2016年3月9日水曜日
ベッキーとゲス川谷が男と女になるまでの一部始終
たいへんエラそうで申しわけないのだが、私は現状、ベッキー(31)のカムバックには反対である。しかし、ひとこと謝罪しさえすれば、それで許すのである。「1月6日の記者会見で、『川谷絵音さんとは仲のよいお友達』とした説明は事実ではありませんでした。たいへん申しわけありませんでした」。どうしてそう謝れないのだろう?
謝罪を避けている限り、どれだけベッキーの“謹慎”や“反省”が伝えられても、腹黒いイメージが増幅するだけなのである。ベッキーは仕事関係者などにせっせと弁明の私信を書き送り、サンミュージックはマスコミ対策に走り回っている。しかしそれらは、いったん口から出てしまったウソをなんとか誤摩化そうとする小賢しいまやかしでしかないのである。私はイライラしているのである。
「仲のよいお友達」とウソを吐かれたファンや視聴者の心、プライドは傷ついているのである。ベッキー=サンミュージックは、そこを素通りして、ひたすら仕事関係者やマスコミの袖を引いているのである。そんな姿を見せつけられれば、ファンや視聴者の怒りが増すのはあったり前田のクラッカーなのである。
アンケートや街頭インタビューなどで「ベッキーカムバックは、アリ」と答えている人たちの心も、その関心レベルはずっと低いと見なければダメなのである。つまり、いくら「アリ」ではあっても、それは「ベッキーに帰ってきてほしい」ではなくて「ベッキー? いいんじゃないの別に」なのである。
もしこの状況が読めていないのだとしたら、よほどベッキーもサンミュージックも人の心がわかっていないし、ファンや視聴者はずいぶんバカにされたものだ、と思うのである。ウソをつきっ放しで、またニコニコ調子よく出てこられても不快なだけである。
そりゃあー、子どもの教育にはよくないわよねー、なんて説明したらいいのかしらねー? それよりこっちに挨拶を忘れてるっていうのもいただけないわよねー。なにさまのつもりかしらねー。あれでコマーシャルのスポンサーにはさんざん平謝りしたんでしょ? である。
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あー、もう。たいへんイライラしているのである。それというのも、この3月7日と8日の2回、『デイリー新潮』が、『週刊新潮』2月25日発売号からのベッキー関連の“ニュース”をUPしているのである。
7日分のタイトルは
《「ゲス川谷」事情聴取で告白 「ベッキー」を落とした悪質手口その全貌》
8日分のタイトルは
《“無理無理、絶対……” 拒む「ベッキー」を長崎の実家に誘った「ゲス川谷」》
ついでにこれらの元になった『週刊新潮』2月25日発売号でのタイトルは
《特集 ゲス川谷と決別! 『ベッキー』の告解》
である。
さらにまたいやらしく付け加えておけば、「告解」とは「キリスト教の幾つかの教派において、罪の赦しを得るのに必要な儀礼や、告白といった行為をいう」(Wikipedia)のである。であるから、まあ、この場合は、神さまに赦してもらうための罪の告白、である。しかし『週刊新潮』2月25日発売号にベッキーの告解=告白などはひとことも載っていないのである。
それはいいのである。そんなものである。で、『デイリー新潮』の7日分、8日分のタイトルには、明らかにゲス川谷に責任をかぶせ、ベッキーを被害者に仕立てようとする意図が見えるのである。まあ、それもそれでいいのである。そんなものである。イラ立たせてはくれるが。
だがしかし、なぜ本誌発売から2週間ほども経ったいま、その古いニュースを引っ張りだしてこなければならないのか? である。もっと新しい3月3日発売号には、ベッキーなんかよりも面白そうな記事がいろいろあるのに。たとえば《船主会社取締役に名を連ねて轟沈! 脳腫瘍「松方弘樹」の危機は1000億円“融資詐欺”の賠償》とか。あ、検査の結果、病名は「脳腫瘍」ではなくて「脳リンパ腫」であったので訂正しておこう。
ネタがなくても無理矢理ベッキー擁護の記事を書かなければならないほどの特殊な事情でもあったのだろうか? で、私はいまイラ立っているのでゲスの勘ぐりをするのである。要するにこれは『週刊新潮』2月25日発売号での大失態の埋め合わせなのである。
