このところ悪態ばかりついていたので、少し目先を変えようと思うのである。それには誰か好きな芸能人を上げて褒めちぎるのがいいのだろう、と考えたのである。
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それも女性芸能人である。和田アキ子とか上沼恵美子、藤原紀香、ダレノガレ明美、眞鍋かをり、と女ばかりを、幅広く女ばかりを取り上げていたので、褒めるときにも女でなければバランスが取れないような気がするのである。別に誰もそんなことは気にしていないだろうが。
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で、誰が好きかと考えたのである。しかし考えれば考えるほど難しくなるのである。自分の好きな芸能人が難しいとは、我ながら剣呑な話である。しかも嫌いがはっきりしていて好きがもつれるというのはイヤな性格である。
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自意識過剰なのである。人さまから見て「嫌い」ならほとんどなにも色はつかないが、特定の人物を「好き」といったとたんに色がつくのである。なにに? 私に。あー、いやだいやだ。
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それである程度ルールづくりをして、そこに自分をあてはめていこうとしたわけである。たぶん誰にも責任がまわらない仕組みづくりってこんなものなのだろうな、と思ったりしながら。
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まず、芸能人として好きなのか、異性として好きなのか、それをはっきりと仕分けることである。「好きな女性芸能人」の定義からはじまるわけである。よくやるでしょ。エラぶったジジイとか。で、そんなことやってて実際はなんの中身もない議論に終始ってヤツってわけですよ。
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だいたい芸能人枠でくくったとたんに女が女でなくなるわけでもなし、女枠でくくったとたんに芸能人でなくなるわけもないのである。しかも芸能なのである。異性をひきつける性的な魅力というのも、芸能の重要な構成要素なのである。であるから芸能人として好きなのか、異性として好きなのか、という分け方はちっとも現実的ではないのである。
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と、中身のない議論になるわけである。やっぱりそんなものの真似はしたくない、と思うのである。だから、あーめんどクセーなあ、好きな女性芸能人、でパッと思い浮かぶヤツはいないのか? と思うのだが、出てこないのである。自分でも、こう、バンジージャンプの最後の一歩が踏み出せない、といような、そんな感じである。
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では、こうしたらどうか。カテゴリー分けをするのである。歌を聴くならこの人、トークならこの人、お色気担当ならこの人、……。だからそれだと能力、性質を評価しているわけで「好きな芸能人」にはならないのだ、といっておる。
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好きな男性芸能人ならはっきりしているのである。江頭2:30である。あの忌まわしい3月11日から日が変わった未明、ひとりでトラックを転がし北へ向かった男である。その話を知って、断然ファンになったのである。バイセクシャルであろうと、そんなことは関係ないのである。ちなみに3月12日の江頭2:30は黒タイツ姿ではなかったそうである。
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そうなのである。そのように一気に心をわしづかみにされた女性芸能人はいないのか? である。単純に、ポンと出てこないものか? うむ、少し時間をいただきたいのである。まったくバンジージャンプである。
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矢口真里。
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や・ぐ・ち・ま・り、してはいけないお・も・て・な・し、矢口真里(32)である。私は矢口真里が好きなのである。自分の部屋のクローゼットに矢口という名前を付けているくらいなのである。嘘である。しかし、もうこれ以上自分に嘘はつけないのである。私は矢口真里が好きなのである。
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よくよく自分の心の中をのぞいてみると、私に「矢口真里」を告白することを妨げさせていた最大の障害は、そうするとあなたはやはりロリータ嗜好、ペドフィリアであろうと指摘されるのではないのか、という不安である。実際にそうであれば、本田望結(11)とか、谷花音(11)などに行くと思うのだが。つまり私はただの小心者なのである。
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以前にもネタとして書いたことがある。矢口真里の身長は144.8cmである。確かに子ども身長である。前夫中村昌也(29)は192cm、その差47.2cmである。結婚報告会見で2人並んで立っているようすを見ると、ダイアン・アーバス(享年48)健在なら喜んで何枚もシャッターを押すであろうフリーキーさである。ちなみにダルビッシュ有と紗栄子は39cm差である。
