今回は、マツコ・デラックスが売れている理由である。しかしもう結論は出ているのである。マツコ・デラックスは日本のお母さんなのである。あのう、くれぐれも「国の母」ではないのでお間違いのないように。マツコは私ども民草の心の母なのである。あれ? 「国の母」から離れないぞ。ともかく、マツコが日本のお母さんであることをどうやって説明するか、それが今回の本当のテーマである。
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まず、マツコがどれだけ売れているかを確かめよう。いまマツコがレギュラーを務めるテレビ番組は9本である。日本テレビとテレビ朝日が2本ずつ、TBSが1本、フジテレビが3本、そして2005年から出演し続けているテレビ東京の『5時に夢中!』で、合計9本。この夏のデータなので、若干の異同はあるかもしれない。
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ちなみに有吉弘行(41)は11本である。レギュラー番組数ランキングの第2位である。1位は12本の設楽統(42)。このランキングでいえば、マツコの上にはまだ7人いるのである。さらに同じ9本は11人。しかし自分がメインを務めるいわゆる冠番組の数では、マツコは有吉弘行と並んでツートップであろう。さらにマツコの場合、タレントがマツコ1人で成立している番組さえあるのである。
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で、ついには10月28日と29日の2晩続いて、マツコの番組が同時間帯に2局でかぶってしまうという椿事まで起きているのである。いずれもプロ野球日本シリーズの生中継が大幅に押したためである。
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なんだか最近のテレビは、いつ見ても出ている顔ぶれは同じだし、簡単にバッティングまでしてしまうし、村のケーブルテレビみたいな感じである。ともかくマツコとしては、これにPRイベントだとか雑誌の連載執筆まで加わるのだから、確かに大忙しである。
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ついでにちょっと計算してみる。マツコのギャラは1本130万円といわれているから、1週間(×9)で1170万円。50週を掛けると5億8500万円、これに1本3000万円らしいCMや、その他のイベントの出演料が加わるから、今年の手取り総額はだいたい3〜4億円くらいになるのであろう。
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別に羨ましくなどはない。羨ましいのは、『ライオンのごきげんよう』の24年間で20億円稼いだといわれる小堺一機(59)である。コイツに関してだけは運だとか、偶然とかいう調子のいい言葉を思い出すのである。あー、他人の懐具合など詮索したおかげでムカムカしてきた。
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本筋に戻る。マツコが売れているのは、『タレントイメージ調査2015』(マイボイスコムと読売広告社調べ)で、好きな男性タレント第1位に選ばれたことからもわかる。早くそれをいえという話である。
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ところで「男性タレント」で思い出したが、イギリスでは今年、トランスジェンダーを尊重するために、新しい敬称「Mx」を追加したのである。であるからマツコの名前に敬意をこめて、しかし若干はしょって書くと、 MxマツコDXになるのである。
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で、マツコの場合は女からも男からも人気があるのである。つまり性を感じさせないのである。テレビに出はじめのころはカールした髪を顔半分に掛けたりして若干フェミニンではあったのだが、いまはひっつめの丸髷、関取と大差がないのである。たぶん、本人も性を意識させてはいけないと悟ってのことだと思うのである。
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マツコを語るとき、しばしばアメリカのカルトスター、ディヴァイン(享年42)が引き合いに出される。しかしディヴァインとはこの性というものの扱いの点でまったく異なるのである。マツコが性を遠ざけているのに対し、ディヴァインは性を積極的に取り上げ、戯画化しているのである。
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ディヴァインはドラァグクイーンであり、前にも書いたが、日本の芸能人に強いてあてはめるとすれば、コウメ大夫である。コウメ大夫はなんだかいやらしい感じがする。「太夫」というネーミングも、ひっそりとなにごとかを訴えているような気がする。そんなこといわれても……、であろうが。
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マツコが支持されている大きな理由のひとつは、その性を感じさせないところと、巨大な異形の体だと思うのである。マツコの話はしごくまっとうなことばかりである。ときどきは古風でさえある。
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それに耳を傾けさせているのは、男でも女でもなく異形の体をもつという、存在の特別さである。だからマツコと同じ発言をふつうのオトナがふつうに喋ったとしても、まったくつまらないし、聞いてはもらえないだろうと思うのである。
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さらにマツコにはやさしさとうっすらとした悲しさが宿っているのである。「ばかやろう」とか「……やがって」とか、言葉づかいは乱暴でも、相手を傷つける意図がないことはもともと確かに伝わっているのである。人に対して、マツコははじめから許している、あるいは自分のことと同じように諦めているように見えるのである。
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この諦め、のところがうっすらとした悲しさなのである。たぶん、自分の体が自分の思い通りにはならないように、不随意に生きてしまっている、という感覚なのだろうと思うのである。
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そしてもうひとつ、いつも弱い者の傍らに立つことを意識して考えているらしいことも、支持されている理由だと思うのである。それは庶民とかいうレベルではなくて、もうほとんど地べたのレベルである。地べたからの視線が、マツコに他とは異なる、新奇に見えてどっしりとした着眼点を与えているのである。
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たとえば最近の発言では、「おじいちゃん、おばあちゃんだったらアル中でいいと思う」という“高齢者のアルコール依存症肯定発言”がある。10月26日のテレビ東京『5時に夢中!』での発言である。
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アルコール依存症の4人に1人が60歳以上だとかで容認しずらいという方向に傾きかけている雰囲気のスタジオで、そういい放ったのである。「仕事も終わって、もうあと10年、20年ってなったらさ、いいよねアル中で」なのである。
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お年寄りに対するリスペクトである。エラいなあマツコ。アル中が増えると医療費などの社会的負担が、とかすぐにいいだす連中とは違うのである。社会的負担を軽くするために生きているわけではないのである。いや、マツコなら「そんなこといったって、もう存在自体が社会的負担なんだから、いまさらそんなことどうだっていいじゃない」のほうか。
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で、こういうマツコをどうたとえればいいか、なににたとえればいいか、というと母親だと思うのである。かつての肝っ玉かあさんである。いまどきそんな人は場末の小さな飲み屋にごく少数潜伏しているだけである。しかしみんな、肝っ玉かあさんに無条件に叱られたり抱きしめられたりしたいのである。
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たぶん、マツコの人気の底にあるものはこれである。もしあなたが、マツコの笑顔を見て少しうれしくなったり、しあわせな気分になったりするのなら、この推論には正解の○をつけてもらっていいと思うのである。
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肝っ玉かあさんといえば、京塚昌子(享年64)である。よく太ったおかあさん女優であった。代表作であるズバリ『肝っ玉かあさん』のスタート時にはまだ38歳であった。しかし私にはそれよりも10歳は年上に見えたような記憶があるのである。すでに嫁をもらった息子がいる設定だったからかもしれない。しかしそれでも、マツコがまだ43歳だというのと、どこかでつながるものがあるような気がする。
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というわけで、マツコ人気が急に凋落するときがくるとすれば、それはなにがしかの性的なスキャンダルに見舞われたときである。かあさんが突然オンナになってもらっては、子どもの立場としてはたいへんイヤで困るのである。マツコ自身の性は絶対のタブーなのである。でもいつか尻尾をつかまれそうな気もするのである。そのときはグレてやるのである。(了)


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