10月22日発売の月刊コミック誌『モーニング・ツー』12号(講談社)で、掲載予定であった『ヒモザイル』が休載になった。前2回分に対してのネットの批判が強かったらしい。
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講談社は継続を望んだという。しかし作者の東村アキコ(40)が「しばらく時間をかけて内容を吟味し、発表できるかたちになってから再開したい」と申し入れたのだそうである。よくわかる。講談社が継続を望む姿勢も、東村アキコがいってみれば怖じ気づいてしまったのも、よくわかる。
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『ヒモザイル』は、アキコの実際のアシスタントなどをモデルにして、男たちに家事能力などの教育を施し、恋人がいない女たちとのカップリングをめざすというストーリーである。
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男たちは漫画家のアシスタントでもあるし当然金がなく、対してカップリングの目標とされる女たちには経済力があるわけである。で『ヒモザイル』である。ザイルの意味が分からないが。これに対して「アシスタントの男を見下している」という批判、不快感の表明が多かったのである。
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「ヒモ」という呼び方がよくない、という批判まであったようである。では女に対する「妾」「イロ」「二号」「ウチのヤツ」はどうなんだ、という話である。個人の人格や個性を軽視している点では同じである。
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たとえば、この作者がアキコではなく男であれば、休載するほどの問題には到らなかったはずである。読者の男はとうぜん同性であるアシスタントなどに自己投影する。そのヒモ候補のアシスタント目線からすると、登場する女はみんな自分よりも上、強者なのである。
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とにもかくにも女に気に入ってもらわなければはじまらないわけである。そのうえ作者までが女なのである。不快に感じるヤツが出てくるのもあたりまえ、といえばあたりまえなのである。
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ところがいまの世の中、実際には女のほうが社会的強者である男のお気に召さなければどうにもならないのである。つまりこれは女と男を逆転させた物語であり、騒がれているものの根本はジェンダーの問題なのである。
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例を上げれば映画『猿の惑星』(1968)である。こういう話のときによく引き合いに出されるので私も出しておくのである。猿が支配している星にたどり着いた宇宙船の乗組員が自由を求めて闘う物語である。そしてその星では人間の地位は完全に猿以下なのである。
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人間が猿にこき使われ、ぞんざいに扱われるのである。それは観客全員を不快にさせるのである。観客はみんな自分は猿よりエラいと思っているからである。しかも、今回の『ヒモザイル』は闘いもせず、唯々諾々と教育されるはずなのである。
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ここのところ堂々巡りなわけだが、『猿の惑星』の猿を女に置き換えた状況が『ヒモザイル』の世界である。それが不快に感じられるのは、男の側にオレは女よりはエラい、という差別意識があるからである。女の立場からいわせれば、そのまえにコミックやアニメの飼育、調教ものをなんとかしろ、である。したがって講談社が継続を望むのはごくあたりまえの判断である。
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一方これに対し、世のなかの女に対する差別意識、蔑視の感覚に踏み込んだと察知した作者アキコのほうは怖じ気づいたわけである。もともとジェンダーを取扱おうと意図していた作品でもないし、ここで突っ張って読者を減らしてもつまらないと考えるのも、商業作家なのだからあたりまえのことである。
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アキコにも落ち度はある。この話は自分の仕事場の中とか、あるいは友人同士のあいだであればシャレですむのである。それはアキコは別に男をバカにしているわけでもないしおもちゃにするわけでもない、という了解がすでに築かれているからである。いわゆる楽屋ウケの話である。それをいきなり世間に晒したのが失敗なのである。戦略的な失敗。
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もうひとつ注意が必要なのは、いわゆるセクハラ、パワハラは無意識に行われてしまうケースが多いことだ。みんな笑ってたからいいでしょ、などとアイドルの胸をわしづかみにして正当化しようとするさまぁ〜ずのバカ、三村マサカズ(48)は、実態からいえば、正当化しようとするだけまだマシといえばマシなほうなのである。
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差別が厄介なのは、それが差別する側の生理として体の中に入ってしまっていることだと思うのである。寄生獣みたいなものである。たとえが適切ではないかもしれないが、ポルノを見て興奮する、と同じように、女を見て男よりも下、と自動的に無意識のうちに認識するのである。ホント、本能の一歩手前の感じである。もちろん差別しているという感覚は当人にはまったくないのである。
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しかしポルノを見て興奮すれば、男の場合、あっ、また興奮してきた!! と外見からも自分や周囲にわかりやすいのである。男女差別はそうはいかないのである。月並みだが、自分が差別する側に立たないためには、いかにキメ細かく、自分の立場を捨て、相手の立場でイメージできるかである。
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ちなみに『猿の惑星』の原作はフランス人作家、ピエール・ブール(享年81)の小説である。ピエール・ブールは第2次世界大戦中にフランス領インドシナで捕虜になった経験があり、それをもとにこの『猿の惑星』と『戦場にかける橋』を書いている。Wikipediaからはいつのまにか直接的な記述は消えたが、『猿の惑星』の猿のモデルは日本人だという説もある。
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で、「ヒモ」である。数少ない男の蔑称である。私は男であるが、なんとなく大切にしたいのである。いや、正直にいうと少し憧れているのである。ヒモ関連の本にも何冊か目を通しているのである。共通する「ヒモ生活のコツ」は、「夢を語り、やさしく、威張る」である。「威張る」は卑屈にならないというレベルまで程度を下げても可である。
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ここで念のためお断りしておくと、「ヒモ」と「イクメン」とはまったく正反対のものである。「イクメン」とは「子育てを楽しみ自分自身も成長する男性」を増やす国家プロジェクトなのである。スローガンは「育てる男が、家族を変える。社会が動く。」なのである。なんとかならんか。まず社会が動けよ、である。国家プロジェクトなのだから。