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しかもダイアン・アーバス顔負けの写真では、このときの真里はわざわざパンプスを脱いで靴を履いたままの夫に寄り添っているのである。身長差を際立たせるためである。公称身長144.8cmという2mmのこだわりも、これまた背の低さをもれなく主張するためであろう。それにしても、おそらくホテルだと思うのだが、こういう公開の場での裸足というのはエロチックなものである。
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あざとい、といえばあざとい。仕事に一所懸命といえば一所懸命。どっちにくみするかは、最初に針が振れたほうなのである。好きか嫌いか、である。ではどこで好き嫌いが決まるかといえば、見た目である。ルックス、アピアランスである。まあ、最初に目にするときはほとんど情報が入っていないのであたりまえといえばあたりまえの話である。
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というわけで、まずは見た目でポールポジションから最後尾までのスタート位置が決まるのである。で、その後いろいろと情報が入ってきたり、やらかしたりすることがあって入れ替わり、徐々に定位置が決まってくるわけである。
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最後尾あたりからゆっくりゆっくり粘り強く、しかし着実に順位を上げてきた例にはイモトアヤコがいて、ポールポジションから遥か場外への転落組には小向美奈子なんかがいる。おさなごころの岡崎由紀もである。世間一般の感覚からすればかなりローレベルである。
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そういうわけで、真里のあざといチビッコ戦略は、結婚そのものが戦略として企図されたものであったとしても、私にとっては若干、ゆる〜く順位を落としたくらいのものなのである。それはモーニング娘。に籍があった昔からの話ではあるし。
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では、あの自宅不倫踏み込まれ騒動はどうなのかといえば、しかたないなー、ということでスリーランクダウンであったのである。悔し紛れにいうわけではないが、真里は一貫してモーニング娘。のお色気担当だったのである。やりかねないよなー、という感じである。
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矢口真里の芸能界デビューは1998年、モーニング娘。第2期メンバーである。当時なにかのバラエティ番組に1期の石黒彩、中澤裕子、安倍なつみ、2期の安田圭などと出演し、誰だったかお笑い芸人のツッコミに1人で応戦していた姿が目に焼き付いているのである。このときに少し気に入ってしまったのである。
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当時、真里15歳である。目の大きさはいまの半分くらいであった。いや、エラいとか勝ち気とかではなく、その当時からグイグイくるお色気担当の気配はあった、ということである。えっ? グイグイくるのがなぜお色気担当なのかって? 女がグイグイくるときには多かれ少なかれお色気を前面に押し立てているに決まっているではないか。ここは男社会なのである。悲しくともそれが現実なのである。
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それから、そういうわけで、あの自宅不倫踏み込まれ騒動については、笑ったのである。そしてそれからなんと、真里、別に頼まれたわけでもないだろうによくやったなー、とも思ったのである。頼まれればそうなる、あるいは必要とあればそうなるという話を、バーニングプロダクション社長周防郁雄(74)の元用心棒にして二代目松浦組組長、大日本新生會総裁、笠岡和雄(70)の暴露で耳にしていたからである。
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この件については、『週刊文春』(2013年9月12日号、文藝春秋)が、大日本新生會のホームページでの告発をもとに記事にしている。それによると、名前は出ていないが、モーニング娘。メンバーと宝塚出身の女優、あわせて2人が祇園のお茶屋に呼び出され、周防郁雄本人とNHKのプロデューサー内藤某の夜の接待をした、というのである。で、これを周防の指示で段取りしたのが、この文春の記事にも出てくる、前出の笠岡和雄である。
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「女たちは意外にもサバサバした様子でした。二人のうちハキハキした女の子は周防、もうひとりの無口な方がN(内藤某)の担当ということでした」。これは、実際に女2人をお茶屋から指定のホテルに運んだという人物の『週刊文春』誌上での証言である。
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で、「二人のうちハキハキした女の子」、つまり周防郁雄担当が真里だろうと2chあたりで目されたわけである。私も、もしそういう話が事実であれば、それは真里である可能性は高いだろうと思っているのである。和雄によると、2人にはこのとき数十万円ずつ渡したということである。
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ちなみに郁雄と和雄はその後、金をめぐって諍いを起こし、和雄が郁雄の事務所に街宣車で押し掛けるという事態にまで発展しているのである。現在どうなっているのか、と改めて大日本新生會のホームページを覗いてみると、今年、2015年7月5日付で『「代紋」を汚す周防は万死に値する なぜ我々は“芸能界のドン”を糾弾するのか』なる記事がアップされている。闘争継続中ということである。
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内藤某とNHKは、『週刊文春』の記事に対して、性的な接待を受けたことはないと否定しているのである。しかし同誌ならびに大日本新生會に対する訴訟などの法的措置はとっていない。
