報道された事件、事故のその後は気にならないですか? 気になりますよねえ。とくに殺人事件などで犯人が捕まらないと、いつまでも記憶に残ってしまって気持ちが悪いものです。しかも残念なことに、最近はそんな未解決事件が多いような気もします。
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で、少し調べてみましょう、としたのですが、その途端、出てきます出てきます。ネットは未解決事件、凶悪事件の話がいっぱいです。“怖い”とか“不気味”とかいう煽り文句が付いているページもたくさんあります。好奇心が独り歩きするネットのダークな部分と、未解決事件の不吉さの相性はバツグン、 と実感させてくれます。ああ、なんとなく今日はささくれている私です。
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そういうところを、いや、情報が氾濫するネットのなかを、重複した内容の記事を何度も目にしながらウロウロするのはイヤなので、ここは『週刊現代』(2015年12月26日号)の特集記事から拾うことにしました。ありがとう現代!! レッツポジティブ!! それにしても、ぜひ「ビー」は入れておいていただきたいものです。レッツビーポジティブ!! ああ、ささくれる。
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[1]世田谷一家殺害事件(2000年12月)
[2]舞鶴高1女子殺人事件(2008年5月)
[3]板橋資産家殺人事件(2009年5月)
[4]島根県女子大生バラバラ殺人事件(2009年11月)
[5]「王将フードサービス」社長射殺事件(2013年12月)
[6]中野美人劇団員殺人事件(2015年8月)
[7]福生顔面はぎ死体事件(2015年11月)
『週刊現代』が取り上げているのはこの7件です。
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[1]の 世田谷一家殺害事件については、例の一橋文哉が2015年12月5日に上梓した『世田谷一家殺人事件 15年目の新事実』(角川書店)において、プロによる嘱託殺人を主張しています。その実行犯についてもずいぶん踏み込んで書いてあります。
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“例の”と書いたのは、「毎回〝犯人〟に会うなどして〝新事実を発見〟し、〝世紀の大スクープ〟を連発しているものの、その後、新聞やテレビが後追い報道したことは無い」(by Wikipedia)からです。wiki、グッジョブ!!
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それと気になるのは、[6]の「中野美人劇団員殺人事件」にだけ、“美人”という勝手な解釈が付け加えられていることです。ゲスです。こういうことはお控えいただきたいものです。“美人劇団”というものがあるのか、と紛らわしいので。ああ、またささくれ立つ今日の私、です。
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もちろん、このほかにも未解決の殺人事件や、殺人が疑われる失踪事件などはいくつもあります。日本の警察はいったいなにをやっているのだ、ということになります。
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警察白書によると、2014年の殺人事件の認知件数は938件で、検挙数は950件でした。つまり2014年以前に発生した殺人事件についても検挙がすすんだので、100%以上の検挙率になっているわけです。単年度での発生→検挙の割合は、一貫しておよそ95%前後を維持しているようです。これは世界トップレベルの数字だそうです。
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ちなみに犯罪全体の検挙率は29.99%です。3割に満たないという衝撃的な数字ですが、窃盗などの細かな事件を拾い上げていくとこうなるようです。また、キンオブコメディの高橋健一(44)のように1人で何件もの窃盗を犯しながら20年以上も逮捕されずにいれば、それだけ未解決の窃盗事件数は増えます。健一は50〜60校に盗みに入ったと見られていて、自宅から押収された制服や下着は1000点以上だそうです。窃盗何件にカウントされるのでしょう。
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話を戻します。『週刊現代』が昨年末につくったこのリストに
[8]大阪府門真市の遺体損壊・遺棄事件(2015年12月)
を加えて、8件の事件について、今後も注視していきたいと思います。これを機会に、こんな形ででも整理していかないと気持ちが悪くて落ち着かないのです。
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そのうち[7]福生顔面はぎ死体事件と[8]大阪府門真市の遺体損壊・遺棄事件は、以前このブログでも取り上げました。いずれも解決には到っていないのでなんともいえませんが、細かな部分に相違はあっても、大筋では取り上げたときの見立ての通りではないか、と思っています。
