2015年11月7日土曜日

たとえば、あゆや理沙は整形で「不気味の崖」に落ちた顔






人形やロボットをどんどん人間に似せてつくっていくとする。すると、それにつれて可愛さや親しさがアップする。ところが、似ているレベルがあるところまで高くなってくると、今度はにわかに一転して猛烈にイヤな感じになる。



たとえば、身元を確認するために白骨死体からつくられる復顔の気味悪さである。この、激しい嫌悪感をもたらす“似ている程度”のことを「不気味の谷」と呼ぶのだそうだ。






「不気味の谷」、なかなか上手いネーミングである。ロボット工学の専門家、森政弘 東京工業大学名誉教授(88)が1970年に提唱したのだそうである。しかしこれはまだ科学的に立証されたものではないので、「なんだか谷に落ちたみたいな気分になったよねー」という経験のお話である。



しかも、「不気味の谷」に落ちたあと、その原因になった人形なりロボットなりがさらに人間に似ていくと、谷の向こう側に這い上がれるものかどうかもまだわからないのである。






この記事を書くきっかけになった、「SAYA」という作品がある。つい最近、リアルすぎる女子高生CGとして話題になったのである。きわめてていねい、精緻に描かれた3DCGの作品である。



「SAYA」は具体的に「不気味の谷」を越えることを目標に制作されたらしいのである。しかし、残念ながら越えてはいない。サムネイルサイズでかろうじてイヤな気分にならずにすむ、といった程度である。しかもまだ静止画像である。



HP Directplus -HP公式オンラインストア-


そこで思い出すのは、ヴィクトリア朝時代(1837~1901)の、「死後の記念写真(Postmortem Photography/ポストモーテム・フォトグラフィー)」である。亡くなった家族や親しい人の面影を残すために、イギリスなどで広く行われていたものである。故人にまるで生きているときと同じように化粧を施し、晴れ着を着せ、ポーズをつけて撮影するのである。



家族などが一緒に写っている場合が多いから、死者と生きている人間の比較がよくできる。これがどういうわけかはっきりと、区別がつくのである。詳細に眺めて、衰弱の跡や傷などはもちろん、生きている人間とここが違う、と具体的に指摘できるところなどはまったくないのに、である。



オーネット


これらの古い写真は、“不気味な写真”としてYouTubeなどにもアップされている。つまり、どこがどうというわけではないのに、誰が見ても見過ごせない不気味さを漂わせているということである。一緒に写っている残された人たちの思いと考えあわせると、不気味だけれども、なんとも切ない気持ちにさせられる写真である。



さらに見た目だけではなく、認識も測定もできないほどのごくかすかな音や匂いにも人は感応しているはずである。非常によくできた観葉植物でも、本物の植物と較べれば、それを見た人の脳波に違いがでる、という話もある。



DHCオンラインショップ


というわけで、人工的な、人形なりロボットなりが「不気味の谷」を越えるのはほとんど不可能だと思うのである。ただひとつ可能性があるとすれば、その人形なりロボットなりに接する私たちの感受性のほうが変化したときだと思うのである。ベタななりゆきで恐縮です。



で、もうみなさん思いついていらっしゃると思うのである。そう、美容整形である。美容整形における「不気味の谷」である。こちらは、いってみれば自然物から美をめざして人工物へ移行していくわけである。






ああ、そういえば昔、「美は反自然よねえ」というようなことをあんまり美しくない人にいわれて、「Youは手つかずの大自然」という言葉を呑み込むのに苦労したのである。



人形やロボットがあまり人に似ていない段階では、接するほうは「人間らしい」部分に注目する。しかし人によく似てきた段階では逆に「人間らしくない」部分に注目する。そこで、奇妙な、という感覚が生まれる。これが「不気味の谷」ができるいちおうの説明である。でもこれでは不十分である。なぜ不気味なのだろう?



ソニーストア


道端に人が倒れている。近寄ってみる。で、とりあえず見た目で人の生死を判別する基準というか、無意識の分岐点みたいなものが人にはあるとする。「死後の記念写真」に反応するような、たいへんデリケートなものである。



そこに倒れている“人”が「人間らしくない」部分でその分岐点に引っかかると、処理ができなくなって不気味に感じるのではないか、と思うのである。倒れていたのは確かに人だったのである。これが見るからに人でなければ問題はないのである。



デル株式会社


美容整形の場合は、もっと単純なような気がする。向うから歩いてくる人がいる。歩いているのだから、そこそこ元気なはずである。しかし近づくと、どこかに「人間らしくない」ものが感じられる。