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大失態とは、『週刊新潮』が、ベッキーが日本ユニセフ協会を通じて多額の寄付をしていたと報じたものの、3月1日になって、当の日本ユニセフ協会が、公式サイト上に、婉曲にそれを否定する声明を出した一件である。声明の内容の一部を紹介しておく。
《『ユニセフ関係者が特定個人の寄付履歴を同誌に開示した』といったことを内容とする記述がございますが、そのような情報を当協会が同誌を含む第3者に開示した事実はございません》
さらに、『週刊新潮に』記事が掲載される前に『週刊新潮』側から電話で問い合わせがあったことにもふれている。これには次のように回答したという。
《当協会は、個人情報保護と法令順守の理由から、寄付者の同意なく寄付履歴などを開示することはできないし、したがって、寄付の有無についても肯定も否定もできない》
なんでも『週刊新潮』によれば、ベッキーが匿名で寄付した金額は「アフリカに5つの校舎を建設できるほど」の大きさだったらしいのだが、これでは赤っ恥である。そんな美談まででっちあげようとしたなんて、ベッキーはやっぱり腹黒い、と思われてもしかたがないのである。まったくの逆効果である。
では実際に、この、ベッキーが匿名で寄付をしたうんぬんの情報を『週刊新潮』にもたらしたのは誰か? である。ベッキー=サンミュージックに決まっているのである。ゲスだからな、こちらは。『週刊新潮』が独自に掴んだネタなら、掴んだその時点でネタ元に確認しているはずである。日本ユニセフ協会に確認したのは、当事者が寄付したといい張っている以上、それしか確認の手段がないからだ。匿名だし。
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日本ユニセフ協会にしてみれば、問い合わせに対して明確に情報の提供を拒否したにもかかわらず、《ユニセフ関係者は「募金のことは決して口外しないでほしいと彼女からは念押しされていたのですが、いてもたってもいられず……」と話した》とまで書かれたのである。ご立腹ごもっともなのである。
ベッキー=サンミュージックは掲載前に原稿をチェックしているはずであるから、そのときも『週刊新潮』は“ユニセフ関係者の話”を実際に聞いたフリをしていたのであろう。で、ベッキー=サンミュージックとしては、そんなにいえる立場でもないのに怒ってみせたわけである。「新潮さん、なにやってくれてんの。ユニセフに確認拒否された段階で相談してくれないと。それをこともあろうにユニセフ関係者の談話まで捏造して……」である。
いや、『週刊新潮』の考えもわかるのである。当の本人たちが、匿名でだがアフリカに5つの校舎を建設できるほどの寄付をした、とはっきりいってきているのだ、ある程度、テキトーに脚色して書いても寄付を受けた側の日本ユニセフ協会は文句をいわないだろう、という読みである。
しかし残念ながら、日本ユニセフ協会はおかまいなし。しかもいまのきわめて深刻なベッキーの立場などまったく忖度しなかったのである。なぜか? ベッキーが嫌いだからか? ほんとうはベッキーは寄付などしていなかったからか? それはわからないのである。
そんなこんなで被った大失態をなんとか挽回しなければならないのである。そこでベッキー=サンミュージックが新潮側に働きかけて出てきたのが、3月7日と8日の『デイリー新潮』の、『週刊新潮』2月25日発売号焼き直しネット“ニュース”なのである。
焼き直しとはいえ、若干手を加えられている部分もあるようである。日本ユニセフ協会への寄付の部分はばっさりカットとか。あたりまえか。で、いろいろとまた細かいことを書いても当ブログの以前の記事との重複になるので、それぞれのタイトルで匂わせている「ゲス川谷・悪玉&ベッキー・被害者」説を、当のその記事から検証しようと思うのである。
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まずは3月7日分である。タイトルは《「ゲス川谷」事情聴取で告白 「ベッキー」を落とした悪質手口その全貌》である。
“「ベッキー」を落とした悪質手口その全貌”に相当する記述は、2人の出会いと関係をもっていく経緯についてである。“悪質手口”である以上は、妻帯者であることを隠してベッキーに接近し、“落とした”のかっ!!! と思うわけである。しかしなんだか違うようなのである。そして、さてなにをどうしたいのかわけがわからない、モーローとした記述なのである。