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[7]の「福生顔面剥はぎ死体事件」については、報道を見る限り、捜査にはなんの進展もないようです。先の『週刊現代』2015年12月26日号の記事においても「司法解剖では死因が判明しなかったのです。土田さんは、 剥がされた顔以外には目立った外傷がありませんでした。現在は司法解剖より詳しい『病理解剖』の最中です。土田さんは普段から睡眠薬を飲んでいたので、薬物によるショック死の可能性も視野に入れています」という“全国紙社会部記者”の談話が掲載されている程度です。
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“土田さん”と同居人である第一発見者はともに飲食業に従事していて、11月12日夕方、目を覚ました同居人に“土田さん”が発見されたときには、頭を青いビニール袋に包んで横たえられ、袋の隙間からは皮膚が剥がれた顔が見えていた、といいます。しかしその後の現場検証では、はぎ獲られた顔面の皮膚も、鋭い刃物と推定される凶器も発見されていません。
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これについて私は、“土田さん”の「死」と「顔面はぎ取り」と「はぎ取った顔面および凶器の処分」は、必ずしもなんらかの目的に沿って1本の線で結ばれたものではないと思う、と書きました。偶然の出来事をきっかけにして、泥縄式に行われたのではないか、ということです。
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具体的には、死因は服毒自殺か、あるいは薬物の過剰摂取による事故であり、顔の皮をはいだのは、同居人が、“土田さん”の表情をあまりにも見るに忍びないものと感じ取ったからだろう、と思うのです。この辺のところ、同居人自身も記憶を失っている可能性があります。もちろん同居人は犯行を否定しています。
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「はぎ取った顔面および凶器の処分」については、やはり同居人は一度、戸外に出ているのだろう、という見立てです。なにしろ公に報道された情報だけにもとづいていますから、推察が間違っている可能性も、もちろんおおいにあります。11月15日分の当ブログに記事があります。事件の詳細はそちらをご覧ください。
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[8]の「大阪府門真市の遺体損壊・遺棄事件」では、この1月19日、かねてから容疑を疑われていた、被害者、渡邊佐和子さん(享年25)の友人、森島輝実(29)が、死体遺棄と死体損壊の罪で起訴されています。しかし肝心の渡邊佐和子さん殺害についてはまだ犯行を否認しています。
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森島輝実は「気づいたら倒れて死んでいた」と供述しているといいます。しかしふつう、「気づいたら倒れて死んでいた」人をバラバラにして、その遺体の一部を加熱して排水溝に流したり、ゴミ置き場に捨てたりするわけはありません。森島輝実はいまだに重大な事実を隠しています。
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事件が発覚したのは昨年12月29日で、私は31日に1回目の原稿を、そして正月3日にその訂正原稿を書いています。そのなかで、私は、共犯者がいるのではないか、と推論を立てています。その理由は、まず若い女性同士で争ったとして、相手を窒息死させるのは容易ではないだろうということ、それと、死体損壊に到るまでのあまりの手はずのよさです。
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渡邊佐和子さんの死亡推定時刻は、12月24日夜から25日午前中にかけてです。森島輝実はその25日の昼過ぎには、ATMで渡邊佐和子さんの預金を下ろし、小型冷凍庫、折りたたみ式ノコギリ、まな板、バケツ、ポリ袋、さらに塩酸入り洗浄液などを購入して、遺体の損壊に着手しているのです。塩酸入り洗浄液!! 短時間に、しかも殺人事件のあとで、よくこのリストアップができたものだと思います。
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仮に死体処理の計画はすでに入念に立案してあり、それに必要な物品を購入するための金=渡邊佐和子さんの預金を奪ってから、一気に実行に移したとします。しかし、少なくとも死体損壊の犯行現場となった森島輝実の自室では、24日の夜、友人を招いてクリスマスパーティが行われる予定だったのです。発案者は森島輝実自身です。先に入念な計画があったのであれば、こんな日に殺害を実行するはずはありません。
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渡邊佐和子さんの生前の最後の姿は、森島輝実のマンションのエレベータ前の防犯ビデオに収められていました。森島輝実と2人で森島容疑者の部屋へ上がっていくようすです。時刻は24日午後7時です。少なくともこの時点の渡邊佐和子さんは深刻な身の危険など感じておらず、このあとでなにか突発的な事情が生じて殺害されたと思われます。
