“変態写真集”を出す、と予告して反発をかったオリエンタルラジオの初写真集『DOUSEI-ドウセイ-』についての、撮影者・青山裕企(38)および担当編集者の釈明が情けない。写真集の内容は、『J-CASTニュース』(2016年8月19日配信)によるとおおよそ以下のようなものらしい。
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《ツイートの投稿画像を見ると、今回の写真集には、「腐女子」向けのボーイズラブを狙ったようなものがあった。
オリラジの中田敦彦さん(33)がフォークを持って相方の藤森慎吾さん(33)に食べさせてあげているところや、2人が同じベッドで向き合って寝ていたり、藤森さんが中田さんのネクタイを結んであげたりするシーンがそれだ。この写真集は、KADOKAWAから9月2日に発売される予定になっている》
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この発売をカメラマン・青山裕企は「『もし、オリラジのふたりが一緒に暮らしていたら』 究極の変態写真集です!」とツイートして煽ったのである。いただけない。同性愛者は変態、という、もうゲンナリするようなベタな差別意識が丸出しである。
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で、指摘されてさすがにこれはマズいと思ったのか、青山裕企、直後に「究極の変態=同性同士の同棲という意味ではなく、端的に言えば、青山=変態的な視点という意味なので、よろしくお願いいたします」と釈明した。というか強弁したのである。まったく釈明になっていない。
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つまり青山裕企は、自分は同性愛者が変態だといっているわけではなくて、私、青山自身の視点が変態的だといっている、ということらしいのである。なんだろうコイツ。これでは突然、他人を「バカ野郎!」呼ばわりしておいて、咎められると「いえ、いまバカといったのは自分のことです」とオタオタしているのと同じである。トボケとる。
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で、さらにKADOKAWAの担当編集者は、「差別を発想してしまったかたがいること、それにより傷ついたかたがいることは、申し訳なく思っております」とツイートで謝罪した、そうなのである。あのなー、こういうのを罪のなすり付けというのである。
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「差別を発想してしまったかたがいること」が申しわけない? なにをいっているのであろう。これでは“差別を発想してしまった”ほうにもいくばくかの責任があるようないい方ではないか。そのために“差別を発想”などという不思議な文言までひねり出して。“差別を発想”、これでは勝手に自分で差別意識を創出したみたいである。発想じゃねーよ。こっちは差別意識を感じさせられて不快な思いをさせられているのである。正しくは「差別的な表現によって不快な思いをさせてしまい」申しわけない、であろう。
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最近こういう輩がたいへん多いので、もう少し書かせていただく。この担当編集者は、たとえば職場にインフルエンザを持ち込んで病欠者続出、大幅なスケジュール遅れをもたらせてしまったとして、「インフルエンザを発症してしまったかたがいること、それにより傷ついたかたがいることは、申し訳なく思っております」といっているのと同じである。バカが偉そうになにを寝ぼけておるのか、である。
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謝らなければならないのは、インフルエンザをうつしてしまうかもしれないという認識がなかったこと、そして認識のないまま行動してしまったことである。その反省がなければ、そのうち誰もこの編集者の近くには寄りたがらなくなるであろう。くーだらないいい逃れを連発する無責任はいい加減にしていただきたいのである。
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突然だが、もしもある日「私はエイリアンだ。仲よくしよう」という男が目の前に現れたらどうだろう? エイリアンはとりあえずさておき、「私はヴァンパイアだ」と名乗る男は実在しているらしい。
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『Techinsight』(2016年8月12日配信)によると、イギリスには1万5000人ほどの“本物”のヴァンパイアがいて、ヴァンパイアに血を与えるサポート団体の支援者の数はその2倍にもなるといわれているそうだ。しかし社会の偏見や差別、苛めは酷く、周りに公言してもヴァンパイアとしてふつうに生きていくことは難しいという。以下『Techinsight』の記事からの抜粋である。
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《ダークネスさんはマントも羽織らず牙もつけていないが、カスタマイズした棺桶で寝起きしている。映画のようにガーリックや日光が苦手ではなく、むしろ光の中を歩くことで幸せを感じるという。ガーリックも怖がらず普通に食べる。そしてヴァンパイアらしく、ダークネスさんは豚や牛、時に人の血を飲んで生きている。