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ともあれ、家族、家庭のらち外にあって少しひねくれている「ヒモ」と「イクメン」とは水と油なのである。どちらをめざすかといわれれば、私は断乎として「ヒモ」を選ぶのである。かっこいいから。
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ヒモの3ヵ条「夢を語り、やさしく、威張る」のうち、最も難しいと思われるのが「夢を語り」の「夢」の部分、「夢」の内容である。よく理解してもらえてかつ立派に感じられるもの、尊敬に値するものでなければならない。しかもある程度日々の暮らしのなかで、その夢に向かって前進していることをアピールできる性質のものであることが望ましいのである。
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今月はじめに離婚を発表した真木よう子(32)の場合で見てみよう。ただし、正確には、結婚している場合には「ヒモ」とはいわないのである。「ヒモ」はなんの保証もない危険な職業なのである。しかしここでの「ヒモ」よばわりについては、ほかに適当な例が見当たらないので勘弁してほしいのである。
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真木よう子の元俳優の夫、片山怜雄(33)は小説家を志していたらしい。俳優の仕事をセーブして、リリー・フランキー(51)に弟子入りしていたそうである。小説家への夢、というのはなかなかよい。行動が常人離れしていても、ときどき原稿用紙に向かってさえいれば格好はつく。
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しかし、そうして小説の勉強をしながら家事や子育てを担当していた怜雄が最近になって「いいよな、演じることができて」とかなんとか、愚痴とも嫌みともつかない口をきくようになったそうなのである。それを真木よう子が嫌って離婚を決意したそうなのである。
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一部では離婚原因は「生活のすれ違い」などといわれていたが、怜雄は一日中家にいるのである。そんなにすれ違いたくてもすれ違えないではないか。怜雄、卑屈になってしまったのが夫婦別れの原因である。
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卑屈になってはいかんのである。しかしもし私が真木よう子であったなら、小説家をめざすといっている夫がリリー・フランキーの弟子になった段階で離婚するであろう。第2の福山雅治(46)を探す、といえば見どころがあると少しは見直すと思うのだが。
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語義矛盾だが、いまのところ離婚されていない「ヒモ」に山田花子(40)の夫の福島正紀(44)がいる。トランペット奏者である。しかし花子によると「100万円かけてホームページをリニューアルしても、生徒の応募が1人もない」のである。「ライブをやるとお客さんの予約3人とか」なのである。
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そのくせ「「ハンドクリームからリップクリームから、全部こだわった高いやつを使うんです。あたしは安いのを使ってるのに」なのである。もちろん花子払いである。エラい。とにかく卑屈になってはいけないのである。
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しかしキス1回につき1000円などと、夫婦生活に料金を設定しているのはいただけないのである。そんなことをしたら、1000円を受け取った瞬間に責任と義務が生じてしまうのである。責任と義務は「ヒモ」の敵である。ちなみにセックスは1回10万円だそうである。金を払えばその分の元を取ろうとするのは客の当然の心理である。結婚5年目にしてここはまだ素人である。
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実際にはわりと働いていても「ヒモ」っぽく見えるのが、声優金田朋子(42)の夫、森渉(32)である。朋子よりも10歳年下なのと、主に舞台で活動しているのであまり目にふれる機会が少ないこと、そして朋子の存在感が強烈すぎるからである。なにしろ朋子はヘリウムガスを吸っても声が変わらないらしいのである。
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さらに、録音した声をデジタル加工しようとしたときに異常なノイズが発生するので調べると、朋子の声には2万ヘルツ以上の超音波が含まれていることがわかったというのである。
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2万ヘルツ、人間の可聴範囲のギリギリ、というかほとんど聴こえない領域である。声がハイレゾなのである。そして1日中動き回っているのである。渉も「正直疲れます」なのである。
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こういう男と女、女と男のことを世間のモノサシで語ろうとすると「ヒモ」だったりするのである。個々の事情は微妙に異なっていても、ざっくりひとまとめである。俳優の三国連太郎も、戦後の一時期「食うために結婚した」と告白しているが、それもいまここで論じている「ヒモ」とはまた少し意味合いが違う気がするのである。厳密な言葉づかいはまた別として。
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そして男と女、女と男のあれこれについて統一的な社会規範が崩れはじめているいまは、「ヒモ」という言葉もだんだん影が薄くなっているような気がするのである。「ヒモ」にとって替わりつつあるのは「クズ」「ダメ」である。利害、有用性の判断があからさまである。
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たとえば元AKB48川崎希(28)の夫、アレクサンダー(本名:坂本エンリケ、32)は「クズ」夫である。働かない、浮気する、売れないバンド活動で金は使う、なのである。それでも希がアパレルやエステなどの事業で成功しているので大丈夫なのである。
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で、考えさせられるのは川崎希の実の父親、浅井哲夫(66)の存在である。これまでの生涯一度も正業についたことはなく、5度の離婚経験があるのである。希は「たしか3人目の女房との子ども」なのである。
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アレクサンダーにも「ヒモの神さま」と一目置かれているのである。しかも現在ただいま結婚の予定があり、お相手はなんと19歳なのである。ヒモ、クズ、ダメを超越した孤高の女たらしである。
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東村アキコは『ヒモザイル』はいったん棚上げにして『テツザイル』を描くべきなのである。モデルはもちろん哲夫である。おそらく「ヒモ」エピソード、「ヒモ」ノウハウ満開である。
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しかしポイントはもう1人の主人公、希の心の動きである。女、男、親と子、家族……、あ〜、これ大鉱脈である。全100巻なんて軽くいけそうである。ぜひ掘って掘って掘りまくってほしいのである。(了)


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