この場合の「人間らしくない」、というのは、もちろんごく微細ではあるが、経験に照らして自然にはあり得ないようすをしている、ということである。それで、なんというか、バイタルサインが完全ではない、しかし生きている、という感じをいろいろな感覚で受けるわけである。ここまできて美容整形による「不気味の谷」に入ると思うのである。






でもって、人形やロボットの場合は前に書いたように「不気味の谷」を越えて向こう側に渡るのはたいへんに難しいのである。しかし美容整形の場合は、さらにそれよりもはるかに難しいだろうと思うのである。やればやるほど、どんどん谷底に沈んでいくのである。



人工的に自然な美しさをつくるというのは、やはり論理矛盾である。実際問題、人間の顔は何度も手術を繰り返して耐えられるほど頑丈にはできていないのである。もし修復手術が可能なら、それで後戻りすることはできるが。






したがって谷に落ちてから先は、少しづつ手当を繰り返して状態を維持しつつ、やがて年をとり、さらに下降線をたどっていくわけである。だいたいの場合、谷に落ちたあとは、小刻みな波線が右下がりなのである。であるから、これは正確にいえば「不気味の谷」ではなくて「不気味の崖」なのである。



それにしても、なぜ崖から落ちるほど整形手術をしてしまうのだろう? ほどほどにしておけばいいのに。そう思っていたところにちょうど都合よく、11月6日配信の『週刊女性PRLME』である。高須クリニック院長、高須克弥(70)のインタビュー記事「平子理沙の変貌ぶりに高須院長『唇オバケになっちゃうよ』」なのである。ひどいタイトルである。






そのなかで克弥院長は「これはね、ゴルフのスィングと一緒なの。自分のスイングのイメージと他人から見た実際のスィングはまったく違うように、自分の思っていることが実は他人から見たら変なわけ」と語っているのである。



ゴルフというところがジジくさいが、そんなものだろうと思う。ちなみに唇が赤色ウインナーソーセージみたいにパンパンになっているのが「もしもヒアルロン酸であれば、これはヒアロニターゼで溶かしたほうがいいね(キッパリ)」なのである。






とはいえ人間とは一筋縄では行かないもので、「不気味の崖」から落ちることをめざして美容整形をする人たちもいるのである。人体改造である。いろいろな形のインプラントをしたり、角を生やしたり、体の一部を切除したり、である。



目的とする意匠はほとんどデモーニッシュなものばかりである。全世界で数百人といわれるかれら人体改造マニアは、人間以外のデモーニッシュな存在に憧れているのである。






例の、日本の、美容整形にこれまでおよそ3000万円ほどかけたというヴァニラは、またちょっと事情が違うのである。彼女の場合はある深い闇を抱えていて、自分という存在を消してしまいたい、ということがあるらしいのである。これもまた切ない話である。


タトゥー、刺青も、大きく人体改造の一分野ということができる。日本の場合は身分を示すためによく用いられるが、欧米では祈りや誓いに加えて、変身願望を満たすためのデコレーションも多いのである。極端な例では、顔に虎の縞模様を彫ってあるのを写真でだが見たことがある。



HP Directplus -HP公式オンラインストア-


そういえば、額に真横から見た虎の全身を彫った男もニュースで見た。額に虎だよ。向かって左がアタマ。漢字でどう書くかはわからないが“トラオ”という名前であった。虎が窮屈そうであった。日本人である。それから、背中に天使の羽根とかはよくあるパターンである。



知り合いにいわせると「タトゥーもクセになる」というのである。痛みを克服した達成感と、やはり変身願望が少し叶えられた充実感なのであろう。で、そいつもいまや「不気味の崖」から落ちるまであと数歩手前のところまできているようである。



オーネット


私は、もちろん、現状で満足というわけではないのであるが、美容整形をする勇気も、タトゥーを入れる勇気もないのである。そもそも痛みにからきし弱いのである。体温が37度を超えると、とたんにしょげ返るのである。



そのかわり、といってはおかしいが、たまに息を詰めて我慢してみるのである。2分くらいなら楽勝である。そんなことでもちょっとした充実感と爽快感が得られるのである。かなり弱々しいが、人間、努力がいちばんである。



DHCオンラインショップ


おお、そういえば、日本では“ひとりSM”で年間300人もが事故死しているのだそうである(テレビ東京『ヨソで言わんとい亭』11月5日放送分)。およそ1週間に6日、1日1人ずつの計算である。息を詰めるのもほどほどにしなければ。(了)




ソニーストア

オーネット

デル株式会社





0 件のコメント:

コメントを投稿