久しぶりに腹を抱えて笑わせてもらった。メルセデス・ベンツ新型「smart」CM会見のスタッフと『日刊サイゾー』にである。どうも彼らによると指を4本立てるとそれだけで差別表現になるらしいのである。でもって、大騒ぎをしたらしいのである。いまどき。こういう態度は逆にそこらに潜んでいる差別を刺激するだけだと思うのだが。
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ことが起こったのは10月29日、ベンツの新CMキャスティング発表の会見場である。キャストに選ばれたのは嵐の相葉雅紀(32)。取材したワイドショースタッフによると、オファーがきたときは「ただただうれしかったですよ。車が好きですし、メルセデス・ベンツは憧れだったので」とかなんとか、上機嫌だったそうなのである。
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で、和気あいあい、つつがなく会見が進行して、その終了の間際に「空気が一変した」というのである。以下、『日刊サイゾー』が報じたそのままを引用しよう。
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《「マスコミによる記念撮影の際に、CMが『fortwo forfour』というタイトルだったことにかけて、メルセデス・ベンツ日本の社長兼CEO上野金太郎氏が2という数字を、相葉が4という数字を指で作ってポーズをとってもらうというリクエストが入ったんです。その場は何事もなく撮影となったのですが、これが『四つ足→動物→畜生→人間以下の意味』『武器を持って蜂起しないよう、親指を切り落とされたから』と諸説ある差別表現にあたるのではないかということで、終了後にPRスタッフが血相を変えて『このカットはご使用を控えていただければ』とアナウンスしていました」(ワイドショースタッフ)》
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ということなのである。「PRスタッフが血相を変えて」、というところがなんともおかしいのである。たまらん。しかも数字の「四」に関わる差別的な意味合いの説明については、Wikipediaの「四つ」の項からそのまま棒引きされているのである。
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棒引きされたのは、「四つ」の語源として上げられている6項目の1番目と6番目、最初と最後である。この手口は間違いなくライターか編集者である。でもなー、話し言葉のなかに「→」が入ってくるなんてなー、いくらコピペだといってもなー、どうかしてるぜ、なのである。
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つまり『日刊サイゾー』側の誰かがワイドショースタッフの言葉を文章化する際に、Wikipediaの助けを借りたわけである。ではなぜ、ワイドショースタッフの言葉をそのまま記述しなかったのか? それはたぶんあからさまな差別表現だと感じたからである。しかし自分ではどういいかえればよいのかわからなかったのである。あるいはいいかえに自信がなかったからなのである。
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問題は指を4本立てると「差別表現にあたるのではないか」なのだが、その「差別表現」の根拠を説明できないジレンマにおちいってしまったのである。しかし、ワイドショースタッフにそれをいわれたときには差別の内容を理解していたはずなのである。
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あのダスティン・ホフマン主演の映画『レニー・ブルース』(1974)をまた思い出してしまうのである。レニー・ブルースは実在したスタンダップコメディアンである。
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映画のなかに、レニー・ブルースがあまりに差別語や卑猥語を連発するので裁判にかけられるエピソードがある。そのとき、裁判所のなかでは誰もが恥ずかしがりもせず、ましてや卒倒することもなく、4文字語について4文字語をふんだんに使って議論しているという皮肉なシーンがあるのである。
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まあ、だからワイドショースタッフは、そのときたぶん「四つ」といったのだろうと思うのである。それでこの『日刊サイゾー』の担当者はWikipediaで「四つ」の項にあたってみたのである。4本指から「四つ」が連想できる知識をもっていれば、こんなずさんな棒引きはしないはずである。ああ、こういうふうにうれしそうにネチネチしている自分がホントにイヤである。
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で、本当の問題は、指を4本立てると「差別表現にあたるのではないか」と考えてしまうそのバカさ加減である。そうそう、昔は「馬鹿」も被差別部落を連想させるとかでつかいづらかったのである。この話はまたあとで。
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指4本立てて差別表現なら、ジョッキを4つ頼むときには指を2本づつ2回出さなければならないのであろうか? そのあいだに口を「タス」と動かしたりして。それとも両手に2本ずつか? アンガールズの田中卓志(39)でもあるまいし。それよりキュー出しをするテレビ局のADはどうすればいいのだろう? 「4」がなくなってしまうと困るのである。
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公に、ということでいえば手を上げて「ヒ・フ・ミ・ヨ」と数えるBABYMETALの『Awadama Fever』の振り付けはどうすればよいのだろうか? 同じBABYMETALの『Song 4/4の歌』は? 「ものまね四天王」は?? ボクシングでテンカウントを数えるレフェリーは ??? ああ、いいつのる自分がホントに嫌いである。
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そういえばWikipediaの先ほどのページに「過去に発生した主な問題」が列挙されていたのである。そこには、ちあきなおみのシングル『四つのお願い』が放送自粛されたこともあったと書いてあるのである。ダメだ。またおかしい。
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ここらでちょっとお口直しに、BABYMETAL『Song 4/4の歌』の歌詞の一部を紹介しておこう。
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《…… 7の前は6 6の前は5 5の前は ウーッ4 !!
4!4!444!4444!
幸せの4 死ぬじゃない4 失敗の4 よろしくの4 !
