2016年3月23日水曜日
福山雅治なんて、たった半年いなかったら忘れてた
あれ? アイツなんだっけ? いっつも唇で演技してるキザなヤツ。まあ、役者ってか歌手ってか……。ほら、アイツ、あのオヤジ。アゴも肩幅もないし髪の毛も盛ってるんだけど二の線で……。コマーシャルとかいっぱいやってんだけどなー。アイツ名前なんつったっけなー? 田村正和(72)とかとモロかぶってる感じの……。
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おお、そうそう。福山雅治(47)である。このごろすっかり物忘れが激しくなってしまってのう、というか、最近の芸能人は少し顔を見ないとすぐに記憶から消えるのである。このあいだは藤井フミヤ(53)を思い出すのに半日もかかってしまった。ベッキー(32)は約3分。お湯を入れて食べはじめたら思い出したのである。ああ、ましゃましゃ、だったのか。
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それにしても福山雅治の名前がすんなり出てこなかったのには驚いた。たぶん私だけだろう。もともと福山雅治のことは好きではなかったけれども、まったく興味がなかったわけでもない。正直にいえば、むしろイヤな野郎だと思っていた。それでもなおかつ忘れてしまうのだから、危機を感じるべきなのであろう。アタマの。
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いま確認したところ、福山雅治が結婚を発表したのは、去年(2015年)9月28日である。それからしばらく芸能活動から遠ざかっていた時期があって、今日は3月23日。およそ半年である。人気ナンバーワンといわれた大物タレントが半年で忘れられるのである。私には。
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自分のアタマのことが心配でもあり、福山雅治に関する情報を眺めてみた。まず、結婚発表の翌日の9月29日には雅治が所属する「アミューズ」の株式評価額が40億円以上も下落しているのである(「アサ芸プラス」2015年10月4日配信)。
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雅治のファンの80%以上が女であり、しかもそのうちの70%以上が独身といわれていたのだから、投資家諸氏は結婚を契機にファンの“福山離れ”が起きると予想したのだ。で、どうやらいまのところ、ファンの“福山離れ”については投資家の読みは当たっていたらしいのである。株価の動きは知らないが。
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2016年3月10日配信の「アサジョ」(徳間書店)の記事が、“福山離れ”の雰囲気をよく伝えている。以下、抜粋して引用しておく。
《「福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル“魂のラジオ”」が、およそ1年ぶりに一夜限りの復活をする。2015年3月28日に最終回を迎えるまで、15年続いた同番組の復活は、福山がゲスト出演するスペシャルドラマ「桜坂近辺物語」(フジテレビ系)とのコラボレーション。〜略〜「魂ラジ」ファンなら見逃せない内容となりそうだ。》
ラジオを見つめていてもしかたがないと思うのだが、と揚げ足を取られつつ記事はこう続く。
《だが、芸能ジャーナリストは「“福山離れ”は思った以上に深刻なようだ」と話す。というのも、今回の「魂ラジ」復活のニュースに、かつての番組ファンの反応は冷ややか。「一夜限りとか期待させておいて、結局は番宣でしょ?」「もう熱が冷めてしまった。ましゃ、さようなら。月9も観ないわよ!」「離れたファンを魂ラジでまた戻そうとしているんだろうけど、自分はもうファンやめました」などといった厳しい意見ばかりが目立つのだ。》
で、記事のまとめとしては、雅治の危機感が「魂ラジ」を復活させたのだろうという読みで終わっている。
《「やはり福山の中にも焦りがあるのでしょう。なにしろ、ゲスト出演するドラマのために自身がやっていたラジオを復活させ、さらに新主演ドラマの番宣までやるなんて、今までの福山では考えられない積極さです。吹石一恵との結婚報道を機に、ファン離れが囁かれていましたが、福山側も相当な危機感を持っているのではないでしょうか」》
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この記事が暗に示しているのは、[1]雅治人気ははっきり翳っている、と[2]ジタバタするから余計にソッポを向かれている、の2点である。
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“冷ややかなファンの反応”が、いつどこで誰から聞き取りされたものかはわからない。わからないけれども、“芸能ジャーナリスト”か「アサジョ」かの周囲には確かにこうした空気はあるのである。
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そして“新主演ドラマの番宣までやるなんて”と書かれたフジテレビ月9ドラマ『ラヴソング』(4月スタート)についてはこんな記事もある。2016年3月22日 配信の 『日刊サイゾー』である。
《ドラマは福山と藤原が音楽を通し、心を通わせていくラブストーリーだというが、親子にも見える2人の年齢差に関しては、女性からは「気持ち悪い!」「実年齢で27歳差の恋愛って」と、厳しい意見が殺到している。》
藤原というのは藤原さくらという、雅治と同じアミューズ所属の新人シンガー・ソングライターである。20歳である。いちおうオーディションで決定したということにはなっているものの、世間がいうバーターのデキレースというのも、もっともである。年の差恋愛がテーマのドラマではないのだ。『日刊サイゾー』の続きである。
《当初は、ヒロイン役に大物女優の名前も挙がっていたという同作に、藤原が抜擢された裏側をテレビ関係者が明かす。
「当初は、『ガリレオ』(フジテレビ系)で組んだ柴咲コウや吉高由里子、ほかにも石原さとみの名前が挙がっていました。ところが、結婚後の福山の人気急落を察知してか、いずれも出演を断ってきた。それで、オーディションという体で、急遽、藤原が抜擢されたようです。同じ事務所の吉高にすら断られるなんて、以前なら、とても考えられなかったことですよ。福山本人もこれ以上、女性ファンを減らしたくないと焦っているようで、『ラブシーンはやらない』と言い出しています。月9ドラマ初の“キスシーンすらない”恋愛ドラマになりそうです」》
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ましゃましゃ、アーマイガッ!! である。うーむ、人気者というのはこのようにして凋落していくのである。まあ、いっときの熱が冷めると、急に相手がイヤになる気分はよくわかるのである。恋愛と同じようなものである。“可愛いおっちょこちょい”がただのバカ!! になるのである。しかも、ましゃましゃの場合はいっときの熱量がスゴかっただけに、冷めたときの落差もまた大きいのであろう。
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しかしまあ、この大物女優が出演拒否という一件については、たぶん吉高由里子の、例によっての気分屋ぶりが最初にあったように思うのである。アミューズ側としては、オファーの段階で、よもや由里子が拒否るとは思わなかったのである。
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それ以上に、アミューズとしては、由里子も休業が続いていたので、そこからの本格復帰第1弾として願ってもない舞台を用意しやったつもりだったはずである。ところがまさかの「No!」。由里子、グッジョブ!!
