女の人は太めに限るのである。男は締まっていなければならない。おばあさんは、ヘンな話だが写真で見る川端康成みたいに細くて小さくて凛としていてほしい。おじいさんはいつも遠くを見る目付でいてほしい。理想である。
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女の人は太めに限る、というのはホッとするからである。いや、その母性とかなんとかメンドくさいことではなくて、である。
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太めの女の人にホッとするのは、つまらない規範からの逸脱とか自由とかを感じるからである。逸脱というのは、知ってはいるけど踏み外しちゃった、自由というのは、そもそも規範にあまり関心がない、ということである。そしてこの場合の「つまらない規範」とは、大げさかもしれないが、体型の規範である。
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体型の規範から踏み外しちゃった人は、たとえばケイトブッシュ(57)である。2014年、22日間にわたるコンサートで30数年ぶりにステージに復活したのである。予想に違わずふくよかなお姿でお出ましになったのである。
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ケイトブッシュ、おそらく19歳のデビュー時と較べれば2倍ほどはあったと思うのである。なので晩年のエリザベステイラー(享年79)にも少し似た妖艶な美貌だったのである。逸脱した美貌の人妻である。抵抗できないのである。
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体型の規範から自由な人の例は、たとえばマーモゼッツのベッカマッキンタイアである。マーモゼッツは、インディーズ時代を含めてまだシングル5枚とアルバムを1枚しか発表していない、新進のロックバンドである。たぶん平均年齢は20歳くらいだろう。しかし素晴らしいのである。
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で、そのマーモゼッツの紅一点ボーカル、ベッカマッキンタイアが今年2015年、Werchter(ベルギー)で開催されたフェスに出演したときの姿に圧倒されたのである。それほどのデブというわけではないのである。しかし黒のスポーツブラみたいのとぴっちりスリムな黒パンツ姿で、ぽちゃぽちゃの腹丸出しだったのである。
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しかも上下を黒に挟まれたぽちゃぽちゃの腹は真っ白だったのである。ほかの部分、顔や肩、腕などは赤っぽく日焼けしていたのに。まるでぽんぽこ狸の着ぐるみだったのである。巨大な1パック腹筋である。こりゃロックだわ、と、とうの昔に封印したはずのほめ言葉が口をついたのである。
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ついで、といってはなんであるが、逸脱と自由の中間あたりにいるのがアデル(27)である。2012年のグラミー賞で6部門を獲得した世界的大スターである。最近、ようやく新作『25』が出た。
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アデル、世界的大スターではあるがコテコテのコックニー訛りで話し、ヘビメタの帝王、オジーオズボーンをして「アデルとコラボできたら幸せに死ねる」といわしめた、ロックの人である。
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体型に関するアデルの発言はかなりストレートである。「私だって、体型については悩んでいるわ。本当よ。だけどそんな悩みに人生を左右されることはない。まったくね」「男に不自由しない限り痩せようと思わない。で、不自由してないから痩せない」なのである。
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かつて体型がらみでレディーガガやマドンナに比較されたときにも、アデルは「私はCDを売るために裸になんかなりたくないから、これでいい」といい放っているのである。こりゃロックだわ。
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そうなのである。欧米人ばかりなのである。女の人は太めがいい、とかいいながら、なかなか日本ではそういう人を見つけられないのである。ぽちゃかわだとかいう水卜麻美(28)には規範の呪縛が強すぎるのである。いつも、肥る肥ると騒いでいるのである。ならば同い年の渡辺直美のほうがまだましである。ほんとか?
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なにをいいたいかというと、一方にもっとスリムにスマートに、という体型圧力があり、そのもう一方にグルメ、グルマンブームの食え食え圧力があるのである。そんななかで、太めの女の人は、うむをいわさぬ結果として、いささかなりともその問題を超越しているように、私には感じられてしまうのである。ご本人がいくら悲しくしても不満でも。精神に対する物理の勝利である。
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もちろん、誰かが仕組んでこんな矛盾したマーケティング合戦になったわけではないのである。しかし現実問題、食えば太るし、太れば食うな、といわれるのである。食わずに痩せようとすれば、またいたるところで食え食え、でないと景気が悪くなる、の大合唱である。不条理である。逸脱した美貌の人妻にもロックな人にもなれない場合、いったいどうすればいいの? である。
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不条理は人を混乱させ、やがて正常な思考力を奪うのである。たとえばソビエト時代の強制収容所で行われたという、石山の移動作業である。大きな石を積み上げてつくった山を別の場所に移動させるよう命じられる。それがようやく完了したかと思うと、また元の場所に戻せと命じられる。これの繰り返しが延々と続くうち、精神が崩壊していくのだという。
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もっと身近な例では、女王様の「もっとやって、とお願いするまで止めないわよ」である。ああ、どうしてか女王さま。別にご主人様でも同じなのだが。で、ご要望にお応えして「もっとやって!!」などとといったものなら「生意気に指図までして……。じゃあお望み通り……。覚悟をし!!」とかいわれてビシバシ。いやあ、いつの時代のなんなんだろう。いつもと違う今日の私である。
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まあ、そんなふうにしてマゾに訓致されるわけである。いわゆるカリスマの資質について混乱、カオスといったことがいわれるのも、つまりはこんなふうな不条理の効用であろう。
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で、体型圧力と食え食え圧力による不条理のただ中で精神が崩壊しそうな私たちは、これから先、どうなっていくのであろう? なんだかよくわからないのである。わからないのであるが、その先の兆しが「肉ブーム」のような気がしてならないのである。日本国中、寺門ジモンである。トキはニッポニアニッポンである。
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肉はたいへん効率の悪い食品である。牛肉1kgの生産には11kgの穀物、豚肉1kgの生産には7kgの穀物が必要だという話は、よく聞かれるのである。で、世界的に食糧難のこの時代に「肉ブーム」なのである。
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そして性格の悪い私は「肉ブーム」という言葉からカニバリズムを連想するのである。3年ほど前に起きた「マイアミゾンビ事件」は、浮浪者の顔を全裸の男が食いちぎったという事件である。合成ドラッグ、バスソルトの作用によるものといわれている。
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それから以降、同様の事件がアメリカとイギリスで数件起こっているが、驚くのはそのなかの、やはりフロリダの21歳の男が起こした1件である。駆けつけた警察官に対し「お前を食ってやる」と叫んだというのである。ドラッグでさまざまな機制が外れてしまっても、そういう意識はあったわけである。
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これとはまた性格が違うが、今年10月には、インドネシアで妻をレイプした犯人の局部を夫婦で食べたという事件もあった。捕まった夫の供述は「あいつの一番重要な部分を食べたまでさ。局部を食べることで私の心の痛みが消えると思ったからね。薬と一緒さ」(TechinsightJapan)なのである。なかなかイカした翻訳調のいいまわしである。春樹まっつわぁおである。
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……、それはそれとして。それで、うーん、いったい私はなにを書こうとしていたのであろう? ここでなにをいわんとしていたのであろう? うーん、と。なにを考えて書きはじめたのだろう? うーん、ちょっと、なんだかよくわからなくなってきたのである。
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……お! 私が「女の人は太めに限る」、と冒頭に書いたのは、もしかすると「肉」という見立てか? 心のどこかでそんなことを考えていたのか? うむ、そういえば、人種的に遠いほうが心理的なハードルが低い、というか美味そうな気がしないではないのである。うむ、国産よりも外国産のマイ「肉ブーム」。これからは「和牛」と聞けば「和人」を思い出すのであろうか? (了)


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