2016年1月15日金曜日

かくて老嬢の戦後は終わる。SMAP解散問題とメリー喜多川





1月15日、SMAPが解散するのか、あるいは解散は回避されるのかについての確定的な情報は、まだ出ていない。報道によれば、「ジャニーズ事務所で協議中」なのである。いったいなにを協議しているというのだろう? と、思っていたら、耳より情報。SMAPを解散させたがっているのはメリー喜多川(89)ひとりだけ、というものである。なるほどである。






確かにSMAPが解散して得をする人間など1人もいないのである。え? DA PUMP? W-inds.? 新選組リアン? いまちょっと忙しいのですみません。というより、関係者は全員、たいへん大きな痛手を被るのである。






立場はまったく逆だが、飯島三智(58)の受け皿になると噂されていたプロダクション、「ケイダッシュ」にしても、木村拓哉を除く4人だけを連れてこられても、当初の目論見からはそうとう大きく外れてしまうのである。もちろんそのときは「SMAP」の呼称も使えないのである。



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念のために説明しておくと、 飯島三智とは、SMAPの育ての親であり、今回ジャニーズ事務所からの解雇が決定した、いわゆる“I女史”である。話を戻す。しかし損得勘定でいえば、当のメリー喜多川にしても、もしSMAPが解散してしまえば、年間250億円ともいわれるその稼ぎの多くを失うことになるのである。



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ではなぜ、メリー喜多川はそれでもSMAPを潰そうとするのか? それは裏切った者は決して許さない鋼の信念と、長年にわたって軋轢のあった飯島三智に対する個人的な怒りからである。つまりは私怨まじりの粛清である。はたから見れば坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、というそのままである。しかしメリーはとうぶん一歩も引かないだろうと思うのである。



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まずは、メリーがどんな人間なのか、ざっくりWikipediaの記述を見ていただきたい。






《ジャニーズ事務所において、事実上経営権を握っている。タレントの扱いやショーのプロデュースをする弟に代わり、会社経営の全般を取り仕切る。 取り引きや接待などが上手く、芸能界に対して多大な影響力を持っている。同時に、政財界にも大きな人脈を持つことで知られている。
弟・ジャニーと共に多くのタレントを育て上げた半面、事務所の方針に従わない所属タレントや不祥事を犯した所属タレントを厳罰に処するなど企業人及び芸能プロモーターとして冷徹な側面も持つ。1996年、オートレース選手に挑戦するためにSMAPを脱退・事務所と喧嘩別れした森且行に対する報復として、「森などという人間は最初から(SMAPに)存在しない!」と自ら強烈なコメントを発表、テレビ局などの各マスコミに森の映像を流さない様に圧力をかけた。》



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であるから、SMAPの中居正広(43)がテレビで森且行(41)の話をすること自体、それだけで事件なのである。そして最近、SMAPメンバーの会話に森且行の話が比較的頻繁に出るようになり、それが放送されるようになったということは、とりもなおさずメリーへの反逆の狼煙を上げたと同じ意味をもっているのである。



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こちらも読んでいただこう。例の、『週刊文春』2015年1月29日号のメリー喜多川インタビュー記事である。飯島三智がジャニーズ事務所を辞める決心をしたきっかけになったといわれるものである。全文がネット上に公開されている。そこにはこういう記述がある。






《(コンサート会場で)テキヤさんが海賊版を売っているのを見つけたら、私、車の中から伊勢丹か何かの袋を出して、(海賊版のグッズを取り上げて)全部バーッと入れてましたからね。『ババア何するんだ!』って言われたら、『文句あるんだったらうちへおいで』と言って。どれだけ喧嘩したかわからない。でも、ヤクザの人だって上の方は話が分かるから、喧嘩してもうまくおさめていますよ。》






たいしたものである。女傑である。しかもこの発言は、ジャニーズ事務所の後継者問題に関する質問に激高して、飯島三智を呼びに部下を走らせているあいだに発せられているのである。なめるなよ、である。で、週刊文春の記者はなめるどころか、インタビュー中、何度もタジタジとさせられているのである。






そしてメリーは、飯島三智が登場すると、記者の前で「だから、この人を呼んでいるのは、私、何にも(根拠)なしにね、『飯島、こういう噂だから、あんたクビだよ』と言うことはできない。今、ここでこういう話を聞いているから、飯島、私はこう言いますよ。あんた、文春さんがはっきり聞いているんだから、対立するならSMAPを連れていっても今日から出て行ってもらう。あなたは辞めなさい、と言いますよ。」といい放ったのである。