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それなら、とその次にお鉢を回されたカタチになった柴咲コウや石原さとみ陣営はまったく面白くないのである。そんな二番手扱いに甘んじてまで、福山雅治のドラマ復帰という賭けに乗る必要はない、ということになったのである。と、私は推察するのである。
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であるにしても、それがこういう書き方をされるところに、現在のましゃましゃの下り調子が見て取れるのである。なんだかましゃましゃ凋落の匂いがうれしくて、ついつい大幅に紙幅を割いてしまったのである。いやなヤツである。
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自分のアタマとの関連でいえば、ましゃましゃは、それがたとえネガティブな情報であっても、この半年間まったく姿を消していたというわけではないのである。世間には存在していた。それがわからなくなってしまうのは、やはり圧倒的な存在感が失われたからである。またほじくり返すイヤなヤツである。ともかく、これを撥ね除けるには、まちゃまちゃ、なにかビッグサプライズが必要である。オカマ役なんかどうだ? スチール写真は蜷川実花(43)に撮ってもらえ。
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で、あの福山まちゃまちゃでさえ半年でどこかへ飛んでしまうのである。こんなことなら、私のアタマからすっかり消えてしまって2度と再び戻ってこない芸能人は、きっと数知れずだと思うのである。そうするとまた自分のアタマのことはさておき、人気というものはいったいなんだろう? と考えてしまうのだ。
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実はいまの芸能人の人気なんてみんなただの思い込みに過ぎなくて、ソイツらがいなければいないで別にどっーってこともない、くらいのものなのではないのか、と思うのである。
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CMやらなんやらを売らなければならない代理店やテレビ局なんかが人気者や有名人を必要としているだけで、ほんとうは誰もいまの芸能人など求めていないのではないか? みんな茶番に引っかかっているだけなのではないか? 千年に一人、とかいわれて。
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いまのまちゃまちゃのように、ネガティブな、誰の得にもならない凋落のニュース、というか話題さえもこれだけバラまかれるのである。これが金を回すために欠かせない人気者づくりなら、何十倍、何百倍のボリュウムで押し寄せてくるはずである。たしかに結婚前の福山まちゃまちゃはスゴかった。
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と、いうことであれば、半年の中途半端なお休みのあいだに、代理店やメディアは福山まちゃまちゃに見切りをつけたということになる。代理店やメディアは半年待てないのである。そうだろうなあ。ちょっと間に合わせのつもりで使ってみたらこれでもけっこうイケるじゃん、安いし。ディーン・フジオカみたいに。
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だからこういう事情に勘づいているタレントたちは、必死になって露出を確保しようとするのだろう。だーれも見たくもないスッピン写真までSNSに上げたりして。つまり、ブスとあざけられても炎上商法とののしられても、話題づくりと冷笑されても、とにかく途切れなく顔を出し続けていることが、この国のほとんどの芸能人にとっての最優先課題なのである。
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misomoなんか顔を出すたび「引退しろ!!」と暴言を浴びせられても、それで顔がテレビにでも出れば万々歳なのである。しかし、もう薄々、自分はこんなmisomoに本当に用はないのだ、そして本当は誰のことも好きではないのだ、とみな感じはじめているのである。
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で、どうなるかというと、売れないころからずっと見守ってもらってきたアイドルくらいしか安定的な人気は得られないことになるだろうと思うのだ。ファンの立場からすればリアルタイムで成長を見てきたのだから、シンパシーは強い。応援したい気持ちにもなる。
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いわゆる育成方式=ジャニーズ方式の大勝利になってしまうのである。右を向いてもジャニーズ、左を向いてもジャニーズ。メリー喜多川、ジャニー喜多川亡き後、事務所としての求心力さえ保てれば、これから先もジャニーズは盤石である。ただし、その求心力の保持に大きな疑問が生じているのだが。
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でもって男に較べて女の芸能人のほうは活躍できる期間が圧倒的に短いし、ジャニーズのような本格的な育成システムもないので、よほどの才能が現れない限り、とうぶんのあいだは、入れ替わり立ち替わりという状況が続いていくのである。
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そして、やはり私のアタマのなかでは、まるで流砂のように次から次へ、ザラザラゴロゴロと人気者たちが流れ去っていくのである。とはいえ、芸能人では誰が好きですか? と聞かれて、「ほんとうはみんな好きではないし、たぶんみんな嫌いなんだと思います」と答えるのもどうだかなー、である。もう少しのあいだならはガリガリサリでごまかせると思うのだが。
というか、そんなことを誰も私に聞いてくれるはずはないのである。お見合いパーティにでも参加しない限りは。みなさん、これが無意識のうちにすごくすごくうすーい見栄を張ってしまった現場です。おお、哀しい。(了)
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