まず、ゲス川谷とベッキーがはじめて2人だけで会ったのは11月26日、東京・中目黒の鶏鍋店「KIJIMA」であり、「次にご飯を食べたのが3日後。『錦織』っていう蕎麦屋で、そのときに奥さんがいることを打ち明けました。実際、その2週間くらい前から(奥さんと)離婚の話をしていまして、“奥さんが家を出てしまって戻ってこない。年内に別れようと思っている”って伝えたんです」。語っているのは、ベッキーのマネージャーによる聞き取り(1月25日)に答えるゲス川谷本人である。
ゲス川谷は2回目のデート(11月29日)のときに妻帯者であることを告げた、としているのである。ゲスな私の関心はただひとつ。ゲス川谷とベッキーの最初の1発は、妻がいるという告白の前だったか、後だったか、である。前であればベッキーが騙されたとも取れるし、後であれば承知のうえの不倫である。続けて『デイリー新潮』こう書いている。
《音楽関係者のひとりが言葉を継いで、 「彼の説明は、“1回目は単なる食事だよ。でも、大人が2人だけでご飯を食べるってことは、それなりに意味があることでしょ。だから、悩ましさを抱えて誘うのは彼女に悪いなと思って離婚のことを話したんだ”というものでした》
そーかー、大人が2人だけでご飯を食べるってことは、それなりに意味があることなのかー。知らなかったなー。ところで問題は「 悩ましさを抱えて誘うのは彼女に悪いなと思って離婚のことを話したんだ」というセリフである。ここはちょっと注意深く読まなければいけないのである。
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ゲス川谷は2回目のデートで「奥さんがいることを打ち明けました」なのだけれども、音楽関係者によると「 悩ましさを抱えて誘うのは彼女に悪いなと思って」話したのは、その次の段階の「離婚のこと」なのである。
つまり、2回目のデートで、ゲス川谷は、[1]妻の存在を打ち明けた→[2]彼女に悪いなと思って離婚を考えていることを話した、のである。彼女に何が悪いと思っているのか? 「悩ましさを抱えて誘う」とはどういうことなのか? それは、既婚者と付き合うことになってしまって悪いな、あるいは自分が一種のやましさを抱えたまま誘って悪いな、であろう。
つまり、ゲス川谷の言葉を鵜呑みにすれば、ゲス川谷には、ベッキーを離婚話で釣ろうとする意志はなかったということである。ベッキーの気持ちの負担を考えて離婚の話をしたのだ、という立場なのである。または、自分自身が離婚の悩みを抱えたまま誘うのはフェアではないから話をした、である。バカいってんじゃねーよ。もうすぐ離婚だとかうまいこといってたぶらかしたに違いねーだろ、とおっしゃるかもしれない。
ちょっと待て。「 悩ましさを抱えて誘うのは〜」の前に「大人が2人だけでご飯を食べるってことは、それなりに意味があることでしょ。」があるのである。この時点、つまり2回目のデートがスタートした時点で、ゲス川谷にはベッキーがすっかりその気だという確信があったのである。
で、自分の妻の存在がベッキーの気持ちの負担になることを心配するのは、すでに男女の関係になっているからである。ゲス川谷が離婚の話をしたときの気分は、「もうじきオレは離婚するんだから、ベッキー、そんなに自分を責めないでくれよ」ってなものである。離婚話でうまいことをいってたぶらかしたのではなくて、離婚の話をしたときにはすでにたぶらかし済みだったのである。
ということで、ベッキーとゲス川谷が最初の1発をやらかしたのは、2回目のデートで「離婚のこと」を話す前である。つまり2015年11月29日夜、あるいは30日未明のことである。ゲスである。「1回目は単なる食事だよ」なのである。
これはいったい具体的にどういう状況であろう? おお、そうか。「離婚のこと」を話したのは、ゲスの私でも顔が赤くなるピロートークか!! ピロートーク!! そうとしか思えない!! ありがとう!! センテンススプリング!! もといニューウェーブ!!(後述) である。よくわかった。
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さて、この1発が「奥さんがいることを打ち明け」た前なのか、後なのか、である。後である。妻がいることを知らされずに関係を持ったのだとしたら、ベッキーがそれほど悩ましくなることはないのである。強く自分自身を責めることはない。『週刊新潮』、『デイリー新潮』ともに、ベッキーはゲス川谷に妻がいると知らずに関係をもってしまった、としたいらしいのだが、それにはムリがある。
