Twitterなどにスッピン写真をアップする人たちがいる。モデル、タレント、歌手、女優が続々「素顔」を晒している。私は主にネットニュースの芸能欄でそれ見るのだが、タイトルにいわく「〜の素顔に絶賛」、「〜に悶絶」、「〜に驚嘆の声」である。しかし実際にそういうものを耳にしたことはない。
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スッピン写真をアップする主な目的は、きっとこれである。自分の顔をネット上に拡散したいのである。本物感や親近感は二の次三の次である。つねに露出を高めてさえおけば、見ているほうは、なんとなく人気がありそうな錯覚に陥るのである。で、その錯覚にもとづいてブッキングされたりもするのである。したがってどれだけ頻繁に人々の目に留まっているかが、人気のあるなしに直結するのである。
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そう考えると、いわゆる芸能人のスッピン写真は宣材である。販売のカタログとして見られることを前提に撮影されたり投稿されたりしているわけである。しかしそれは「スッピン」とはいわないだろうと私は思うのである。スッピン写真というのは、ノーメイクは当然として、ノーガードなものだろうと思うのである。
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宣材写真には、不特定多数に対する「意図」が含まれている。キレイに見せたい、可愛く見せたい、おバカに見られたい。老けて見えないだろうか? 貧相ではないか? 太っていないか? ガードだらけである。仮に撮影時にはそんな意識はなかったとしても、写真をセレクトし、公表する段階で必ずそれが入るのである。
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スッピン写真を公表することに、フランクだとか勇気があるとか評価する向きもあるようだが、それは大きな間違いなのである。浜崎あゆみ(36)や倖田來未(32)の仕上がり具合はほんとうに勇気があったようにも見える。しかしそれでもそこには、さんざん迷走したあげくの芸能人としての「意図」があるのである。
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いやいや、そんな不特定多数とかいわなくても、ただのふつうの家族写真でも、撮られるときは少し緊張したりするでしょ、とおっしゃるかもしれない。しかしその写真を他人が見ればやはりノーガードなのである。撮るほうと撮られるほうの関係がわかるからである。それを他人は、いってみれば俯瞰の位置から眺めているわけである。
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だからほんとうのスッピン写真は、素人が撮影したプライベート写真でしか成り立たないのである。プロが撮影した素ッピン写真はプロッピン写真である。ダサ。しかし、ひとつだけその例外を見たことがあるのである。菅野美穂(38)の写真集『NUDITY』(インディペンデンス)である。あれはプロの写真家、宮澤正明(55)の仕事である。
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ついでなのでふれておこう。プライベート写真、ほんとうのスッピン写真は、ノーメイクでノーガードである。形の上でも心でも素を晒しているわけである。それを被写体の意志に反し、または知らせずに公表することは、絶対にあってはならないことである。道義に反しているのはもちろんのこと、プライバシーの侵害、人格権の侵害である。よくいわれるように、場合によってはレイプにも等しい犯罪行為である。釈明の余地はない。
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スッピンは「素嬪」と書くれっきとした日本語である。「嬪」は「別嬪(べっぴん)」の「ぴん」で、美しい女という意味である。であるから「素嬪 」は化粧をしなくても美しい女、という意味である。それからいうと、浜崎あゆみや倖田來未はいくら一生懸命に化粧を落としてもスッピンとはいえないのである。悲しいことである。
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で、気分直しというわけではないが、沢尻エリカ(29)、石原さとみ(28)、ローラ(25)、綾瀬はるか(30)、佐々木希(27)、きゃりーぱみゅぱみゅ(22)、ダレノガレ明美(25)などなどのスッピン写真を思い起こすのである。みなさん、スッピンだと少年っぽく見えるのである。あ、一人だけ例外がいるが。
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つまり少年のような顔、とは美人顔なのである。異能の作家、稲垣足穂(享年76)が『少年愛の美学』のなかで、女の化粧というものは、まだ性別が判然としない幼年期の男の子をめざしている、というようなことを書いていたのである。私もそう思うのである。
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幼少年の顔はときに菩薩であり、愚かな獣である。なにも足穂が少年愛の人だから我田引水、手前味噌を決め込んでいるとばかりはいい切れないと思うのである。なぜ女の子ではないのかについて足穂は書いていなかったと思うし、私の考えを書くのは叱られそうで怖いので止めるのである。
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化粧ばかりではなく、たとえばプリクラ写真、あるいはプチ整形にしろ、改めて見てほしい、めざしているのは幼少年の顔である。さきほど名前をあげた方々は、スッピンの状態で幼少年なのだから、それは1名を除いて疑う余地なく美人なのである。
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では美人がなぜさらに化粧をするかといえば、それは、あたりまえだがさらに美人になりたいからである。オトナになりたいのである。であるから、せっかくの化粧が失敗、蛇足に終わる場合も多いのである。化粧の理由でいえば、あるいは一種の闘いの前の儀式、仮面として必要とする人もいるかもしれない。デーモン小暮(100052)とか。
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仮面の代表はダレノガレ明美である。施した化粧がもともとの顔の造作をそのままなぞったように見えるときもあるが、しかし結果としての印象は仮面である。内面の猛々しさを隠すことにはそれなり成功しているものの、そのほかの人間味が現れていないのである。カバリングのみである。
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理由はバカだからである。しかし、なにも10月3日放送のフジテレビ『めちゃ×2イケてる!しれっと19周年 なんで目指せ!問題ゼロSP』の抜き打ちテスト企画で、これまでの記録だった元木大介をさらに下回る史上最低の総合点を記録したから、とか、理科では100点満点中1点という、これも科目別の歴代最低記録をたたき出したから、というわけではない。きわどい話だが、白痴美とも違う。