母親のシルビアさんはあくまでも息子をサポートする姿勢を見せているそうだ。しかしダークネスさんは13年間自分らしさを受け入れてもらえない社会の厳しさを目の当たりにしてきたという。
周りに馬鹿にされ、からかわれたり苛められたりといった人生がほとほと嫌になっているというダークネスさん。「周りの人は、彼らにとって普通なことは僕たちにとって普通じゃなく、またその逆も然りだということを理解してほしい。それでも、他の人と同じように偏見を持たずに接してほしい」と訴えている。》
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ダークネスと自称するこの人物は10代の頃に犬の散歩の途中、ゾンビの格好をしていた10代の少女たちに出くわしたのだそうだ。いったんは恐怖で家に逃げ帰ったものの、興味をそそられ、後日、少女たちに話しかけて打ち解けたダークネスは、それ以降、ゾンビやヴァンパイアの生活に興味を持つようになり、もう13年間自称ヴァンパイアとして暮らしているのだという。
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つまり、ダークネスは10代まではふつうの人間として暮らしていたのである。で、それがある日自称ヴァンパイアになったからといって、みんなヴァンパイア扱いしろ、そして偏見をもつな、といわれてもちょっと戸惑ってしまうのである。いわせていただければそれはヴァンパイアごっこで、ごっこに付き合う筋合いはないのである。忙しいのである。おっと、いま少し見栄を張ってしまったのである。全然ヒマ。申しわけないのである。
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しかしヴァンパイアごっこに付き合うには、多少なりとも人間観の間口を広げなければならないのである。受け入れる社会の側も変化しなければならない、ということである。これが「カエル人間」だとか「ウシ人間」だとか、続々出てきたらどうすればいいのだ? 面倒くさいぞー。
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しかしだからといって人間社会からスポイルしては、もちろんいけないのである。「あいつら人間じゃねーから」は、“あいつら”がほんとうは人間であるが故に、最も露骨で愚劣な差別になるのである。仮にもしホンモノのヴァンパイアがいたとした場合は、もちろんそれは人間ではないので、人間同士の差別の問題ではなく、隣人の問題として扱わなければならないのである。ただしこの場合も「あいつら人間じゃねーから」は、隣人に対してたいへん失礼な、驕った言葉づかいである。
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ダークネスと自称するこの男の場合は、ちょっと変わった人間として人間社会に生きているのである。で、ほんとうはヴァンパイアとして扱えということではなく、人間としてちゃんと、ふつうに扱ってほしい、といっているのである。こちら側の変化を望んでいる。しかし、こうして最初から底が割れてしまったヴァンパイアごっこなど面白くもない。神秘がない。それでも自己決定は自由だから非難するつもりはないけれども。
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これが「私はエイリアンだ。仲よくしよう」という話になると、少しようすが違ってくる。つい「いいようー」といいたくなる。たぶん映画その他の影響であろう。エイリアンは知的生命体で、それが人間に接触してくるのはなんらかの友好的な目的があるからだ、という奇妙な常識のようなものができあがってしまっている。そうではないエイリアンもいるらしいけれども。
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「いいようー」といいたくなるもっと根本的な理由は、エイリアンはどこまでいっても“隣人”であって、人間ではないからである。エイリアンと仲良くすることで人間観の変更を迫られることはない。つまりヴァンパイア男より遠い存在であるはずのエイリアンのほうが、“隣人”ではあっても受け入れやすく、同じ人間同士である自称ヴァンパイアは受け入れづらいのである。
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少しズルい書き方をしてしまったのはご容赦いただきたい。つまり差別、とくに民族差別は、あたりまえのことだけれども、同じ人間同士でありながら、同じ人間観を共有していない者たちのあいだで起こる、ということである。人間観を共有するには、お互いにたいへんに手間のかかる、ときには苦痛もともなう作業が必要になる。たとえば宗教を絡めて進化論をどう考えるか、という問題ですらいまだ議論は尽くされていない。念のために付け加えておくけれども、ただフラストレーションを解消するための弱者への暴力や侮辱などはまったくの論外である。
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そんなこんなで、私は自称ヴァンパイアのダークネスはふつうの人間らしく扱われるべきだと思うし、エイリアン映画を見て、自分は差別意識のない心の広い人間だと感じるのは、自分自身に対してとてもお人好しな態度だと思うのである。(了)
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