しかし、まあ、いずれにしろ妻帯者であることを知ってからも関係は続いていたのだから、妻の存在を告白する前か後か、なんてことは子細なことかもしれないのである。ただ、ベッキーがゲス川谷に妻がいることを知らずに関係をもった、というのでないことだけは、この『デイリー新潮』を慎重に読めばわかるのである。
そもそも、ベッキーがゲス川谷に妻がいることを知らずに関係をもったのなら、そしてそれを納得させられる証言なりがあるなら、もうとっくに大々的に知らされているはずなのである。
であるから、この記事に正しくタイトルを付けるとすれば《「ベッキー」を落とした悪質手口その全貌》ではなく《落ちた「ベッキー」を慰めた甘い見通しその一部》なのである。「ゲス川谷・悪玉&ベッキー・被害者」説の流不は大失敗なのである。あー新潮、また怒られる。
しかしなにを考えたのか、『デイリー新潮』の記事は“音楽関係者のひとり”の話に続けてこう書いているのである。
《要するに彼はベッキーを恋愛対象として強く意識していたのだ。これに対してベッキーは、
「うゎ、ホント? 全然わからなかった」
と言いさし、口をつぐむほかなかった。その口ぶりから察するまでもなく、「妻の存在」の告白は彼女を激しく揺さぶったのである。》
なんだかなー。「その口ぶりから察するまでもなく」って、なんなんだよ。作文するならもう少し……、という前に、自分の文章のなかにある証言によって導かれている、2人の交際開始の状況がまったく理解できていないのである。
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次、8日分のタイトルは《“無理無理、絶対……” 拒む「ベッキー」を長崎の実家に誘った「ゲス川谷」》である。関連する本文の記述は次の通り。
《結局、年内離婚の約束は果たされることがなかった。
「もう少し時間がかかりそうかな」
と川谷はベッキーに伝えたうえで、新年を実家・長崎で迎えようと声を掛けたのだった。それは昨年の大みそか、「ゲス」が初出場を決めていた紅白歌合戦のリハーサルの合間でのこと。
「正月どうする? 長崎行くけど」
「無理無理、絶対。実家なんて」
しかるに川谷は誘いの手を緩めない。
「彼の姪がベッキーの大ファンだからと言い募ったようですが、本当のところは両親にも紹介したかったんだと思います。川谷さんは両親に“離婚は秒読み”だと言っている。それに対して、“早く別れてベッキーさんを幸せにしてあげなさい”と両親が諭すような言葉をかけたようです」(芸能プロ幹部)
ベッキーとしてはまったく後ろ向きだった男の実家での滞在に、運命がいたずらをした。1月4日、2人が実家を出たところで文春記者の直撃を受けたのである。》
これもものすごくヘタな作文である。「正月どうする? 長崎行くけど」「無理無理、絶対。実家なんて」って、誰かが横で聞いていたというのであろうか? 「しかるに川谷は誘いの手を緩めない。」って、まるで空港で売っているエロ小説ではないか。
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文章があまりお上手ではないのでここもわかりずらいのだが、きちんと読むとおかしなことが書いてあるのである。“芸能プロ関係者”の話による『デイリー新潮』の記述の要旨は、以下の4点である。
●ゲス川谷が、姪がベッキーの大ファンだからきてくれと長崎に誘った
●ゲス川谷は、本当は両親にベッキーを紹介したかったらしい
●ゲス川谷は、離婚は秒読みだと両親に伝えている
●帰ってきた息子のゲス川谷に対して、両親は“早く別れてベッキーさんを幸せにしてあげなさい”と諭すような言葉をかけた
ゲス川谷が「本当のところは両親にも紹介したかった」のであれば、ただその通りにベッキーに話して誘えばいいのである。ゲス川谷との結婚を望むベッキーにしてみれば最高に嬉しい話のはずである。なにも姪をもちだす必要などないのである。なにしろ両親は「“早く別れてベッキーさんを幸せにしてあげなさい”と諭すような言葉をかけた」くらいに理解を示しているのである。
