2016年3月4日金曜日

美容整形ニモマケズ、「人ハ顔ガスベテ」ヲ貫ク





私は「全顔主義」の創唱者であり、信奉者である。「全顔主義」とは人のすべては顔に表れるとする考え方である。“主義”というからには、体系化された「全顔思想」が求められるわけである。しかし創唱者はアタマが悪いので手をつけていないのである。



ただし「全顔主義」は、かつてナンシー関(消しゴム版画家、享年39)が唱えた「顔面至上主義」とは、はっきりと一線を画しているのである。つまり人の顔面を崇め奉る姿勢などまったくもたないのである。



で、会う人会う人、通りすがりの人の顔までもしげしげと眺めて日々を過ごしているわけである。そんな私に、いま2つの悩みがあるのである。ひとつは美容整形が増えていることである。



高須克弥(71)の手術を執刀した三男の高須幹弥(41)によると、種々のデータから、現代の日本人女性で、生涯のうちに美容整形を受ける人の割合を予想すると、だいたい30~40%くらいになるのではないか、という話なのである。



“予想すると”という、これからのお話のニュアンスと、まあ我田引水、宣伝分として10%くらい差し引いて聞いてやるのである。エラくなったものである。ちなみに幹弥は父さんの彼女、「一般財団法人高須克弥記念財団」理事長でもある漫画家、西原理恵子(51)のことはどう思っているのだろう?



もちろん私とて、ダテに人の話を上の空に聞き流し、ただその顔をにやにや眺めて半生を費やしてきたわけではないのある。顔面の手練なのである。そこに入れている、そこを切った、というのは一瞬にしてわかるのである。



であるから施術前の状況も容易に想像がつくのである。また「美容整形を受けた人」というのは、その人を考える場合の、重要なファクターにまだなりうるのである。どれだけカスタムされていようと、顔面が私の大好物であることに変わりはないのである。



ところが、やはり顔面の中央にロケットの尾翼などをあしらわれると、どう想像力で補っても、人の顔面が本来もっている繊細な味わいは失われてしまうのである。非常に残念なことである。悩みである。なんとか打開策を工夫したいものである。



 

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悩みのもうひとつは、さらなる欲求である。もっと詳しく、精緻に読み取りたくなっているのである。下層だの貧困層だのという大雑把な扱われ方、扱い方をしたくないのである。そこをおおざっぱにしてしまうと、いまの世のなかのことがよく察知できないのである。



現実に、この日本ではいまも経済的困窮から餓死する人がいるし、その一方では20〜30万くらいの給料をもらっていながら貧困層だと喚く単身者もいるのである。まずは下層だの貧困層だのという言葉から自由になるべきなのである。そのために、もう少し詳しく、精緻に読み取りたいのである。



たとえば、自衛隊員なら自衛隊員というだけでなく、「士」なのか「曹」なのか、あるいは「尉」なのかまで読み取りたいと思うのである。もちろん、階級章など服制にのっとった格好ではないときに、である。服制で制服。うむ。そういえば昨夜、「機器の性能」と書こうとして無意識に「機能の性器」と書いていたのである。春である。



で、「全顔主義」の思想からは逸脱するようではあるが、身なり、服装についてもさっくりと眺めてみようと考えたのである。服装はもともと社会的なものであるから、その人物個人の性格や資質、生活歴などを読み取ろうとする「全顔主義」とは、またまったく別のものと考えてもかまわないと思うのである。「全顔主義」を補完する「被服の扉」である。



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さて、で、いよいよ私服姿の芸能人についてあれあれ御託を並べてみようと思ったのである。思ったのであるが、あまり広がらないのである。広がったのは、中居正広(43)はどう見てもチンピラヤクザだ、というくらいだったのである。



中居正広、グレーのジャージなのに、それがステテコに見えるのである。で、キャノチエ(カンカン帽)に黒縁メガネである。植木等(享年80)亡きいま、こんな格好はチンピラヤクザか月亭可朝(77)くらいのものである。実際はもっと着こなしの部分、着古し感などまで観察したいのだが、それにはやはり写真だけでは無理なのである。



で、ほかの若手芸能人はといえば、だいたいのところ、一見無頓着を装っていて、肌の露出が多め、割とカラフル、という感じで、イギリスなら完全にワーキングクラスのど真ん中、ということらしいのである。らしいのである、というのは知り合いの見立てだからである。これにタトゥーとピアス(耳以外)で完璧だそうである。



私はイギリスの階級社会にも、着るものにも詳しくないのである。しかたがないので私自身の話をすれば、身分は士・農・工・商・穢多・非人ときてさらに犬がいて私である。犬以下である。倒れた背中を大型犬に踏みつけられたこともあるのである。犬に踏まれた男である。



でもって着ているものは、ほぼパジャマである。寝る時にはまた別のパジャマに着替えるのである。外に出るときには黒か紺を着てマスクをしている。マスクは人の顔を眺めてはつい浮かべてしまうニヤニヤ笑いを隠すためである。悪意はないのに、ついニヤニヤしてしまうのである。それでホームレスのオッサンに追いかけられたこともあるのである。



私のアピアランスについては、ついこのあいだ、清原和博(48)に似ていると衝撃の宣告を受けたのである。どう見ても似ていないのである。なのにそれを本人にいってくるということは、なにか腹に一物を抱えているわけである。逸物ではないのである。



清原和博に似ているということは、いつもラリッているみたいだということであろうか? 確かに呂律が回らないことはある。「おはうごらいます」である。しかし強がってもいないし侠気もないのである。