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明美を見ていると、箱に入れられた小動物や、お掃除ロボットのルンバなんかを連想するのである。あっちに行って突き当たり、こっちに戻ってきては突き当たって、グルグルと空回りを繰り返している感じなのである。
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明美が出てきたはじめのころは、昔はヤンキーでケンカもよくした、などと語っていたのである。しかしその方向には、あいにくすでに木下優樹菜がいたのである。地元のタイマン公園で決闘し、股間に相手の蹴りが入って敗北、以来アタマにはなれなかったという面白さには勝てなかったのである。
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さらに木下優樹菜のそのずっと先には、いまや参議院議員の三原じゅん子(51)がいるのである。膝蹴りからのマウントで相手(週刊誌記者)の後頭部を路上に打ち付け、KOして逮捕された経歴もあるのである。
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明美はファッションリーダーもめざしたのである。雑誌モデルの経験もあるのである。しかしほんとうはあまりスタイルがよくないので、「モデルのようなもの」の地位に留まっているのである。そして「モデルのようなもの」に留まっている限り、読者モデルの下なのである。つまり素人である。
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毒舌キャラもめざしたのである。しかし最初から「タメ口をきいた人にはそのあとで必ず謝る」などといってしまう不徹底ぶりなのである。たいへん性格がキツくて毒舌キャラ向きなのだが、それは自分のマネージャーを罵倒するときくらいにしか使えないのである。スキルが足りないのである。
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おバカキャラもめざしたのである。しかしこの方向には、『クイズ! ヘキサゴン2』出身の強者をはじめ、ものすごい群がいるのである。「抜き打ちテスト」からは、重盛さと美(27)、川栄李奈(20)がいるし、新おバカ女王の藤田ニコル(17)もいる。
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なかでも強烈に印象に残っているのはやはり優樹菜で、国会議事堂を「コッカイジギドウ」といったのには度肝を抜かれたのである。みんなが「お辞儀」をしていると思っていたのであろうか。ヤンキーにしろおバカにしろ、優樹菜超えはそう簡単ではないのである。
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で、そんなこんなの空回りに自分でも嫌気がさしたのか、ついに明美は今月10月22日放送のフジテレビ『VS嵐』で、やらかしてしまったのである。トヨタのCMで「神スイング」を披露して注目の稲村亜美に対し、「私、この子ちょっと嫌いなんだよね」「私のほうが先にさあ、野球キャラとして出てきたのに、邪魔するよね、本当」と毒づいたのである。スキルがないのでシャレにならないのである。しかもその前に、誰も明美を野球キャラと認めていないのである。
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調べてみれば確かに、明美は中学校時代にソフトボールで全国大会への出場経験もあるのである。しかし稲村亜美(19)のほうも小中と野球に打ち込み、とくに中学の3年間はシニアリーグに在籍していたのである。キャリアとしてはこちらのほうがだんぜん上である。さらにいえばこの道には、演歌の坂本冬美(48)がいることも忘れてはいけないのである。ポジションも明美と同じキャッチャーである。
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いく先々に先輩の足跡があり、伝説が残っているのは、人気商売であればどのジャンルでもいえることである。それを突破しようとしない、あるいはまったく新しい道を開拓しようとしないでいつまでも後退と空回りを続けているところが、バカなのである。努力が足りないのである。その、のんびりした感じが顔に出て仮面のように見えるのである。単純に色がすごく白いというのも少しはあるかもしれないが。
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たとえば、野球キャラ、ソフトボールキャラでいきたいのなら、まずは坂本冬美のところへいって先輩後輩のお墨付きをもらうとか、なんとかやりようはあると思うのである。ヤンキーなら三原じゅん子、おバカならまず花子姐さん(40)である。私のようなふつつか者ががいうのはたいへん気が引けるのだが、喜怒哀楽は努力がつくるのである。努力のないところに表情なしっ!! どや?
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「バカ」と「おバカ」は違うのである。バカに加えて愛嬌がある、またはそのバカに強烈な破壊力がある、どちらかでなければ「おバカ」とは呼ばれないのである。「お」には諦めと同時に「可愛い」、とか「尊敬」の意味もあるのである。「尊敬」はないか、「めずらしさ」か。
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とにかく「おバカ」の「お」は、ただ言葉のキツさを和らげるためだけのものではないのである。で、「バカ」が「おバカ」になってはじめて金になるのである。いま「おバカキャラ」として立っている人たちは、みなその努力をしているのである。明美はそれをダレノガレしているのである。ダダノガレ。
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付け加えておくと「おバカキャラ」というのは、オトナの子どもなのである。だから人によっては、まるで手品のように、短期間のうちに成長の物語を見せ、感動させたり、感情移入させたりすることもできるのである。里田まい(31)などはそのいい例である。川栄李奈も、いま本格女優への切符を手に入れようとしている。
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たとえ立派な成長ではなくても、スザンヌ(28)のように、あの子がねえ〜苦労したのねえ〜、と受け容れてもらえる素地はつくれるのである。「おバカキャラ」というのは、実はたいへん恵まれたポジションなのである。それだからこそ、ただバカであればいいというわけではないのである。(了)


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