2015年11月8日日曜日

アイドルは顔でも歌唱力でもダンスでもない。「数」!!





ショットガンは1度にたくさんの小さな弾を射ち出す。散弾銃である。で、標的に当てやすいのと、遠くへの到達力や貫通力はそれほどでもないので、初心者向きの銃といわれているらしいのである。なんだかアイドルグループとよく似ているのである。



アイドルグループ人気についてよくいわれるのは、人数がいれば誰の好みのタイプでも見つけやすい、好みにヒットしやすい、ということである。アイドルグループはもともとショットガン方式を採用しているわけである。






しかしショットガンでは少しハードすぎる印象なので、なにか別のたとえを考えたいのである。「散弾銃方式」も「銃」の語感がリアル過ぎるせいか、あまりピンとこない。



まあ、弾が1度に何発も発射されるということでは、織田信長の鉄砲隊みたいなものである。古くてすまんの。あとからあとから入れ替わりに登場してくるところも似ている。鉄砲隊方式。






で、いまや鉄砲隊の戦国時代といわれて久しいのである。おお、やはりぴったりではないか。全国の鉄砲隊の数は、各藩お召し抱えのメジャーどころで約900、浪人というかインディーズも含めると、なんと数千にものぼるといわれているのである。



さらに鉄砲隊の隊員数でいうと1万人は固いそうである。ほぼ北海道夕張市の全人口に匹敵するのである。財政破綻したとはいえ「村」や「町」ではない。れっきとした「市」なのである。



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さらに最近ではこうしたアイドルグループを集めてのフェスも盛んに行われている。たぶん、2010年から毎年開催されている「TOKYO IDOL FESTIVAL(TIF)」がその代表格であろう。今年、2015年は女性アイドル154組が出場し、前夜祭も含め4日間の日程で延べ5万人以上を動員したらしい。



そのほかには2012年からのエイベックス系の「IDOL NATION」があり、今年はライジングプロダクションが運営する『原宿駅前ステージ』も開催されている。さらにこれらに単発のイベントが加わっているわけである。背景には、音楽コンテンツがほとんど売れなくなり、収益確保のためにはライブに軸足を移さざるを得ないという、よんどころなき事情があるらしいのである。



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しかしながら、私は性格が悪いので、こうしたアイドルグループの集合には、なんとなく、小動物が外敵から身を守るために寄り集まっている、という印象を受けるのである。



群が他の群と一緒になってさらに大きくなるのは自然の摂理である。食糧が許す限り、群が大きければ大きいほど、そのなかの個体の安全は増す。それは淘汰を生き抜いていくための戦略である。まあ、言葉は悪いがイワシの大群みたいなものである。戦国時代というのだから、そこそこ全体の食糧供給には限界が見えてきているのかもしれないが。



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ともかく、群になると単純化されてそれが巨大なひとつの生きものに見えてしまうのである。AKB48グループがちょうどよいたとえになる。「AKB48」といえば強大で一流の感じがする。もちろん名前の通りも抜群にいい。が、ユニット単位で眺めてみると急にぐっと貧弱になるのである。



さらにユニットをメンバー1人ひとりにバラしてみると、世間に名前を知られているのは何人か、さらに芸能界で独り立ちできるのは、というと、またそのうちの何人か、というレベルになる。つまり、アイドルグループというものは、ショットガン、織田信長の鉄砲隊からはじまって、徹頭徹尾、「数」なのである。






で、最近のアイドルはほとんどがグループなので、現状、アイドルとはすなわち「数」なのである。というわけで、むかしは厳しく選ばれてアイドルになったものなのに、などという批判は、それはもうまったくの見当外れなのである。



さて、それではファンのほうはどんなかなー、というと、これも「数」だという感じが見えるのである。「数」、群の仲間の数に対する憧れである。あるアイドルグループのファンであることは、アイドルワールドの一員であることである。



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つまり、そのグループばかりでなく、一緒にフェスに出演するような他のグループも含めたひとつの大きなサークルの一員になるといった感覚があるのだ、と思うのである。たとえグループごとには敵対したりするにしても。



わざわざこういう回りくどいいいかたをするのは、アイドルファンというのはなんだか面倒くさいらしいからである。というか、特殊な感じがするからである。ファンとしてのルールとかマナー、言葉づかい、つまり立ち居振る舞いといったものが、かなり厳しく細かく規定されているように見えるのである。



