2016年1月22日金曜日

〈いつも〉ついに裂けたベッキーの心の闇〈よい子で〉





昨日、1月21日発売の『週刊文春』である。ベッキー(31)、木っ端微塵である。いったんは「仲のいいお友達」ととぼけてしまっただけに、長期謹慎ですめば上出来、常識的に考えれば芸能界引退コースである。それだけではない。CM契約の解除、テレビ局などへも含めたペナルティの支払いなど、逸失額は莫大な金額に上る。所属するサンミュージックはそう遠くないうちに経営危機に陥るはずである。ゲス川谷? そんなヤツしらね。






“サンミュージックの呪い”といわれる、因縁話めいた一連の出来事があるのである。
●1986年:岡田有希子(享年18)の飛び降り自殺
●1992年:桜田淳子(当時34、現在57)の世界基督教統一神霊協会(統一教会)合同結婚式への参加→芸能活動休止
●2009年:酒井法子(当時38、現在44)覚せい剤取締法違反で逮捕→有罪判決
●2016年:ベッキー&ゲス川谷(27)の不倫騒動
である。この4人は、いずれも事件当時、サンミュージックプロダクションの大黒柱といわれていた人たちである。






うむ。私はスピリチュアル系でもサイコマニアでもないのである。ないのではあるが、リストを眺めていると、皆さん、それぞれメンタルな部分に問題を抱えていたのかなあ、という気がしてくるのである。そう、ベッキーもである。そのベッキーの印象を、今回は整理してみたいのである。



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いつも明るく元気よく、前向きで、しかも純情、清廉、というのが、「ゲスの極み乙女。」川谷絵音との不倫を叩かれる前のベッキーのパブリックイメージである。で、芸能界の同僚たちはみんな“裏表のない、いい娘”と口を揃えていたから、私生活でもきっとその通りであったのであろう。“完璧”と評する声すら少なくなかったのである。



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しかし生身の人間が完璧であるはずはないのである。あたりまえだが神でも仏でもないのである。その摂理に逆らってまで完璧であろうとすることは、ときとして自分も、そして周囲までも、とても窮屈にしてしまうのである。



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そこを衝いたのが有吉弘行(41)がベッキーに奉ったあだ名「元気の押し売り」である。完璧の押し売り、といいかえるとさらにわかりやすい。ベッキーは完璧でなければならなかったのである。これはこれでひとまずおいておく。






『週刊文春』(1月21日発売)にスッパ抜かれたLINEの画像がある。ベッキーとゲス川谷のやりとりである。これは1月5日分、つまり長崎で『週刊文春』取材班の直撃を受けた翌日、謝罪記者会見の前日の記録である。一部を書き起すと以下の内容である。



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《ベッキー:友達で押し通す予定!笑
川  谷:逆に堂々とできるキッカケになるかも

ベッキー:私はそう思ってるよ!

川  谷:よし!

ベッキー:そうとしか思えない。

川  谷:ありがとう文春!

ベッキー:オフィシャルになるだけ!

ベッキー:ありがとう文春!

川  谷:感謝しよう

ベッキー:うん!

ベッキー:それに不倫じゃありません!

川  谷:うん!

ベッキー:略奪でもありません!

川  谷:うん!

ベッキー:センテンス スプリング!

川  谷:長崎手繋ぎデート

ベッキー:長崎不倫旅行
ベッキー:楽しい春と夏になるよ

川  谷:遠恋だと思って過ごす

ベッキー:えんれん》



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まったく反省がない、世間をバカにしている、色ボケ、などなどさんざん批判されてあたりまえである。しかも全体的にひどく子どもっぽいのである。とくに「それに不倫じゃありません!」以下のやりとりは、園児が手をつないでお互いの言葉にうなずき、復誦している感じである。31歳と27歳ってこんなものであっただろうか?






しかし、まず問題にしたいのは前半部分なのである。今回の報道は逆に自分たちの交際にプラスになる、そのことを『週刊文春』に感謝しよう、といっているのである。この確信はいったいどこからくるのであろう?






最初に考えたのは、なにかのドグマ(dogma=教条)に染まっているのか? ということである。どこかの怪しい教祖様から2人は必ず結ばれることになっている、とかなんとかありがたいご託宣でもいただいたのか? である。しかしさっくり調べて、2人の周りに宗教の影はないのである。それっぽい匂いはするが。






もちろん、ゲス川谷が教祖様にとって代われるようなタマであるわけはない。ベッキー自身については、『週刊文春』(2009年8月6日号)のインタビューで「無宗教」と答えているという記述が見つかった程度である。






「逆に堂々とできるキッカケになるかも」「私はそう思ってるよ!」「よし!」「そうとしか思えない」。このやりとりに透けているのは、やがて2人が結ばれ、幸せになることはすでに決まっているのである、既定の路線、運命である、という認識である。






これを「歴史的必然」といいなおせば、かつての左翼運動家の心情と同じである。いずれ革命が成就するのは歴史的必然なのだから、したがって一見したところ反革命的な事象が起こっても、それは実は革命に到るために欠かせないプロセスなのだ、といって強がるわけである。いやホントに喜んだわけである。



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では、なぜ大のオトナが2人してそんな子どもじみた考えに取り憑かれてしまったのであろうか? である。ここで、先ほどの「ベッキーは完璧でなければならなかったのである」というセンテンスに戻るのである。



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テレビで見るベッキーは、“本心を見せない子ども”である。いつでもどのクラスにも1人くらいはいたのである。自分から、自分の考えでなにかをしたい、ということがまったくない子どもである。いつも誰かの目を意識しているのである。



