2016年5月1日日曜日
桂歌丸「笑点」司会を降板。昇天はまだ
2016年4月30日、落語家の桂歌丸(79)が『笑点』(日本テレビ)からの降板を発表した。番組の50周年記念スペシャル(5月15日放送)公開収録後の会見の席上であった。5月22日の生放送が最後の出演になる。
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高齢のうえに近年は病気がちで体力が衰え、高座まで体を運ぶのもたいへんそうだったから、見ているほうとしてはほっとした気持ちがある。なにしろ体重35㎏前後というのだから、実に微妙なバランスで健康状態を保っているに違いない。
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ちなみに紫艶(38)の元パパ、桂文枝は72歳だから、7歳違いである。桂歌丸、現在の感覚でいえば実際の年齢よりもだいぶ老けてしまっているのかもしれない。
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それでも桂歌丸、『笑点』には第1回目の放送から出演していて、2006年からは司会を務めている。つまり丸まる50年間も『笑点』に出演し続けてきたのである。スゴいことである。サラリーマンでも新卒入社から定年満了まで、勤続40年そこそこなのである。たぶん、史上最も安定した落語家人生なのではないか。愛人問題もなかったし。
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桂歌丸の生家は横浜・真金町(現:南区真金町)の妓楼「富士楼」である。飄々として物腰柔らかく、洒脱な雰囲気はまさに花街っ子の風情で、歌丸ならではの魅力だ。その一面でいまも真金町に住んでいるというから、芯の強いところもあるのだろう。かつては色町であったというだけで、ひどく蔑視された時代があったからだ。
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きっと、そんな都会っ子の恬淡と芯の強さがうまく噛み合って、50年間もの長丁場を務められたのだろう。桂文枝のようにスキャンダルでムダに寿命を縮めることもなかったし。クドくてすまぬ。
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ただ、では歌丸型人生と文枝型人生と、選ぶとしたらどちらを選ぶかといわれれば、やっぱり私は歌丸型人生を選ぶ。自分の好きな仕事をコツコツ長く続けるのはきっといいものだと思う。しかし、もう少し若ければ文枝型を選んでいただろうと思う。かなりカッコ悪いけど。
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おお、いま通りがかった知り合いからチェックが入ったのである。こういうふうに、文枝と歌丸のどちらを選ぶかと考えること自体がおかしいというのである。ただの助平だというのである。うるさいのである。アタマのなかは自由なのである。
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もちろん歌丸はテレビ番組『笑点』を去るだけで落語家を引退するわけではない。これからどんな仕事をしていくのか楽しみである。ぜひ頑張っていただきたいものだ。
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と、きたところで、そのうえで、先に書いた見ているほうの「ほっとした気持ち」について、もう少し説明しておきたい。実は、まさか歌丸までもが死ぬまで現役、死ぬときは板のうえで、みたいなことを本気でいい出すのではないかと内心で怖れていたのである。
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近ごろは、「死ぬまで現役」「死ぬときは板のうえで」を、その字ヅラ通り実行しようとする人が現れるので怖いのである。「死ぬまで現役」「死ぬときは板のうえで」というのは、たとえ病を得ても力を尽くしてできるところまではやりぬくという意味であって、実際に舞台の上で死ぬということではない。
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たとえば2012年10月に87歳で亡くなった大滝秀治、2014年に83歳で亡くなった高倉健は、病み疲れた姿を人に見せることなく粛々と表舞台を去り、そしてまもなく鬼籍に入っていかれた。これが「死ぬまで現役」「死ぬときは板のうえで」なのだと思う。
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もうすでに所期のパフォーマンスができなくなっているのに、衰えた体で舞台に上がり、でんぐり返しをして拍手を貰うというのは、作品に対する失礼だと思うのである。たいへん申しわけないが、実際問題としてそうなのである。
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さらに死期が迫っていることを知りながら体調に問題はないと強弁し、死相漂う顔でミュージカルを演じるなどというのは観客に対してもたいへんな失礼であって、これははっきりと自己満足でしかない。
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正味の話、縦じわの入った痩せさらばえた顔に満面のつくり笑いを浮かべられても怖いだけなのである。健康を害し、膂力を失って、作品をきちんと演じられなくなったら、芸能者としてはそこで死んだのである。
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役者、芸能者としての死と、生物学的な人間の死を混同されても、こちらとしてはただ目のやりどころなくオロオロするだけだ。で、作品や舞台を生物学的な死や、またそのイメージで汚さないようにするのが芸能者の最低限の矜持というものだろうと思う。
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なぜこんなことを書くのかといえば、桂歌丸の共演者たちの談話のなかに、ここのところを混同している気配を見つけてしまったからだ。『笑点』司会者の次期有力候補、三遊亭円楽である。残念である。
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「死ぬまでやったらいいと思ったんですよ。あそこ(司会席)で死んじゃえば、私がまた突っ込めるし。大きなネタがなくなるという自分の悲しみと…。でも安心したのは、落語を続けるということで、芸の欲があるうちは、この人は大丈夫です」(「デイリースポーツ」4月30日配信)
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シャレ半分、そしてもちろんテレビ番組なのだからおのずと限度がある、という前提に立っても、私はゾッとしてしまったのである。老人が増え、「多死社会」という言葉までつくられている状況なのである。
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しかも最近の老人は現役感が強いので、仕事場や遊び場やそこらの路上なんかで「死ぬまで現役!!」とかいってバッタンバッタン倒れられても困るのである。そうすると、なんだか「多死社会」というより「行き倒れ社会」みたいなのである。求む! 「隠居社会」。明日はわが身。(了)
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