2016年3月6日日曜日

ビートたけしの流儀を、さっくりと解剖する





松方弘樹(73)、桂文枝(72)、ビートたけし(69)、3人それぞれの“愛人事情”を眺めて、ついでにビートたけしについて少し考えたところを書いてみようという今回の思いつき。昨日は松方弘樹と桂文枝を眺めたところで時間切れになってしまったのである。たいへん失礼をしてしまったのである。お詫び申し上げるのである。



改めて考えてみれば松方弘樹は独身であり、同棲してから20年近くにもなるので、山本万里子(43)は“愛人”というよりも実態的には弘樹の“内縁の妻”なのである。もちろん“愛人”といういわれかたは間違ってはいないのだが、なんとなく騙されていたような気持ちにもなるのである。



“愛人”と“内縁の妻”とでは、イメージに大きな隔たりがあるのである。“愛人”は月、“内縁の妻”はスッポン。“愛人”はなんとなくバラとワインの香りで、“内縁の妻”は炊飯器の湯気の臭いなのである。“愛人”は石畳で“内縁の妻”はただの畳である。“愛人”はマルグリット・デュラス(享年81)であり、“内縁の妻”は吉幾三(63)のともこである。



でもって、いま現在の松方弘樹には“内縁の妻”が似合っているのである。山本万里子からしてみれば弘樹は仁科亜季子(62)からの不倫略奪婚であるので、口が裂けても“糟糠の妻”みたいなことはいえないのである。しかしながら、実の息子の結婚式にも呼ばれない松方弘樹の現在唯一の家族とはいえるのである。



で、入籍しないのは山本万里子の意志らしいから、もし万一、過去の不倫略奪婚の責を引き受けて“愛人”でい続ける覚悟であるというなら、おお、涙が出るではないか。ただしここでも“内縁の妻”では涙は出ないのである。まあ、しかし、過去を背負っているなどということはないのである。



松方弘樹はラッキーな男である。「脳リンパ腫」はたしかに侮れない病ではある。しかし「松方には最後まで俳優人生を貫いてほしいと思っています。たとえ入籍しなくても、私は妻として、ずっと松方を支えていくつもりです」といってくれるパートナーがいるのである。老優、松方弘樹の仕事が楽しみである。



桂文枝については、昨日書いた以上のことはない。桂米朝が亡くなってまだまもないこの大切な時期に、である。あのように無粋極まる醜態を晒すとは、まったくもって言語道断なのである。落語家は高座を下りても落語家でなければならないのである。これで関西落語界はまた大きく地盤沈下してしまった。少しはアホの坂田師匠を見倣え。



 

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さて、ビートたけしである。ビートたけしの愛人問題といえば、まず思い浮かぶのが1986年12月9日の雑誌『Friday』編集部襲撃事件である。当時の愛人への執拗かつ強引な取材に腹を立てて、たけし軍団11人とともに乗り込んだのである。長いけれどもそのときの状況をWikipediaから抜粋しよう。



《1986年12月8日、東京都渋谷区の路上で、ビートたけし(以下「たけし」、当時39歳)と親密交際していた専門学校生の女性(当時21歳)に対し、『フライデー』の契約記者が、女性が通う学校の校門付近でたけしとの関係を聞こうと声をかけたが、それを女性が避けて立ち去ろうとしたため、記者が前方に立ちふさがってテープレコーダーを彼女の顔に突きつけ、手を掴んで引っ張るなどの行為に及び、頸部捻挫、腰部捻傷で全治2週間の怪我を負わせた。》

《これに怒ったたけしは、フライデーの発行元である講談社に電話をかけ、強引な取材に抗議した上、「今から行ってやろうか」と通告し、翌12月9日の午前3時過ぎ、たけしは彼の弟子集団たけし軍団メンバー11人と共謀して、タクシー3台にそれぞれ4人ずつ分乗し東京都文京区音羽にある講談社本館のフライデー編集部に押し掛け、〜》

《田中康夫による裁判傍聴記においては、当初たけしは手を出さないよう軍団メンバーに言っておいたものの、当時の編集次長による「自分は空手が得意である」旨の発言をはじめとした、編集部員の挑発的言動が原因で暴行に至ったと記されている。》