幸せの4 死ぬじゃない4 ビタミンの4 喜びの4 ! 4!4!4!4! ……》
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作詞作曲はBLACK BABYMETAL。BABYMETAL年少さんの2人である。
「4」のよくないイメージを変えようと思ってつくったのだそうである。この天真爛漫さに、「4」も、あなたも救われてほしいのである。
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『徹底追及「言葉狩り」と差別』(文藝春秋)という本がある。筒井康隆(81)の断筆宣言をひとつのきっかけにした『週刊文春』での特集をもとに編まれた1冊である。康隆の断筆宣言とは、小説『無人警察』に差別を助長し、誤解を広める記述があるとして日本てんかん協会から抗議を受け、すったもんだの末に出した結論である。
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断筆宣言は1993年に行われ、同書『徹底追及「言葉狩り」と差別』は1994年に刊行されている。康隆と日本てんかん協会のあいだには1994年末に合意ができ、また断筆宣言そのものについても1996年末に解除されている。なのでこの出来事の詳細にはふれない。
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こうした「差別的表現」に対する厳しい監視、激しい抗議は、1970年代に盛んに行われたものである。しかしこの断筆問題の顛末や、『徹底追及「言葉狩り」と差別』の巻末に付されている『主要マスコミ「言い換え」用語集』を見ると、1994年当時でも、まだ過剰に神経質になっているようすが窺えるのである。
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たとえば「芸人」は文脈によっては「芸能人」に、「レントゲン技師」も同様に「診療放射線技師」または「診療エックス線技師」にいいかえを奨められている。そういえば最近、どこかでなにかのはずみに、「片手落ち」は「片‐手落ち」であって「片手‐落ち」ではないので差別語ではない、という記述を見つけたのである。くだらない話である。
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『日刊サイゾー』の担当者には、おそらくこんなような、かつての「差別表現狩り」とでもいう記憶なり、聞き伝えが残っていたのだろう。しかし現実はもう少し自然に、緩やかになっているのである。
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そこで、本書『徹底追及「言葉狩り」と差別』に収載されている「誌上対決・部落解放同盟 小林健治」の一部を紹介しよう。ちょうど「四つ」について語っている部分である。小林健治は当時、部落解放同盟中央本部教育局マスコミ対策部および解放出版社の事務局長。対決したのは『週刊文春』編集部の誰かである。
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《小林 「四つ」(被差別部落民に対する蔑称)という言葉を絶対使っちゃいけないというのもそうです。先日もある新聞の整理部だった人が、スポーツ面の「四つも曙」という、四つに組んでも曙は勝てるんだ、という見出しを「組んでも曙」に変えたというんです。そういう事例は数え切れないですよ。
それなら、解放同盟は東京の四ツ谷駅、大阪の四ツ橋駅に抗議しなければならない(笑)。これは、笑い話じゃないんです。
結局、人権問題に自信がないがゆえのマスコミの自主規制こそが「言葉狩り」ではないかと、私は思います。》
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小林は、こうしたマスコミの自主規制、「言葉狩り」が差別問題に対してなんのプラスももたらさないことを強調しているのである。しかしながら主に1970年代に差別問題に対して、「恐怖こそ最大の教育」として激しく、かつ行き過ぎた「糾弾闘争」が行われたのは事実なのである。
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マスコミ各社の自主規制、タブー視は、その恐怖のこだまのようなものだろうと思うのである。で、そのこだまがいままた跳ね返って、差別そのものであるヘイトスピーチにつながっているように思うわけである。ちなみに小林健治は現在「にんげん出版」の代表であり、部落解放同盟とは一線を引いた関係になっている。
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人は誰でも生まれながらにして、なにがしか差別されているものなのである。そしてまた差別する気持ちも誰のなかにもあるのである。確かにある。もちろん社会的な差別は徹底して糾弾されるべきである。しかし心のなかのそれは、単純に言葉を禁止したり、問いつめたりしただけでは絶対になくならないのである。
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とはいえ、今度はまた逆に、心のなかに悪意がないからといって、どんな場面でどんな言葉を使ってもよいということにはならないのである。それはただの恥ずべき無知である。そのことはしっかり押さえておかなければならないのである。
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と、エラそうにしてみたところに、ニュースが入ってきた。11月3日、「ニコ生で『テラ娘屋チャンネル』などを担当しているというTwitterの投稿者が、「某局の人」に「なぜ最近のテレビはつまらないか」を訊ねたそうなのである。その内容がニュースなのである。
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「いま某局の人とお話ししてるんですが、なぜ最近のテレビはつまらないか率直に聞いたら、『苦情がくるからです。大食いやったらもったいないと言われ、ツッコミ入れたらいじめだと言われ、最終的にクイズしか作りづらくなった』とのこと」。
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さらに「苦情いう人もだんだん工夫してスポンサーに電凸したり総務省に言うから些細なことでもご法度になって何もできなくなる話は聞いてて辛い」なのである。いつの時代もマスコミは狩りの対象にされるのである。人は狩りたいのである。そういうマスコミも威張りたがりなのである。ひとことでいえばマスコミと人のまわりには、信頼と愛がないのである。
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なんだかつまらない雰囲気になってきたので、今回取り上げた『日刊サイゾー』の記事のしめくくりを読んで、もう1度笑おうではないか。
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《結果、その問題になったかもしれないカットは写真・映像ともに水際でお蔵入りとなり、騒動には発展することはなかったよう。少しでも躍動感のある画をと、よかれと思ってやったことが、思わぬところで裏目に出てしまったようだ。》(2015年11月4日9時0分『日刊サイゾー』)マジっすか。(了)


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