ゲスの私である。「正月どうする? 長崎行くけど」「無理無理、絶対。実家なんて」などという会話はそもそもなかったに決まっているのである。しかしこれ、この記事のタイトルにも引用されているのである。その割にベッキーが「無理無理」と思った理由が書かれていないし、結局いくことにした理由はゲス川谷の「姪」だったというのである。
問題は、タイトルの《拒む「ベッキー」を長崎の実家に誘った》である。つまり、みなさんにとーっても評判の悪いベッキーのゲス川谷・実家訪問事件は、実はイヤイヤだったんですよ、といいたいわけである。ぜひそれは主張しておきたいのである。しかし、語る材料がない。そこで、な、なんと紅白歌合戦のリハーサルの合間、という奇想天外な舞台設定の創作がはじまったのである。苦し紛れにもほどがあるのである。
いうのもバカバカしいのである。ベッキーは『第66回NHK紅白歌合戦』に出場していないのである。ということは、連絡はリハーサル会場から、まあ電話とかメールとかで、という話になるのである。するとこの記事にある「正月どうする? 長崎行くけど」「無理無理、絶対。実家なんて」という生々しいやりとりは、いったい誰がどのようにして耳に、あるいは目にしたのか? である。もーまったく。これもベッキー=サンミュージックのでっちあげリークなのか? である。
いちおう今回のネット“ニュース”もベッキー=サンミュージックのチェックが入っているのだろうから、いずれにしてもこの茶番にベッキー=サンミュージックはまったく関係がない、とはならないのである。バカである。しかし、あーあ、新潮また叱られる。
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それでは、ベッキーはどういう経緯で長崎へ行ったのであろう? ここまでのゲス川谷の発言は、すべて1月25日のベッキーのマネージャーによる聞き取りにもとづいている。この聞き取りの一件は、今回のネット“ニュース”『デイリー新潮』の元になっている『週刊新潮』2月25日発売号のスクープであった。
で、前述の通り、最初のデートの話などが掲載されているのだが、ベッキーとゲス川谷がどういう経緯で長崎へ行ったのかはふれられていないのである。その長崎で1月4日に『週刊文春』の直撃を受け、大騒動がはじまるのである。であるから、長崎訪問の経緯についてもベッキーのマネージャーが問いただしていないはずはないのである。しかしそこの記述はない。
で、私はイライラしてゲスなので、ベッキーが連れて行けと要求したのに違いないと思うのである。ベッキーにしてみれば既成事実づくりである。で、このときの長崎往復の航空券は、かなり以前から予約してあったゲス川谷とゲス川谷の妻のものだったという話なのである。一時はゲス川谷の妻のぶんだけキャンセルした、と報道されていたのだが、どうもベッキーに流用されたらしいのである。
私はゲスなので、その2人分の航空券のことを小耳に挟んだベッキーが、それなら私を連れて行け、と要求したに違いないと思うのである。ともかく「ゲス川谷・悪玉&ベッキー・被害者」説の流布は、ここでも失敗しているのである。
3月7日・8日の『デイリー新潮』のベッキー関連記事については、まだまだ突っ込みどころが満載である。しかしもう飽きてきたのでこのへんにするのである。新潮もベッキー=サンミュージックみたいなのに関わってTwitterで「ニューウェーブ(新潮)と呼ばれたい」などとはしゃいでいる場合ではないのである。まずはニューライターを育てなければいけないのである。今回のライター、ずいぶん年みたいだし。
ベッキー=サンミュージックは、まず謝れ、である。姑息なマスコミ対策、マスコミ操作など、打てば打つほどボロが出るだけである。もう元ファンや元視聴者は、ベッキーのニュースを素直に受け取ることはないのである。率直に謝る勇気がなければ、元ファンや元視聴者も素直には聞いてくれない。だから復帰へのスタートラインにも立てない。
そうそう、私としても、こんなことで時間をつぶしていてはイライラが募るばかりなのである。最近、目のまわりがますます真っ黒くろになってきた糸井重里はまるでゾンビみたいだ、とか完全ノーメイクで「Thriller(1983)」が踊れる、とか、両目がピータンだ、とかくっだらなーいことをボーッと考えているほうがずーっと楽しいのである。そりゃそうだ。次はそんな記事が書きたいのである。(了)
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