《報道によれば、たけしが「担当者を出せ」と迫った後、どちらからともなく一斉にもみ合いになった。たけしらは「ブチ殺すぞ、この野郎!」などと怒鳴りながら、同誌の編集長及び編集部員らに室内にあった雨傘や拳で殴打したり蹴ったりして、肋骨骨折などで1ヶ月から1週間の傷害を負わせた。たけしらは住居侵入・器物損壊・暴行の容疑で、大塚警察署によって現行犯逮捕された。》

《1987年6月10日、東京地方裁判所は傷害罪でたけしに対して懲役6カ月(執行猶予2年)の判決を下し、控訴しなかったため確定した。なお、たけし軍団メンバーは1987年3月2日に起訴猶予処分となった。》

また、乱闘に到るやりとりのなかで、以前からたけしの家族などを強引に取材し、愛人に怪我を負わせた記者が『GORO』(小学館)から『Friday』(講談社)に移籍していたことを『Friday』側が隠していたことがバレた、ということもあったらしいのである。



まあ、ビートたけしと軍団の面々、文句をいいにいって、つい挑発に乗ってしまったのである。スキャンダル雑誌『Friday』にとって、ビートたけしがわざわざやってきて喧嘩してくれるなど、願ったり叶ったりのおいしい話なのである。



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で、愛人である。ここに出てくる“専門学校生の女性(当時21歳)”が、知ることのできるビートたけしの愛人第1号である。妻の幹子(64)とはこの7年前の1979年、たけし32歳のときに結婚しているから、れっきとした愛人である。しかも愛人17歳、たけし35歳のときからの付き合いである。幹子とたけしの3年目の浮気である。たけしアンドみきぼーである。



愛人1号とたけしの関係は事件以降も続いて、1990年ごろには子どもも生まれているのである。一時は夫婦同然に親子3人で暮らしていたらしいのである。しかし子どもの認知はしていないようなのである。



で、1994年にたけしは細川ふみえのマンションに通っているところを写真に撮られているのである。また2002年には自分の映画の出演女優、大家由祐子(44)との不倫同棲も『Friday』に報じられている。こうして知れる範囲では、だいたい8年〜9年周期で新しい女が現れるのである。



しかし、このあいだにも愛人1号との関係は併行していて、1994年8月2日に起こしたバイク事故のリハビリのためにオーストラリアにいったときにも、愛人1号が同行しているのである。また、2002年にはたけしの車が愛人1号のマンションに出入りしているのを目撃されてもいる。現在どうなっているのかはわからない。



 

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『週刊文春』2014年7月17日号にスクープされた愛人もいる。“妻に全財産を渡してもいいから彼女と一緒になりたいとたけしが語っていた”と報じられたことで、一部では“100億円の愛人”と呼ばれているのである。しかもその後たけし自身がその愛人の存在をテレビなどで公言しているのである。「『私に命を懸けてもいい』ってテレビで言えってうるさいんだよ」なのである(『なるみ・岡村の過ぎるTV』朝日放送))。



“100億円の愛人”は、ただいま49歳である。いくらなんでもそんな幼稚なおねだりをしてはいけない年齢なのである。そしてなんという神の采配か『Friday』襲撃事件の発端となってしまった愛人1号も現在49歳である。おお、17歳の高校生、21歳の専門学校生も、はや49歳。思い起こせばあれから幾星霜、である。



実はこの49ers、同一人物ではないか、という噂もあるのである。きっと、またなんですき好んでそんなババアを愛人に、と思ったヤツが考えたのである。私もそう考える。いまのところ、どうやら別人のようだ、ということにはなっているが、まだまだ本当のところはわからない。



で、そんなこんなしているあいだにも、当然、妻の北野幹子がいるわけである。1979年に結婚しているから、結婚生活丸36年になる。この間、愛人と呼べる存在は第1号、細川ふみえ、大家由祐子、そして“100億円の愛人”である。しかしその他ちょっとした付き合い程度は星の数である。



幹子自身、そういう不実なたけしの行動に耐えられず、ほかの男と駆け落ち同然に家出したこともあったのである。相手は5代目笑福亭枝鶴(70?)である。現在は芸界をやめて行方知れずである。いつの出来事だったのかは、まだ調べがついていないのである。申しわけないのである。



で、このとき、ビートたけしは幹子に土下座をして帰ってきてもらった、ということになっているのである。もとはといえば自分が播いた種である、実母の北野サキ(享年95)が離婚は絶対に許さないといっていた、などなどそうすべき理由はいろいろ挙げられるのだが、たぶん最大の理由は、幹子が家に帰ってきやすいように道筋をつけてやるということだったように思うのである。