これが、インタビュー時点でたぶん88歳のババアの迫力である。誕生日は12月25日である。おお、クリスマスだから「メリー」なのか? インタビューを読む限り、このときのメリーは非常にエネルギッシュでアタマの回転も速い印象である。しかもWikipediaにあるとおり、冷徹である。このあと飯島三智を執拗にとことん追いつめていくあたりは、ちょっと寒気がするほどである。






メリーの夫であった小説家の藤島泰輔(享年64)は、メリーのことを「瞬間湯沸し器型の感情の激しい人だが、実に女」と評していたそうである。つまり怒るときには男のように激しく荒れ狂い、かつとことん執念深い、というふうにもとれるのである。おそらく、表現は悪いが、そういうことである。



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こういう人間なら、SMAPを解散に追い込もうとしているというのもだいぶうなずけるのである。そのメリーによれば、事務所のNo.1は、いまだに近藤真彦(51)だそうである。どうでもいいが。おっと、そういえば1989年12月31日の、いわゆる「中森明菜 金屏風会見事件」を仕掛けたといわれているのもメリーなのであった。どうでもよくないのである。



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1989年7月、中森明菜(50)が近藤真彦の自宅バスルームで左肘の内側を切って自殺未遂を図ったのである。その謝罪会見が、なんと金屏風を置いて行われたのである。しかもそれは、大晦日のNHK紅白歌合戦の真裏の時間帯だったのである。緊急生中継である。



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実は、その年の紅白を、明菜は体調不良を理由に辞退しているのである。たしかに明菜は自殺未遂事件以来、治療・療養などで公に姿を見せていなかったのである。それをNHK側にしてみれば、裏で記者会見である。オファーを蹴り、せっかくの紅白にこんなに強力なコンテンツをぶつけてこられては、明菜に対していい印象をもつはずはないのである。






この会見を仕切ったのが、近藤真彦が所属するジャニーズ事務所であり、メリーである。しかもしかも、会見の3日前の12月28日、明菜は突如としてそれまでの所属事務所、研音からの独立と新事務所の設立を発表しているのである。



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つまりメリーは溺愛する真彦の部屋で自殺未遂などという悶着を起こし、2人の関係を世に知らしめた上に大恥をかかせた明菜に、凄まじい報復をしかけたのである。まずはそれまでの所属事務所に手を引かせて孤立無援にし、金屏風での謝罪会見という前代未聞のはずかしめである。「中森明菜 金屏風会見事件」。恐ろしいことである。






さらにこれには続きがあって、一説によると明菜は会見場に「真彦との婚約会見をする」と、いわれて呼び出されたというのである。で、金屏風である。しかし実際の会見では、明菜の、おそらくは強要されての謝罪のひとくだりのあと、遅れて登場した真彦が「まず、喜ばしいことは彼女がみなさんの前にこうやって出てこれたこと」と、シレッといってのけたのである。






ああん、怖い怖い、芸能界の怖さってこれなのね、である。これではその後、明菜が精神的に追い込まれ、変調をきたすのもムリはないのである。そしておそらくいま現在も、明菜はジャニーズ事務所からの圧力を受け続けているはずなのである。






悪名高き西太后のごときメリーである。西太后とは、ライバルの女の手足を切り落として甕のなかで飼ったといわれている、漢の時代の皇后である。太宰治ふうにいえば、邪知暴虐の女王である。しかしここまでになると、こんどは逆にどうしてこんな怪物ババアができあがってしまったのか? という興味がわくのである。






で、いろいろ調べた感想は、「戦後闇市をいまに生きる女」である。たとえればサッチーのモンスター版である。野村沙知代(83)である。いまは野球評論などをやっている野村克也(80)の妻である。メリーは、あの驕慢とバイタリティをなんケタかズドンとスケールアップした感じなのである。






メリーは1926年、ロサンゼルスに生まれ、33年に家族とともに帰国している。終戦を迎えて47年に再び渡米。再帰国は57年である。で、四谷三丁目にカウンターバーを開き、弟のジャニーがジャニーズ事務所を興すと、そちらの仕事に移ったのである。1962年のことである。