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その後、共犯者は死体の処分について森島輝実に指示をしたか、お互いに相談をしたかのあと、逃亡したのだ、と私は考えています。そして森島輝実の沈黙は、この共犯者を庇うためではないか、と。
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当ブログの1月3日の記事ですから、もし事件の詳しい経過などをお知りになりたければ、そちらへどうぞ。こちらも細かいところでは相違が出てきていますが、大筋では踏み外していないと考えています。
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こうして事件に関心をもつと、警察の捜査がときどきもどかしくなります。でも、それでいいのです。[7]の「福生顔面剥はぎ死体事件」も、[8]の「大阪府門真市の遺体損壊・遺棄事件」も、ひとむかし前であれば、さっさと自白を引き出して一件落着したのだろうと思います。
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しかし、そういう自白偏重主義が強引な取り調べや証拠の捏造までも生み、ひいては冤罪を招く大きな要因になったことを、いまは知っています。この2つの事件では、おそらくどちらの犯人もこれ以上の犯行を重ねることはないと思われます。時間はかかっても、しっかりした捜査をしていただきたいと思います。
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殺人事件の認知件数そのものは、ここ数年減少傾向にあるようです。それでも物騒な世の中になったと感じるのには、ひとつにはマスコミ報道のにぎやかさがあります。そしてもうひとつ、なかなか理解し難い犯行の動機と意想外に粗雑な犯行の態様、があるように思います。これらが、私たちに事件の印象をより深く刻み付け、同時に解決もむずかしくしているわけです。
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『週刊現代』の上げたリストでいえば、[1]の「世田谷一家殺害事件」、[4]の「島根県女子大生バラバラ殺人事件」が、それに相当するのかもしれません。いや、いずれにしても遺体をただ激しく損壊することには合理的な理由などないのです。
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殺人におよぶ動機は、ほとんどの場合、怨恨などの人間関係のもつれや金品の強奪です。それから性的サディズムである快楽殺人。そこに、コリンウイルソンが提唱した「純粋殺人」という概念が加わったのは20世紀の半ばでした。無目的殺人とか劇場型殺人とか呼ばれるもので、犯人は「誰でもよかった」「人を殺してみたかった」というようなことをいいます。
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私が殺人事件に少しこだわったりするのは、そういう犯人の、うんざりするような自己満足の仮面を剥ぎ取ってやりたい気持ちがあるからです。いまふうのどこかで聞いたようなクチを利いてんじゃねえよ、というわけです。あと、人間観の鍛錬みたいな気持もあります。おお、恥ずかしい。
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「純粋殺人」という言葉は、まだカタチにならない概念の坩堝のようなものです。ほんとうの言葉の意味のうえでの「純粋殺人」というのはありえません。その坩堝のなかで輪郭をもちはじめ、やがて広く共有されるようになった概念が、順次、独立していきます。無目的殺人とか劇場型殺人などがその例でしょう。
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そして、ある種の犯罪がそのように類型化されたとたんに、またその仲間入りをしようとするバカが現れます。模倣犯というのではなくて、殺人者としてしっくりくる所属先を見つけた、と感じる輩です。ですからそういう類型化が、あとになって逆に殺人を喚起している可能性は否定できません。
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しかし、それにしても、もう少し気の利いた名前が出てきてもいいころです。「自傷行為、自殺としての殺人」という言葉はポピュラーではありませんが中身は古くからあるものです。自暴自棄というヤツです。だめですねー。
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なにか昨今の粗雑で理解し難い殺人にふさわしい、新しい名前があると思うのです。でも、それをここに書くのは止めます。その気になるバカが現れないとも限りませんし、なんだかささくれ立っているので、見も知らぬあなたに、もったいぶって八つ当たりです。(了)


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