2016年8月28日日曜日

高畑淳子は女優であることを証明したけれど、裕太の事件は置き去り



高畑敦子(61)の謝罪会見を見た。まず最初に感じたことは「女優というのも時と場所によりけり」みたいなことであった。頭を下げても深呼吸をしても、涙を掌でぬぐっても、丸めたハンケチかなんかで鼻水を拭いても絵になってしまうのである。しかも滑舌がいい。さすが舞台女優である。汚くならない。もちろんそれは長年の役者修行で身についたもので、高畑敦子に作為はないのであろう。



で、会見がすすんで中盤にさしかかったころか、「なにかあったらお互いに刺し違える覚悟で」という言葉が出てきた。親と子は一蓮托生、どちらかが問題を起こしたときには2人で死ぬ覚悟でやっていこう、と息子、高畑裕太(22)にはいい聞かせてきた、しかしいまとなっては「それがどこまで彼の心に響いていたのかわからない」ということである。



「刺し違える」なんて70年代の人だなあ、という感じである。舞台は命のやりとりの場、命懸け、生きざま。当時、小劇場で活動する役者たちの多くはそういう言葉を口にしていたし、観る側もそうであった。実際に、蜷川幸雄が商業演劇に転向した直後、劇場のロビーだか通路だかで待ち受けていたアングラ芝居時代からのファンにナイフで危うく刺されかかった、という話もある。そしてこの手の話はどこにでもあったようだ。



そういう高畑淳子であるから、この謝罪会見についても、逃げも隠れもせず正面からすべて受け切る、と腹をくくって臨んだのだろうと察しがついた。途中、進行係が予定時間を過ぎたことを告げたときにも、それを制して応答を続けた。立派である。渡世をわたる女芸人、高畑淳子として立派である。



さて、それからここ2日ばかりは、この謝罪会見をどう評価するかでもちきりである。高畑淳子現象の出現である。例によって教育評論家の尾木直樹(69)は「あんなに心からの 演出も何もない誠実な謝罪会見 見たことがありません...本当に素晴らしいお人柄 素晴らしい女優さんそして、愛情深い素敵なお母さんなんだなぁ...となかば感動すら覚えました...」とブログに書いている。例によって、というのは、短慮軽卒、激情型の、という意味である。



なかにはファッション鑑定まである。『スポニチアネックス』2016年8月27日配信分はこう書いている。



《会見時の服装についてファッション評論家の石原裕子氏は「謝罪会見なのにファッショナブルすぎる」と指摘。パールのピアスやヒールの靴は不適切で、メークも決まりすぎていたとし「謝罪というより、女優としての自分の会見になってしまっていた」と語った》



うむ。高畑敦子がスゴいのは、たぶん結果としてであろうけれども、こうして世間の目を自分に集中させたことである。さすがに息子とは格が違う。犯罪をおかした子どもの親が謝罪会見を開く必要があるのか? という議論についても、それがあると知っていて、敢えてすべてを受けて立つ、として会見場に現れているのである。それが女渡世人の生きざまなのである。押し寄せる敵の前に両腕を広げて立ち塞がる傷だらけの母親のイメージである。



千鳥の仲間だったか、獣などに巣のなかの雛が狙われたときには、自分が囮になってケガをしているフリをしながら巣から遠くへ歩いていく、という話も聴いたことがある。擬傷というのか。ああ、というよりはやっぱり、高畑淳子の場合は仁王立ちの女弁慶である。すまぬ。しかしこれは、息子の窃盗事件を、オトナの男のやったこと、他人事、といい放って袋叩きにあったみのもんた(72)から学んで、というわけでもないと思う。



ともあれ、「両腕を広げて立ち塞がる傷だらけの母親」の壁はなかなか突破できない。ここから高畑淳子劇場がはじまってしまうのである。事件の本質、あるいは事件が提起した問題とはまったく関係のない、いってみればリアリティショーとかシチュエーション・コメディの風情である。まったく別個の、もうひとつの物語が紡ぎだされようとしているのである。視聴者としては、たぶん『渡る世間は鬼ばかり』(TBS)を観ているのとそう変わらない気分である。



いま大切なことは、被害者に心を寄せると同時に、なぜこの事件が起きてしまったのか? を突き詰めることである。多くは高畑裕太の個人的資質から発しているように思えるので、その意味で親である高畑淳子の果たすべき役割は大きい。ただ立ち塞がるだけではなくて、過去も含めて息子を冷静に凝視してもらいたいのである。



記者会見がはじまる前は、あるいは境界性パーソナリティ障害であるとか、発達障害であるとか、精神的な特徴の話が出てくるのだろうと予想していたのである。しかしそれはなかった。高畑裕太はあくまでも「ふつうの男の子」として育てられたのである。母親はそう確信して疑わなかったのである。この母親がつくる壁は高い。



しかし、さまざまに報道されている酒癖の悪さなどのエピソードとは別に、実際にテレビで見かける高畑裕太は明らかに周囲とは異質で浮いている感じがあった。なにをしでかすかわからないその危うさの正体を突き止めなければ、今回の事件の本質は見えてこないと思うのである。そしてそれを天然キャラとかなんとかいってもてはやした所属プロダクション、芸能界、そして視聴者の我々のあり方に問題提起がされなければならないのである。



高畑裕太を異常者と決めつけているわけではない。しかしそこまで掘り下げて追究していくべきだ、と思うのである。たとえば被害者をホテルの自室から帰してそのままそのベッドで寝てしまうというあまりにも粗暴な行動は、どう考えても“ふつう”ではない。



ここに、「両腕を広げて立ち塞がる傷だらけの母親」高畑淳子の壁を突破して切り込んでいこうとしたのがフリーアナウンサーの大村正樹(49)であったのだ、と思う。『直撃LIVEグッディ!』(フジテレビ)のフィールドキャスターとかいうよくわからない役回りの人である。しかし大失敗!! 質問が稚拙すぎた。



「性癖に関して気づくことはありませんでしたか?」
「性欲が強いとか、性的嗜好がおかしいということはありませんでしたか?」

である。高畑淳子の答えは予想通り

「男の子をほかに持っていないので、『男の子ってこんなものかな』くらいのことしかありませんでした。性的な嗜好がおかしいと思ったことはありません」

で、大村正樹には非難殺到!! さっそく会見の翌日にはフェイスブックでの謝罪に至っている。



こうした取り返しのつかない犯罪が起こってしまった場合、唯一、前向きに取り組める対応は、どうしたら社会がそれを2度と繰り返さないようにできるか、の検討である。そのためにはなぜそれが起きてしまったかの追究が不可欠であり、それに資するために、また広く世論を喚起するために、有名人である母親が会見を開く意義はあると思う。責任といってもいいかもしれない。



しかしながら今回は高畑淳子にもまだそこまでの余裕はなかったのであろう、結果として「両腕を広げて立ち塞がる傷だらけの母親」という浪花節を演じてしまうのが精一杯であった。芸能マスコミと視聴者も、こぞってそこに飛びついてしまっている。高畑淳子劇場の開幕である。かぶいてみせるのも、幕引をするのも、もう高畑淳子しだいである。(了)


OCN モバイル ONE データ通信専用SIM 500kbpsコース


CMで話題のコスメやサプリがSALE中☆


【DHC】最大70%OFFのSALE開催中!


0 件のコメント:

コメントを投稿