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そしてそれらは、それぞれに贔屓のグループの枠を越えた、アイドルとファンたちによるひとつの世界からきているのだろうと思うのである。承認欲求とまでいえば大げさだが、そうした群に属している感覚は、たぶんそうとうに気分を落ち着かせてくれるのだろうと思うのである。性格が悪くて友だちが少ない私にはよくわかるのである。



そもそもアイドルファンに限らず、現代の日本人は、自分勝手、自由気ままに生きていきたい個人主義的な人間がほとんどである。それがもともと、いってみれば個人主義を抑制し、ある一定の枠の中に同質化しようとする性質をもつ群に自ら好んで入っていくのである。その群れること自体にも魅力がなければムリだと思うのである。






それからもうひとつ、鉄砲隊に戦国時代が訪れたということには、つまり「アイドル」がこれほどまでに盛んになったのには、「アイドル」が「本格」のほとんど正反対に位置する存在であることもまたポイントなのだろうと思うのである。「アイドル」とはいかにも軽薄で安っぽい、うたかたの存在である。



アイドルブームがはじまったのは、だいたい1980年代のアタマである。それは戦後日本の新しい階層社会のカタチが完成したのと同時期なのである。いくら一所懸命に勉強して成績が上がっても、それだけでは総理大臣の席には絶対に手の届かない社会になったのである。






明治からのいわゆる学歴社会は、厳密にいえば、もうそこで終わっているのである。いくら勉強したってたかが知れているのである。「アイドル」は、こうしてゆるぎなく確立された現実社会に背を向けるようにしてつくられた、もうひとつの世界なのである。そして、そこには天国と地獄もちゃんと用意されているのである。夢と欲望である。



話は唐突に下世話になる。マネジメントする側からしても、アイドルグループにはメリットが多いのである。営業に出すにも人数がいるぶん華やかだし、個々人のスキルや外観にそれほどのレベルを求めなくていい。とりあえずなにを売ろうか誰に売ろうかと考えなくていいのはとりわけ楽である。メンバーの細かな面倒を見る手間も、単独でいられるよりは省ける、のである。






そしてこういったアイドルグループとそれを取り巻く状況のもろもろの底には、自己規定や創造ができずに、すでにあるひとつの看板やレッテルに逃げ込む安易さも確かにあるのである。みんなに。芸能者が匿名性に逃げ込んでいてはお話にならないのであるが、ピンであるよりは目立たない、本名の私は消えてしまう、というようなことで。



「アイドル」は、とりあえずただ有名になりたいという、いわば根っからの無名の者の受け皿にもいい。したいこともできることもなにもないが、有名になりたい。ウェルカムである。「アイドル」はなんでも受け容れる伸縮自在の袋のようなものである。






そしてそうこうしているうち、「アイドル」の時代は、今日まで約35年、1世代を経過したのである。それで何か新しいものを生みだしたかといえば、生みだしてはいない。なにかをみごもっているのは確実なようなのだけれども、それはまだ生まれていないのである。



ちなみに、「Kawaii」は新しく現代に生まれた概念というよりも、むしろ伝統的な日本人の心性そのものである。アニメ、コミック、ステーショナリー、そしてアイドルは、「Kawaii」の現代における具体的な表現のカタチである。






較べるのも忍びないが、ロックは1960年代のアタマに生まれて、これで約半世紀。このあいだにすでにひとつの文化をつくりあげてきた。ただ単に新しいファッションやライフスタイルを生んだというようなことだけではなく、たとえば人種やジェンダーに対する社会の姿勢の変化にまで大きな影響を与えてきたのである。



たとえばこれから20年後、つまりロックと同じように誕生から約半世紀を経て、「アイドル」やアイドルの時代が社会になにかを果たしたといえるのかどうか。まあ、別に果たさなくてもいいのだが。だいたいにして「アイドル」は純粋に利益追求のための行いなのである。だからその枠を越えられるかどうか。



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ここに、中京地区で活動しているローカルタレント矢神久美(21)がSKE48チームS在籍時(2009〜2012)に、クイズに真面目に答えてマジメに吟じた松尾芭蕉の句がある。

 夏草や くそがきどもが 夢のあと

秀逸である。ほぼ、ケア不可能である。この奇天烈さと同時代感覚を保ち続けられるならば、とりあえず「アイドル」は安泰である。(了)




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