得ないのである。



つまり、現代を生きる私たちの性欲は、少しづつ少しづつ、たゆみなくダダ漏れし続けているのである。誰かの言葉を借りればnever under controlである。勉強しているあいだも、仕事のあいだも、食事のあいだも、トイレのあいだも、つねにダダ漏れしているのである。たぶんこれ、現代日本人の特性である。そのうち世界が追いついてくるのである。




では、おしなべて日本人の性欲が減衰しているかというと、そうではないのである。このあいだも、児童へのわいせつ行為の常習で捕まった男が、テレビニュースで「我慢できなかった」といっていたのである。性犯罪は頻発しているのである。小塚崇彦の父さんの例もあるのである。浅田真央(24)の父さんも56歳で50代の愛人にDVである。



そんな歪んだ形ではなくても、異性のあいだを精力的に飛び回っている人たちはいるのである。オナニーや風俗に耽ったり、ただ大量にダダ漏れさせたりしているヤツが増えたおかげで、そういう人たちの行動はグンと広がり、また需要も高まっているのである。




旺盛な人がいる一方で、やはりもともと淡白な人はいるのである。いままでなにを書いてきたのか? という話である。気を取り直してほしいのである。つまり旺盛な人と淡白な人がいて、その差がはっきりしており、そして社会もそれを受け容れているように見えるのである。政治の場で少子高齢化が問われても、性欲の減衰が問題にされることはないのである。



旺盛な人がいる一方で、もともと淡白な人もいる。私はこれを「性欲のまだら分布」、と名付けているのである。ただの個体差ではあるが、それぞれに小さな群を形づくっているからである。そして「まだら分布」を流行らせたいのである。あと「ダダ漏れニッポン」も。




長くなったが、3番目のふうん、である。NHKの『おはよう日本』は、ほとんど男目線で語られていたのである。この原稿も男目線である。ちょっと女性を軽視してやいませんか? である。



しかし、それこそが偏見であるといわれると言葉に詰まるが、あまり違和感はないのである。もちろん女性にも性欲はある。だから等分に扱えということにはならないのである。前段も含めての男女の性行為の役割分担というものが植え付けられているからである。




男女というより雌雄である。異性にアプローチするのは、ほとんどの場合オスの役割である。野生の求愛行動は涙ぐましいものである。どこかのカエルなど蹴られても蹴られてもしゃにむにメスにしがみついていくのである。そんなわけで、知り合いにも「カエル男」と呼ばれているヤツが1人いるのである。



そのようにして強いオスが選ばれ、強い子孫が生まれるのである。つまらない理屈である。ともかく、であるから、NHKの『おはよう日本』で「恋愛に時間やお金を費やすよりも、趣味など自分自身のことに集中したいと考える若者」といえば、それは当然、男性というイメージになるのである。




そして私は、この流れで行くと、女性性はゆくゆくは消滅するのだろうと思うのである。女性の視点抜きで議論をすすめて、ついに消滅させてしまうのである。酷い話である。



しかも、ゆくゆくというか、すでにそんな匂いがしてきたような気がするのである。当然、女性性が消滅すれば男性性も消滅するのである。「若者の恋愛離れ」の行き着く先は、いつてみればアリ社会みたいなものだと思うのである。


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社会性昆虫の世界である。群れのなかにそれぞれ分業を担当する階層があり、さらに繁殖を担わない、生殖活動をしない階層があることが、社会性昆虫の定義なのである。これからは1度もセックスをしないで死んでいく人が群れをなすのである。



アリ社会はすべてメスである。そのなかで生殖行為を行うのは女王アリの1匹とその相手のオスだけである。相手のオスは女王アリのクローンとして生まれる。未受精卵から生まれるのである。で、性交を終えると死ぬ。生きてるんだか死んでるんだか、である。あとはぜーんぶ、メスの働きアリ、そして1匹の女王アリである。


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で、こういう社会性昆虫の群れは「超個体」と呼ばれるのである。全体で個体なのである。生命の進化の過程を振り返ると、個体が集まって次の段階の個体に進化している、という説がある。



たとえば単細胞生物が集まって多細胞生物になりました、という話である。その名残りが細胞内のミトコンドリアだったりする、というわけである。で、そうすると遠い将来に、人間もさらに合体して別のものになるかもしれないのである。


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私もそんな感じがするのである。もちろんイコールそのままではないが、たとえばナチズム=国家社会主義は、その実験のひとつだったともいえるのではないかと思うのである。対象をドイツ人だけに限ったところがまったくダメなのである。



超個体が実際の社会ではなく精神活動として実現される、というイメージは、古くからサイエンスフィクションに描かれているのである。集合精神、集合自我と呼ばれるものである。そのなかで各個体の特性が完全に失われているものをハイブマインド(Hive Mind)と呼ぶらしい。ハイブ(Hive)とはハチの巣である。頭上高いビーハイブヘアのあれである。




最近の若者が個に閉じこもっている光景を見て、また一方でユングが提唱した集合的無意識などのことを考えていると、もしかしてほんとうに精神的な超個体へ向かっているのではないか、という疑いはかえって膨らむのである。



疑いが膨らむと、ネットでグチグチ、盛んにお互いへの文句をいいあっているのも、相互監視から同一性の確認へ、という手続きに見えてきて不気味である。そして「恋愛離れ」が人類史的な必然だったと振り返られる日がくるのかもしれない、などと、夜の夜中に一人ふと考えたりするのである。



おお、そしてそんな時代になっても、きっとそれを面白がったりすることもできないのである。わざわざ文章を書くとか話をするとかは、もうないのである。そもそもコミュニケーション自体が存在しない社会になっているはずなのである。(了)





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