2016年5月23日月曜日

アイドルってなに? 小金井の刺傷事件をきっかけに考えた



凄惨な事件が起きてしまいました。「アイドル」活動をしていた20歳の女性が、5月21日、東京小金井市で、ファンだという27歳の男、岩埼友宏(住所、職業不詳)に20数ヵ所も刺されて、重症を負わされました。いま現在(2016年5月23日3時)、依然として意識不明の重体です。まったく罪も落ち度もなく、一方的に傷つけられた彼女の回復を心からお祈りします。



これ以前、2014年にはAKB48の川栄李奈(21)と入山杏奈(20)が、握手会の最中にノコギリをもった男に襲われ負傷するという事件もありました。恐ろしいことです。



なぜこんなことになってしまったのでしょう? これらの事件はどうして起きてしまったのでしょう? と考えたときに、2つのことが思い浮かびました。ひとつは「アイドル」という芸能のあり方。もうひとつは男の女性観、恋愛観みたいなものの変化についてです。



もったいぶってはいますが、オタク的恋愛の風景みたいなものからの連想が、この原稿の出発点です。ですからここに書くのは一般化した「アイドル」に関してであって、小金井市での事件の被害者となられた女性個人のことではありません。もちろん、被害者を貶したり中傷しようとしたりする意図はまったくありません。



ただこれから2度とこのような事件が起きないようにするために考えておきたいことを書かせていただきます。



まずは「アイドル」という芸能のあり方についてです。今回の事件を受けて、『J-CASTニュース』(2016年5月22日配信)が、アイドルの側からの発言を取り上げています。テーマはアイドルとファンの距離について、タイトルは《ファンとの「近すぎる距離感」売りにする芸能界 元アイドルが「トラブル誘発」経験を告白した》。一部を抜粋します。



「アイドルという存在を超えた要求を迫られれば対応に困ることも少なくない」(SDN元メンバー、大木亜希子・26)

「(容疑者が被害者を)対アイドルではなく対彼女としてみちゃったことから生まれた憎悪かもしれない」(元モーニング娘。矢口真里・33)

「アイドルは、あなただけのものじゃないし、あなただけに接しているわけでもありません。独占したいなんて思うなら現場に行ってはいけません。自分のものにならないからといって病まないで下さい。病むなら行かないこと」(声優・歌手、優月心菜・25)。



最後の優月心菜の一連のTweetは拡散され、多くの共感の声が寄せられているそうです。そして『J-CASTニュース』はこの記事を次のように締めくくっています。



《今回の事件についてもツイッターでは
「アイドルという概念が崩れかかっている気がする」
「ここ最近のアイドルの近すぎる距離感が心配」
「会いに行けるアイドル=相手をしてくれる、という勘違いをする精神的未熟者が増えてきた」
「距離が近すぎるアイドルっていう体制そのものを一度考え直した方がいいと思う。守れないなら近付けちゃダメ」
とする声が相次いでいる。》



もっともなご意見です。私の考えは「距離が近すぎるアイドルっていう体制そのものを一度考え直した方がいいと思う。守れないなら近付けちゃダメ」に近いものです。「守れないなら近付けちゃダメ」というのは「(運営側がアイドルを)守れないなら(ファン)を近付けちゃダメ」ということです。念のため。



「アイドル」として、自分は芸能人として活動しているのだから、友達だとか彼女だとかと同じように思わないでもらいたい、と考えるのはよくわかります。しかしその一方で、親しみをもって接してもらうのはかまわない、というか、人気につながるのならそうしてもらいたいという側面もあるわけです。あくまでも節度を保って。



しかしそうした節度は客の側だけに求められるべきものなのでしょうか? たとえばこの場合、「距離が近いアイドル」というのは、『J-CASTニュース』のタイトルにもあるように、すでにひとつの売りになっています。



では「距離が近いアイドル」とふつうの「アイドル」とはなにが違うのでしょう? いうまでもなく、さまざまな意味で接触がしやすい、ということです。ライブに行きやすい、話がしやすい、握手できるかもしれない。



そうすると、その「アイドル」は、 突き詰めるとなにを売っているのでしょうか? 歌や踊り? 笑顔? 会話? 握手? ハグまで? このごろは、なんとファンの膝の上に乗っかるアイドルまでいます。『J-CASTニュース』のタイトルにある「トラブル誘発」とは、こういうことを指しているのでしょう。



こうなってくると、というかもともとこの場合の節度というもの、言葉は悪いですけれども、キャバ嬢としつこい客のやりとりなどとそう変わらないもののように思えます。ちょっと勘違いしないでよお。こっちは客だと思って調子あわせてるだけなのよ!!



この欲望とプライドと商業主義とが、互いの境界すら曖昧なまま複雑に入り交じっている状況、しかもそれこそが客を誘引するひとつの看板にすらなっている状況が、今回の事件の下地をつくっていたひとつであることは間違いないと思います。



もう遠いむかしむかしのことのような気分になりますけれども、「アイドル」が売っていたのは、芸能と、明快に夢や希望、憧れでした。もちろんなかには夢と現実の区別がつかなくなるファンもいましたが、それはきわめて特殊な存在でした。



ふつうに考えれば、夢や希望や憧れが生まれるのはその存在が遠いからです。決して手が届きそうにないから憧れる、それが「アイドル」だったわけです。 今日の状況の前フリとして「おニャン子クラブ」(1885)だとか「モーニング娘。」(1997)だとかはありましたけれども、そのかつてのアイドルの枠をはっきりと超えて、距離を縮めてきたのが、秋元康(58)のプロデュースによる「AKB48」(2005)です。



