2015年11月10日火曜日

死ぬときは孤独死でいいDeath!! でもそれもけっこうたいへんDeath!!





ソロウエディング。1人で挙げる結婚式のことである。はじめて聞いたときには、なにかの事情で結婚がかなわなかった人のための企画かな、と思ったのである。たとえば天国の彼氏と、とか。しかし実際は、いわゆるおひとりさまのための商品だそうなのである。事情のある方もない方も大歓迎なのである。ロマンチックな想像をした私が恥ずかしいくらいのものである。



で、ソロウエディングはけっこう人気があるらしいのである。ソロウエディングに招待された、とかいう話もあるくらいなのである。はた迷惑な話である。なにを祝えというのだろう。そもそも祝っていいのか悼んでいいのか、それさえもよくわからないではないか。






そういえば、往年の日活作品『絶唱』は、死んだ「小雪」という娘に花嫁衣装を着せて三三九度の盃を交わすという映画だったらしいのである。祝っていいのか悼んでいいのか。ともかく、ソロウエディングといえないこともないのである。しかしいまの感覚でいえばかなりグロテスクである。



主演の舟木一夫(70)はこのあと3度の自殺未遂を経ていまは元気である。死に魅入られているというのか、はたまた突き放されているのか。ヒロインの「小雪」を演じた和泉雅子(68)は、いまや北極探検家である。小雪どころではないのである。氷雪まみれなのである。人生、わからないものである。






そんなわけで、というか人生なにが起こるかわからないし、私の場合は、三三九度、ウエディングよりも「小雪」のほうに注目しなければならないのである。人生の大事といえば、あとは死ぬことくらいしか残されていないのである。



私の場合は、どこかで聞いた「おひとり死」なのである。そのほうがのびのびと人目をはばからずに死んでいけるし、実際問題、看取ってくれそうな人もいないのである。おっと、人目をはばからずというのは、自宅で死ぬつもりだからである。



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え、こういうのは孤独死というのか。そうすると、「おひとり死」と孤独死とはどこが違うのであろうか? そうかそうか、金になるかならないかの違いか。「お」は「お客さま」の「お」。残念ながら私の場合ははっきりと「孤独死」である。自分が死んで誰かを儲けさせるなんて、まっぴらゴメンである。



さて、私の「孤独死」計画は、実際に年を取り、いろいろなところにガタがきて、もうこれ以上の独り暮らしはムリだと判断したら、絶食をするのである。水分も摂らない完全絶食である。およそ2週間もあれば死ぬらしい。



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たぶん餓死する数日前には起き上がれない状態になるだろうから、そこまでたどりつければOKである。私の場合、いざそのときがきたら未練がましく意地汚く、またダラダラと生き続けないともかぎらないのである。



死ぬのを先延ばしにする理由なんて、そのときそのときで、それほど山ほど出てくるに違いないのである。だからもう体が起き上がらなければ、未練が出てきてもあきらめがつくと思うのである。



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ここまではいい感じである。そして、私にはエンディングノートに書き残しておくべき事情もないし、死んだらそれで終り、と思っているのである。さらにここで葬式も告知も要らぬ、クレジットだの保険だの公共料金だの、そんなものもどうでもいい、と頬かむりを決め込むならば、この先のことはなにも考えなくてもいいのである。あとは野となれ山となれ、である。



しかしそうはいかないのである。少しだけこだわってしまうことがあるのである。まず、死んでから他人に体を見られたり触られたりするのは嫌である。だから湯灌などもってのほかである。餓死か衰弱死か、とにかく死亡が確認されたらすぐさま荼毘に付してもらいたいのである。






遺品遺産の類で役に立つものがあれば、なんでも適当な窓口に寄付してもらえればいいのである。しかしそのとき、パソコンのハードディスクにある危険物は見られたくないのである。サイトの閲覧履歴、メールもである。いま考えてみて唖然としたが、これだけである。たったこれだけなのだが、ちょっと譲れないのである。



で、どうするか。パソコン関係でいちばんいいのは絶食に入る前に自分で処理してしまうことだが、それができるとは限らない。アタマが混乱してしまうとか、転んで立ち上がれなくなるとか、年寄りのこととて絶対に大丈夫はないのである。



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で、そうすると、体を見ないでね、とか、どこかの政治家のスタッフがやったように、ハードディスクは取り外してドリルで穴を開けてね、とか、それぞれの業者なりへの伝言を用意しておかなければならないわけである。



次は誰にその伝言の取り次ぎを頼むか、である。最初に思いついたのは、公的な成年後見人制度である。料金が安いのは魅力である。しかしこれは本人の判断能力に問題が生じてはじめて利用できるものなのである。私の場合は、本人の判断能力がダメになってしまえば、いったい誰がこの制度に申し込むの? なのである。



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そういう場合は、本人の判断能力があるうちに手続きができる任意後見人制度、というものがあるのである。しかし私の住んでいる自治体では、「その人だけに効果が生じ、他人に譲渡できないこと」は受け付けてもらえないのである。したがって「死んだら湯灌をせずに、着ていたパジャマのまま荼毘に付し(クソつきでも)、それを確認する」というようなお願いは聞いてもらえないのである。



では、民間の終活サービス、看取りサービスはどうだろう。しかしまあ、これがけっこう高額なのである。30万円は超低価格、100万円からなどというものもザラなのである。しかも民間である。契約したはいいけれども、私の寿命よりもあっけなく、ポックリ倒産する、ということも考えられるのである。ピンピンコロリである。






それに、そもそも、その最期にまつわる手続きや作業が契約通りに行われたことを誰が確認するというのであろう。そのとき私は死んでしまってもうこの世にはいないのである。誰も確認する者がいなければ、どんなズルだってできるではないか。私のような独り者の場合は、これが本当に心配なのである。性悪説に傾くのである。



しかし正味の話、死人に口なしなのである。お金をとるだけとって仕事のほうは適当にごまかしてしまっても、そのあとに悪評が広がって次の商売がやりずらくなる、ということもないのである。消費者センターに駆け込まれる心配もないのである。






で、きちんと仕事をしてくれないだけならまだしも、誰にも裸を見せないでくれ、といったばかりにわざわざいたずらをされて、なんだこいつ、チンチンちっちぇ、やっぱし、とかバカにされないとも限らないのである。どこで誰がそんなことをするのかはわからないが。だから自衛策として、なにかこう貞操帯のような、絶対脱げないパンツをつくればよいのかもしれない。しかしそれも滑稽である。ヨボヨボジジイの貞操帯なぞ。



そして今度は、たとえばその見届けを弁護士などに頼むにしても、今日び弁護士もズルをしないとは限らないのである。不安はいつまでも、どこまでもついて回るのである。契約違反だろう、とお化けになって出てくるほどの根性もないし。






というわけで、そもそも、死後の諸手続き代行を含めた終活というビジネスは成立するのであろうか? という話になってしまうのである。客が死んでから履行されるサービス契約である。客がすでにこの世にいないというのは、致命的な欠陥だと思うのである。



2014年版『高齢社会白書』(内閣府)によれば、65歳以上の高齢者がいる世帯は全国に2093万世帯である。うち30.3%、63.3万世帯が単身世帯である。もちろんまったくイコールではないにしろ、「おひとり死」か「孤独死」を迎えようとしている人たちはけっこう多いのである。どうするのだろう?






絶対にハードディスクのなかの危険物とか、おチンチンは誰にも見られない、と心から安心して冥途へ旅発つには、やはり、信頼できる身近な人間が必要なようである。いまいましいことである。人は死ぬときも1人では死ねないということなのである。ああ、とことん窮屈である。(了)





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