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終戦から47年までのあいだは、大阪松竹歌劇団の通訳として駐留軍の慰問などに帯同していたのである。その後の10年間、つまり21歳から31歳まで、再びアメリカに渡ってなにをしていたのかについては調べがつかない。そして戻ってきて、戦後の一時期、水商売をしていたというのはサッチーも同様である。ここらあたりから、2人に同じ匂いがしてくるのかもしれない。



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実際にメリーが戦後闇市のような修羅場をくぐったかは定かではない。しかしメリーには、新生日本による統治がまだ行き届かない、アナーキーで混沌とした闇市で生きる女の感じがするのである。生きていくためには人を押しのけ、踏み潰してでも糧を奪う。力は正義、弱肉強食。いまからすると、ほとんど命のやりとりに近い生き方の感覚だと思うのである。



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メリーのような人間が、そのまま戦後民主主義の世の中を今日まで生き抜いてこられたのは奇跡である。それは芸能界という場所が、長いあいだ、まばゆい光と深く暗い影が交錯する一種の魔境であったからだと思うのである。サッチーの場合はほとんど家庭に収まっていたので、そこはメリーとは違うのである。






たとえば興行とヤクザの関係ひとつを見ても、少なくとも1980年代までは並の素人に手が出せるシロモノではなかったのである。そこでメリーが、どこかなよなよした弟のジャニーに代わって、対外的な交渉ごとを仕切ったのである。メリー、水を得た魚だったのである。裏切った者は決して許さない鋼の信念とは、いってみればそうした世渡りを支えた侠気である。女なのに。



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しかし時代は変わっているのである。暴対法によって暴力団は封じ込められ、明石家さんま(60)と並んで吉本興業のツートップだった島田紳介(56)は引退を余儀なくされているのである。すでに5年前の2011年のことである。チカラと度胸で生きるカオスの時代はとうに終わってしまっているのである。2016年のここで、メリーは狙った通り、“逆らった”SMAPを潰すことができるのだろうか?






おそらく答えはNOである。今回は田原俊彦(54)とか森且行(41)とかの場合とは話が違うのである。その根拠さえわからないが、SMAPが解散した場合の経済損失は1000億円に達するという試算もあるくらいなのである。たいへんな大問題なのである。






各放送局や広告代理店、出版社などを筆頭に、さまざまな分野のさまざまな企業がSMAP存続を願っているのである。いや、実際にあの手この手で存続を迫っているはずである。世間ももちろんそれを後押ししている。これも定かではないが、木村拓哉以外の4人も、ジャニーズ事務所への残留を望んでいるという報道もある。






この莫大な圧力に、メリー喜多川は耐えられるのだろうか? ひとりメリーは耐えられたとしても、ジャニーズ事務所は耐えられるのだろうか? “ママはもう先がないからどうなってもいいかもしれないけれど、あとを継ぐ私のことも考えてよ”という娘、藤島ジュリー景子(49)の悲鳴が聞こえてくるようである。冒頭で書いた「ジャニーズ事務所で協議中」とは、つまりメリーを説得中ということなのであろう。






しかし、見方を変えればメリーのこの闘いは、戦後闇市から、平和な民主主義日本に突きつけた果敢な闘争なのである。メリーにいわせれば、きっと“なにをいっているのよ、私たちはみんなこうやって生きてきたのよ”なのである。“いまさらきれいごとをいわないでよ”である。しかしそれはもう70年もむかしの話なのである。手を汚していない人間が圧倒的多数なのである。






SMAP解散問題は、いったいどんなカタチで終結するのであろうか? たぶんいわゆる大物といわれる人物があいだに入ったりするのだろうと思うのである。また入りたいヤツは山ほどいるのである。森喜朗(78)とか。そんなこんなで、残念ながらメリーにSMAPは潰せないのである。



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メリーに勝ち目はないのである。しかしこうなってくると、野次馬としては、89歳の老婆の、おそらくは生涯最後の、メンツを賭けた大勝負を応援したい気持ちにもなってくるのである。決して損得の問題で争うわけではないのである。メンツなのである。年間250億円の相当部分を捨てる話なのである。と、同時にまた、こんなことでSMAPには潰れてほしくないという気持ちもあるのである。野次馬的に難しいところである。困ったのである。(了)





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