AKB48の「会いにいけるアイドル」というキャッチフレーズはそれ自体に矛盾があります。だからこそインパクトがあったわけです。アイドルに会いにいける? そんなわけないじゃん、という違和感。こんなこともう忘れかけていましたけれど。



ですからこのとき、「それはアイドルではない」という反応が出ていれば、事態はもう少し明瞭になっていたのかもしれません。しかも実態として、「会いにいけるアイドル」のほとんどは絶世の美貌も可愛らしさももちあわせておらず、歌や踊りが突出して上手でもないわけです。申しわけございません。



「会いにいける」ということで、少なくともそれ以前の「アイドル」とは似て非なるものであるわけですから「会いにいけるアイドル」は、「アイドル」とは別なジャンルとして設定すればよかったのです。そうすれば、芸能界をめざす少女たちのほうにもわかりやすいはずです。



「アイドル」に替わる新しい名前を考えるか、現在の「アイドル」をはっきりとかつての「アイドル」とは異なるものとして定義し直すかしたほうがいいと思います。そして認識を改めることです。



で、現在のいわゆる「会いにいけるアイドル」というのは、これはもう一種の接客業、ということにしてしまえばいいのです。まあ、極端だとおっしゃるなら、接客業の要素を備えた芸能の新しいジャンル、です。



食玩の、食(お菓子)が歌だとか踊りだとかの芸能だとしたら、玩(オマケのオモチャ)が握手会だとかなんだとかの接客。そしていまや接客が主になってしまっている、と。



そう考えて接客業のノウハウに学べば、今回の事件もあるいは防げたのかもしれないのです。いや冗談ではありません。クラブやキャバレーのように、トラブルが起こりそうになった段階で、マネージャーが客と「アイドル」とのあいだに立つ、というイメージでおわかりいただけるでしょう。



今回のようにストーカーまがいのことがあれば、自宅にでも職場にまでも注意を即しにいく、あるいは「お客さん、ちょっと違うんじゃないですか。お客さんだけがあの娘のお客じゃないんですから」と、いい含めるのもマネージャーの仕事です。



そういう意味では、今回の事件は運営側、あるいは所属プロダクション側にも責任の一端があるのかもしれません。そんなようなわけで、節度を客の側にだけ求めるのは、「アイドル」や「運営」側にとって少々都合のいい話だと思います。



「アイドル」の中身は変わってしまっているのですから、その管理手法もそれにあわせて変わらなければなりません。もちろん、もっとも愚かで度し難いのは、いうまでもなく犯人の岩埼友宏 です。



さて、次はオタク的恋愛の風景の、男の側からの女性観、恋愛観の変化についてです。これも先に書いた「アイドル」についてと同じように書きはじめることができます。かつて恋愛の対象は憧れや夢や希望でした、と。



なにがどう変ったのでしょうか? 簡単にいってしまうと、恋愛を相互理解とか協調とかいうよりも、支配と被支配、捕食と被捕食の関係のように考える男が増えてきた、ということです。



背景にはコミュニケーション能力の不足や、SNSなどによる監視の厳しさがあります。極端にいうと、告白したくても上手く伝えられないと思うし、もし頑張って告白してもフラれたらもう2度と外には出られないだろう、というような気分に陥ってしまう状況があります。



ですから、てっとり早く最初から、自分のいいなりになる関係、自分の立場を脅かすことのない関係を求めるわけです。支配と被支配、捕食と被捕食。“肉食系”とはよくぞ名付けたり、です。で、そういうチカラによる関係を望まない者たちは草食系といわれるのです。



というわけで求めているのは捕食と被捕食の関係です。したがって標的はとうぜん自分よりも弱い者、力のない者です。逆にズタズタにされて笑い者にされたのではお話になりません。で、自分には男として魅力がない、チカラもない、と感じている男がてっとり早く頼りにするのが、毎度おなじみ、金です。



ふつうなら見向きもされないかもしれないけれども、金を払って入場したりCDを買ったりすれば、客ですから相手の「アイドル」よりも上位には着けます。こうして男にとっていびつな疑似恋愛関係がつくられます。



しかも、たいへん申しわけのないいい方になりますけれども、そういう男は、自分には男として魅力がない、チカラもない、と認識しているくらいですから、実態としてもそれほど社会的に強い存在とはいえない場合が多くなります。



そうすると自分の全存在、その存在証明を「アイドル」との疑似恋愛にかけてしまうということが起こりがちになります。彼女だけは認めてくれる。しかしそれを拒否されると、今度は自分のすべてが否定されてしまったと感じ、自暴自棄になり、極端な行動に走ってしまうわけです。破滅するのは世界か自分か。



そういうふうに考えれば、今回の許し難い事件は、一面で自傷行為、自殺行為でもあります。それなら人さまに迷惑をかけず、とっとと自分ひとりでやってくれ、です。いやほんとうに。もし万一、そんな気分になったら、それは自殺衝動なのです。くれぐれも人を巻き込まないように。



今回の事件は、「アイドル」という欲望とプライドと商業主義の混沌と、コミュニケーション能力が未熟で、しかも社会的には不遇だと感じている男によって引き起こされたものだと思います。「会いにいけるアイドル」の客に対して、節度を保て、といっているだけでは問題は解決しません。さらに繰り返される可能性もあります。



ベタな、ありきたりな結論ですけれども、こうした議論がなされるようになってから、すでにどのくらいの時間が経ったのでしょう。長いあいだ手をこまぬくばかりで、残念ながらまた被害者が生まれてしまいました。



「会いにいけるアイドル」は、もはやむかしの「アイドル」にあらず、それは接客業の要素を強く備えた新しいジャンルである、と「会いにいけるアイドル」自身も認識すべきだと思います。(了)



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