2016年8月27日土曜日

突然ですが、コミュニケーションが苦手な方はSM禁止!!



たいへん僭越、恐縮ではあるけれども、いわゆるサド−マゾについてたいへん素晴しく、卓越した知見を得たので、この場を借りて皆さんにもお裾分けをしたいと思うのである。あ、シェアというのか。ちなみに私は和式サド−丁稚型である。和式サドには、あと旦那型というものがある。



「和式」というからには「洋式」もある。サドマゾの世界は大きく「和式」と「洋式」、ふたつの系統に分けられる。というか、日本以外のアジア諸国およびアフリカ、南アメリカ諸国については知らぬ。残念ながら資料が少なすぎる。洋式サドの型にはmentalとphysicalがある。



まずは和式サドと洋式サドの違いからである。わかりやすいのは両者の目線の違いである。洋式サドの目線はほとんど、99%的に上から目線である。おお、“99%的”とはなかなかいい加減でつかい勝手にすぐれた言葉ではないか。闇夜の自画自賛。



洋式サドの場合、拘束の多くは相手を征服・抑圧するために行われる。あるいは征服 ⇔ 被征服という関係を設定するために行われる。したがって拘束されるほうは寝転がるなり座るなり跪くなりの態勢を強制されることがほとんどである。99%的に。それを洋式サドは上から見下ろすのである。安倍晋三首相(61)のお好きな「under control」とは、であるからこれもよくできた言葉だなあ、と感心するのである。



洋式サドが立ったままのポーズで相手を拘束するというのは、そのあとの責めの都合がある場合である。だいたいは鞭。和式サドのようにただ裸にして縛り上げて眺めるだけ、というのはない。



これに対し、和式サドの場合は、すでにご想像の通り下から目線なのである。こちらは80%的に下から目線。たぶんすでに何万ページものSMグラビアを見てきた私がいうのであるから間違いはないのである。たとえば立位はもちろん、縛って畳の上に転がしても、視線はさらにそれを下から見上げているのである。カメラ位置はほとんど畳にじか置きである。しゃくりあげる目線。なぜそこまで身を低くしなければならないのであろう?



拘束、たいていは緊縛された女への下から目線とは、たいへんに助平である。ふつうの状態でも下から目線は助平だというのに、裸で柱などに縛りつけられ立っている女の前で這いつくばり、見上げている姿を想像すると、まさに卑猥という言葉そのものである。そしてそう感じてしまうところがサドとして和式なのである。



下から目線の構図は、洋式サドにはまったくありえないのである。這いつくばったり下から見上げたりするのは、もっぱらマゾ、奴隷の仕事なのである。屈辱的なのである。征服者はいつも雄々しく見下していなければならない。



そういえば混浴温泉がブームになったときに、「ワニ族」と呼ばれる男たちが話題になった。湯船に身を潜め、鼻から上だけを出して女が入ってくるのをただただひたすらじっと待つのである。混浴なのであるから正々堂々と入って待っていればいいものを。



先に男が入っていると女が入って来づらくなるから、とはいうけれども、理由はそれだけではないと思う。自分の裸を見られるのが恥ずかしいから、というのも違う。和式サド−丁稚型からいわせていただければ、眺める自分は消えていなければならないのである。



たとえば和式サドの場合、和式SMグラビアでは、男が画面に登場することは滅多にない。洋式SMグラビアでは必ず男が出てきて、相手に対する自分の優位を誇示するのとは対照的である。ここに目線の角度とは別の、もうひとつの和洋の違いがあるのである。というか、たぶん和式サドの特殊性があるのである。



和式サドがどのような経路をたどって興奮していくのかというと、そこには相手の女に対する感情移入があるのである。オラオラオラ、恥ずかしいだろー、惨めだろー、だけどなんだかちょっと気持ちいーだろー、というわけである。つまり和式サドはサドなのに、心の底では相手と一緒になってイヤンイヤンとかいっているのである。そんなところに他の男の姿が映り込んでいてはイヤンである。あ、サド(♀)、男(♂)の場合はわからない。



であるから、和式サドにおいては相手のマゾ、つまり和式マゾも性的に興奮し、絶頂に果てなければならないのである。そうしなければ和式サドも満足できないのである。そのために、往々にして和式マゾを性的に興奮させようとして奮闘する和式サドの姿が、健気に奉仕しているように映る場合もある。実際にも、おそらくそのようにして立場が微妙に入れ替わっている瞬間が何度もあるのだろうと思う。と、とぼけてはみたが、私は和式サド−丁稚型であるので、その典型である。たぶんSMヒエラルキーにおいても最下層の人間なのである。犬に踏まれた男である。



洋式サドに、内心のイヤンはない。恥ずかしめ、虐め、痛めつけること自体に興奮しているのである。と、こう考えてくると、和式SMグラビアなどを見て喜んでいた自称和式サドのほとんどは、ほんとうはサドでもなんでもないただの助平、下から目線が好きな助平ということになるのであろう。もちろん、精神医学的なサディストの範疇にはとてもではないが入れてもらえない。



和式サド−丁稚型が思うに、和式SMの多くは、というかほとんどは双方による高度なコミュニケーションによって成立しているのである。もちろんそれ以前の段階で了解があることは大前提である。



「和式サド」と「洋式サド」、なんだかいい思いつきだと思ったのだけれども、だんだんつまらなくなってきた。これでは残しておきたい昭和のニッポン、みたいではないか。



つまらないついでに教訓である。異性とコミュニケーションを取るのが苦手、という方々はSMには手を出さないほうが無難である。やめておいたほうがいいと思う。事故が起こってしまっては取り返しがつかない。妄想、机上の空論で上等ではないか。(了)


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