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また、大日本新生會ホームページの記述によると、バーニングプロダクション周防郁雄の背後を固めてきたのは「巨大暴力団組織(宅見組、故宅見 勝組長)と右翼団体(日本青年社・故衛藤豊久会長)」だそうである。
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しかし「宅見勝組長、衛藤豊久会長の死去によって、現在の周防には、かつての巨大なバック(暴力組織)」の存在はなく、「それゆえ見境なく、あちこちの暴力団(やくざ)にトラブル処理を依頼し、暴力団関係者の顰蹙をかっているのが現状である。」というのである。
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そしてさらに大日本新生會ホームページの記述は、「こうした安易な行動は、今後の彼の芸能事業(バーニンググループ)にとって重大な危機的局面を招くことになる。」と続くのである。なんとも物騒な話である。
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ちなみに宅見組は現在、6代目山口組を離脱して神戸山口組の一員になっている。「それゆえ見境なく、あちこちの暴力団(やくざ)にトラブル処理を依頼し、暴力団関係者の顰蹙をかっている」とされる郁雄が、この地殻変動を無事に乗り切れるのか、気になるところである。
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話がたいへん遠回りしてしまったのである。で、まあ、仮にそういう真里であったとしても、というのは、世上いわれる通りピストン矢口であり、マクラ矢口であっても、私の心はちっとも波立たないのである。明鏡止水のごとくなのである。
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女に囲まれて育った私は女に対する幻想などもともと持ち合わせていないし、バージニティ信仰みたいなものも、年を取るにつれて完全に失せているのである。それから、これはほんとうに念のためにだけいっておくが、私は寝取られフェチではない。寝取られフェチ、複雑な倒錯をひとことにまとめるチカラが凄いです。
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もちろん、裏切りは当然責められるべきだし、それは金でやり取りするものでもない。その点では私も真里を軽蔑している。モラル、常識が欠如している。ユルすぎるのである。
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しかし、私の場合はそれで終身刑とか死刑とかを下すというふうにはならないのである。どうも、逆に、逞しいなあ、くらいの感じなのである。少しは慎めよ、である。そもそもこの男社会で女の子が15歳から芸能界に入って17年間、よくやってきたとは思ってやれないか?
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うむ。弁明、弁護ばかりだったので、真里の魅力について語らなければならないのである。まず顔つきである。カラコン依存症、オッケーです。昭和でいうバタ臭い感じ、とはいえあまりガイジンにニアではない、どこか海辺の田舎町にでもいそうな程度の顔つきである。そういうのがいいのである。安心してバカ話ができるテの顔なのである。
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気が強いところもいいのである。女が口を尖らせて文句をいう表情にはときどきぞくっとするのである。たとえときどきはカラ元気であっても元気がいいところ、がさつで下品なところもいいのである。上品ぶっているのはあまりよくないのである。
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男というものをよく知っているらしいところ、そして小さくて場所をとらなそうなところも魅力のポイントである。しかも真里、ここの部分、つまり体が小さなこともひとつのセックスアピールである、とよく心得ているのである。
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ということで、私にとっての真里の魅力のポイントを並べ、客観的に眺めてみると、やはり私はスナックのチーママ好きなのである。で、カウンターの端でチーママの武勇伝を聞きながら、「それはちょっとヤバクネ?」とかいいつつビールを飲むのである。
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真里のようなチーママと、世間を裏側から眺めておもちゃにするような話題で盛り上がれれば、それがもう至福の時間である。私の好みは日本基準でも世界基準でもなく、スナック基準なのである。
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で、今回、私は少し人との関わり方がワンアップ・ワンダウン傾向であることもわかったのである。なかなか他人と対等な関係を結べないタイプなのである。アダルトチルドレンと呼ばれる人に多く見られる特徴である。
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つくづく私という男は、いろんな意味でいろんなものが薄い男なのである。そういうことがわかったのである。勉強になったのである。でも、あまりいままでの悪態の口直しにはなっていなかったのである。(了)


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