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ベッキーがいつも明るく元気よく、前向きで、しかも純情、清廉にふるまっているのは、そうすると愛されるからである。逆に、愛を失うことになるかもしれないので、絶対に失敗はできないのである。






たいへん申しわけないが、こうした人格は機能不全家族のなかで育まれることが多いのである。典型的な例がカインコンプレックスである。先に生まれた子どもが、あとで産まれてきた弟か妹かに親の愛情を奪われたと感じることは、ままふつうにあるのである。しかし、さらには、ただお兄ちゃんあるいはお姉ちゃんであるということで、無条件に良い子でいるように求められる、我慢を強いられるという状況が続くと、精神的な傷が残ってしまうのである。



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まずは、親の愛情を奪った憎い弟だか妹だかに、無意識のうちに攻撃的になるのである。そういえばベッキーにも、アメリカでダンサーになっている妹がいるはずである。それから、父親か母親かのどちらかを、崇拝と形容すべきほど強く慕うのである。もちろん自分のしつけに厳しくなかったほうである。愛情への渇望である。で、親にばかりでなく、誰に対しても自分を認めてほしいという気持ちが非常に強いのである。しかし自信はまったくないのである。



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たとえば、もう十分なオトナが、家族の誰かが軽い脳卒中かなんかで倒れたとしても、救急車を呼ぶことさえできないなんてこともあるのである。失敗はできないので。そんなこと、どうやったら失敗できるのかわからないのだが。たぶん、はじめての体験というのに怖じ気づくのであろう。






で、かわりに誰かが救急車を呼んで、家族が病院に搬送されたとたん「私が後ろに立って咄嗟に支えたから、頭を打たなくてすんだ」というようなことを盛んに繰り返すのである。まだ診察の結果も出ていないのに、である。褒めてもらいたいのである。いいオトナが、である。






絶対に失敗したくない、失敗できない気持ちは、たとえば大学受験の回避、恋愛の忌避などに現れるのである。これらの行動は、本人はその根底にカインコンプレックスがあるとは自覚していないし、コンプレックスに触れない部分ではすべてしごくまっとうなので、ちょっとした変わり者で片付けられることが多いのである。






しかし無意識に攻撃される下の子はいい迷惑なのである。なにもしていないのに、その子の苦痛や不快が、カインコンプレックスをもつ姉か兄かの喜びになるのである。実は私の姉が、典型的なカインコンプレックスの持ち主なのである。私、むかしふうにいえば本家の長男なのである。で、姉がそのワリを食ったというわけである。






カインコンプレックスが生じるのは親の子育てに問題があったからなので、これを明るみに出すときは、家族関係もぎくしゃくするしでたいへんなのである。本人、ベッキーほど可愛くもないし。ま、これはまたいつかの機会に書かせてもらうのである。






そんなようなわけで、はっきりとカインコンプレックスとはいいきれないけれども、少なくとも、ベッキーは酷く愛情に飢えていたわけである。そしていい子にしていないと愛されない、と心の奥で思い続けていたわけである。



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それをそれを、である。一緒に悪事を働くことができる共犯者ができたのである。悪事は、つまり不倫や世間に対するからかいは、愛情の剥奪という罰の対象から、愛情の確認行為に劇的に変化したのである。あまつさえ、一緒に悪事を働くとさらに関係は深まるのである。ベッキー、長年の息苦しさから解放されてうれしかったのだろうなあ、と思うのである。



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こう考えてくると、ベッキーの行動にもいちおうの理解はできるのである。理解はできるのだけれども、ルールを破ってはいけないのである。みんなそれぞれ事情を抱えて生きているのである。そこで不必要な争いや不利益を生まないために、法律やモラルなどの規範があるわけである。ベッキーは深く反省しなければならないのである。そしてゆっくりゆっくりとでもオトナになればいいのである。



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最後に、どうでもいいようなことであるが、2人の関係におけるゲス川谷の役割にも触れておくのである。『週刊文春』(1月14日発売号)によるゲス川谷の妻へのインタビュー記事から、ゲス川谷のキャラクターを示すエピソードをいくつか紹介するのである。






●結婚2ヵ月後に、愛妻弁当をリュックに隠し、元カノと密会された
●元カノに「ずっと好きだった」といわれ動揺、号泣しながら電話してきた。その後「やっぱりお前に決めたから」と謎の連絡があった
●イメージを保つために、結婚していることを口外するなといわれた



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とことん、いい加減な男である。主体性がない、とまではいわぬが、主体性がきわめて薄いのである。その結果、なりゆきにまかせて生きているのである。先にLINEのやりとりについて、「園児が手をつないでお互いの言葉にうなずき、復誦しているようすが目に浮かぶようである」と書いたが、それができるのも主体性がきわめて薄いからである。






ベッキーもゲス川谷も、鏡のなかの自分と話し合っているようなものである。ああ、ゲス川谷は鏡すら見ていないかもしれないのである。ともかく、よくもこういう2人が巡り会ったものだと感心するのである。で、2人の関係を主導したのは、おそらくベッキーである。ゲス川谷はベッキーの言葉をおうむ返しにしながらヘラヘラとついて歩いているのである。






テート・ラビアンカ事件を起こしたチャールズマンソン以来の、世のカリスマたちの決まり文句を思い出すのである。「オレはお前の鏡だ。お前がオレに見ているものはお前自身だ」。人間は面倒くさいのう。そして、それから、姉にも唐突に同じことをいったけれども、さようならベッキー、なのである。(了)





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