で、幹子はとうぜん、今回の“100億円の愛人”についても激怒しているらしい。しかし、マスメディアでは“これまでとは違う入れ上げかた”だとかなんとか大騒ぎをしているが、たけしが離婚することは、絶対にあり得ないのである。



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さて、ここからがたけしについて考える部分である。たけしと女たち、という視点で見ると、まず本妻幹子の太い線があり、併行して愛人第1号の少し細く短い線がある。で、さらにその外側にもっともっと短い線やら点やらが断続的にいろいろ、というイメージで捉えられる。



これを色分けすると、本妻幹子と愛人第1号までが「IN」であり、細川ふみえ、大家由祐子、その他もろもろの女たちが「OUT」である。“100億円の愛人”については、まだはっきりしないことが多いので置いておく。



ビートたけしという人は、いつも「IN」と「OUT」のバランスをとりながら生きている。それでは本妻の幹子はたまったものではないが、そうなのである。前回の記事で二足のわらじの人、と書いたのもそういう意味である。



「IN」と「OUT」は、身内と部外者、体制と反体制、カタギとヤクザといいかえてもいい。InsiderとOutsiderである。どこでどうなってなのか、たけしは「OUT」の資質を抱えて生きている。それがなければ「IN」と「OUT」のバランスという話にはならない。もちろん多くの人々は、「IN」の資質だけで生きている。



お笑いというのは、人の裏をかく仕事である。「OUT」の資質が生きる「OUT」の仕事である。また処世としても、芸人、表現者として尻尾を掴まれないために「OUT」の部分は生かしておきたい。しかしかといってあまり「OUT」の割合が大きくなりすぎると、反社会的だというレッテルを貼られかねない。バランスが大切である。で、女については、妻の幹子が「IN」の中心にいてアンカーの役割を果たしているのである。



しかし不倫だ愛人だでOutsiderを気取られても、なんだかなー、である。たけしの「OUT」の部分には、もともとは「女」とともに「暴力」があったのである。しかし「暴力」は1986年の『Friday』襲撃事件を教訓として、実生活からは遠ざけられたのである。以降は映画などでの暴力志向が見られる程度である。



で、いま反モラルとして「OUT」を担っているのが愛人である。しかし愛人第1号はいまやすっかり「IN」の人になってしまっているのである。圧倒的に「IN」が優勢なのである。これではいけないのである。女は「OUT」も担っていなければいけないのである。世間的にもインパクトがない。で、登場したのが“100億円の愛人”というわけである。どこまで本人が意識しているのかはわからないのであるが。



 

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「IN」と「OUT」はもちろん仕事面にも見えていて、お笑いを「IN」として、映画、絵画などがある。いまは映画も「IN」か。これについては、小説を書いていたころの発言が印象に残っているのである。およそ以下のようなものだったと記憶している。



「オレは自分の書いた小説を、いわゆるプロの小説家にけなされても全然平気。お笑いがあるから。逆にオレが誰かの小説をもってきて、こんなのつまんねえみたいなことをいったら、そいつは終わっちゃうよ」



まあ、悪たれ口である。とにかく、ビートたけしは、いつもこのようにして「IN」と「OUT」に二股をかけ、バランスをとってきたのである。そして肝心の「IN」がお笑いというより、もっぱらテレビのバラエティ方向に流されてきたことに危機感を抱いてはじめたのが、落語なのであろう。



しかし将来的には、やはりお笑い→バラエティに取って代わって映画が「IN」の中心になるのだろうな、と思うのである。



ビートたけしについてはいろいろな評論、評価がある。しかしビートたけし自身を動かしているのは、ただそこそこOutsiderの意地、ヤクザな男の意地である。否定形でしか表現できない、世間や人間への意地である。笑わせるであれ震え上がらせるであれ、「IN」の連中の裏をかくことに人生を賭けている。



ああ、だから女の話に戻せば、たけしはほんとうはそんなに女好きではないのである。ほんとうに女好きで、一悶着おこしてやろうと思うなら、相手はやはり17歳の女子高生である。49ersではない。それともたけし、もう脂が抜けはじめたというのだろうか? 「暴力」に次いで「女」もダメになったら、あとはマジ、酒と博打くらいしかやることがないではないか。(了)




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