生まれてこのかた、野球なんかしたこともないのである。生まれてこのかた。ああ、子どものころ、桑田真澄(47)によく似たヤツをいじめたことはあったのである。反抗的な目をするので。寝ているあいだに顔のホクロが動いている、とかいって。あれか? よくわからない。



 

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こんな私でも、ほんの半月間ほどではあるが、スーツを着て通勤をしていたことがあったのである。半月間だけ会社員だったのである。で、恐ろしいことにわずか半月間でもスーツを着てしまうと、外出にはスーツを着なければなんとも心もとない気分になってしまうのである。以前、浴衣で1週間ほど通したことはあったが、浴衣でなければ心もとない、という気分にはならなかったのである。



つまりスーツには、世間とか社会とかを強烈に意識させるチカラがあり、また、そうした世間や社会からの視線を撥ね除けるチカラもあるのである。少しおおげさにいえば、スーツを着ることによって、世間や社会は他者になる、といったような感じである。スーツを着慣れると、その他者の中に出ていくという気持ちが抜けなくなってしまうのだと思うのである。



で、堪え性のない私にとってはどうにも煩わしい会社勤めは辞めてしまって、また好き勝手な服装で街を歩きはじめると、わずか数日で世間に親しさが戻ってきたような気がしたのである。スーツは戦闘着、というとこれまたどうにもベタだが、なんだか敵と対峙する衣裳のような気がするのである。



軍服も含め、制服の最も重要な目的は、その組織の人間を識別し、さらに組織内の序列、職能、所属などを明確にすることである。スーツというのもひとつの制服だと考えれば、わたしが受けた感覚もなんとなく合点がいくのである。



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では逆に、ふだんは“制服”で仕事をしている方々の休日の恰好である。これ、なんとなくふつうの私服であっても、オフィスワーカー、工場勤務、外回りと、それぞれ違う雰囲気があったのである。あったのである、というのは、いまはなんとなくみんな似てきているようなのである。



私にとって、私服姿であってもオフィスワーカーはオフィスワーカーに見え、工場勤務者は工場勤務者に見えることは、長いあいだ謎だったのである。人は知らず知らずのうちに帰属集団のカラーに染まっていくのか、などと思っていたのである。



しかし最近はみな雰囲気が似てきたのである。これはひとつは、情報化と国際化のために、「日本人」というくくりがより強く鮮明になってきたことと関係があるように思うのである。こまかな差異はともかく、くくりとしては、とりあえず「日本人」。そしてその日本人同士のあいだで実に微妙な差別が行われているのである。



最近、みなさんの私服の雰囲気が似てきたもうひとつの理由は、やはりUNIQLOをはじめとするファストファッションが定着したからだろう。ファストファッションは大規模なマスマーチャンダイジングによって提供されているものであるから、デザインも素材も生産地も生産技術も生産者も、ほとんどの場合、まったく同じである。



マスマーチャンダイジングによって生産される衣料品は、従来の衣料品のように、たとえデザインはよく似ていても色合いが微妙に違う、とかパターンの起こしが違うとか、たとえていえば変数の入り込む余地が少ないのである。で、まるっきり同じものができあがる。誰が着ても同じように見えやすい。



つまりUNIQLOは、街から、表向きだけだけれども、それぞれの「身分」を追放したのである。お金持ちも貧乏人も、エラい人もエラくないひとも、みんな平等になったのである。私服民主主義である。



しかしUNIQLOのようなマスマーチャンダイザーは、次々に新商品を成功させ続けなければ、すぐにただのディスカウンターと変わらなくなってしまうのである。UNIQLOの場合もヒートテック以来ヒットがなく、そのうえ値上げまでしているので、大苦戦しているのである。



 

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UNIQLOの業績不振の打開策に、と2月22日からはじまったのが、セミオーダーのジャケット販売である。1着1万4900円+消費税である。セットアップパンツなるものを組み合わせれば、立派なスーツである。UNIQLOのスーツ。しかし、みんなUNIQLOのスーツ、にはなり得ないのである。



みんなUNIQLOのスーツ になってしまっては、制服の最も重要な目的である、その組織の人間を識別し、さらに組織内の序列、職能、所属などを明確にすること、が不可能になるのである。それとも、みなさん日本の労働者としてひとくくりにされることで納得されるのであろうか?



ああ、そうか。UNIQLOは日本の労働者にとっての軍服をつくろうという魂胆なのである。納得するもしないも、労働者はみな十把一絡げなのである。経済的な差異は、ただその中で若干浮いたり沈んだり、ときに沈殿したりしているというだけなのである。



イギリスの階級構造はUpper、Middle、Working(Lower)であり、数の多い Middleはさらに3つに分かれているらしいのである。しかるに日本の場合は上流階級と労働者階級の2つだけなのである。国民ほとんどすべて労働者階級である。上流階級の人々というのは、まだホンモノを見たことがないのでどんなものかわからないのである。



そんな労働者同士で下層だの貧困層だのいいあってもしかたがないのである。ただただ軍需産業、UNIQLOから配給される軍服を着て、日本のために闘うのである。軍服を着せる前にみんなの私服からオソロにしていくとは、UNIQLO、なかなかやるものである。



そうか。それなら1億火の玉、私もパジャマという軍服を着て頑張るのである。何を頑張るのだ、といわれれば、犬に踏まれたりするのである。なんだかそれが近年最高のグッジョブ!! のような気がしているのである。(了)




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