元AKB48の高橋みなみ(25)が3連泊デートだそうだ。相手はIT企業に務める15歳年上の一般人。『女性セブン』(6月2日号)によると、それは5月中旬の週末だったらしい。ということは、13日の金曜日から16日月曜日の昼までということになる。
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うむ。5月13日の金曜日といえば、ベッキー(32)が『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』でいちおうの復帰を果した日である。片や泣いて不倫を懺悔する姿を全国にさらし、片や誰に遠慮がいるものかとラブラブ没頭である。世の中さまざま、人生いろいろである。
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で、2016年5月20日現在のいまは、高橋みなみの3連泊の話題がちょうどいい感じなのだ。それがどんな“いま”かというと、一瞬の真空地帯だ。
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世間をにぎわせた一連の、文春砲→ ベッキーとサンミュージックの稚拙きわまるリカバー→ ボロの露呈→ 批判殺到→ しかし復帰プラン強行→ 文春砲、といった流れの何度かの繰り返しののちに、ベッキーとサンミュージックは、ついに終点にまでたどり着いてしまったのだ。そしてそのあまりの凄惨なようすに、誰もが一瞬、固唾をのんで見つめている、みたいな“いま”だ。
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メディアは、これでベッキーとサンミュージックを一気に叩いていいものかどうか躊躇している。芸能人、同業者ならなおさらだ。確実にベッキーは終わったとわかっていても、自分を弱い者イジメみたいに受け取られたくはない。できればこのまま何事もなかったように無視してしまいたいというのが本音だろう。
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とはいえ、ベッキーとサンミュージックは、いつもわざわざ自分から墓穴を掘っていたのである。それまでに公言していた約束ごとなどどうでもいい、ゲスッチョ川谷の元妻への謝罪がすんでいなくても、とにかく『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』を収録してしまえ、などとは誰もけしかけていない。ぜーんぶ、なにを思ったのか自分たちでやらかしたことなのだ。TBSはわからないけれども。
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不思議なのは、なぜベッキーとサンミュージックは自滅していくのか? だ。ウソをついては謝り、ということも何度も繰り返している。結局最後まで、あれほど望まれた2度目の記者会見も開かなかった。広く一般の、「テレビ視聴者界」の私たちへの謝罪はなかった。
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念押ししておこう。そもそも「テレビ視聴者界」の支持があったから、CM10本という売れっ子になれたのである。しかしベッキーはその「テレビ視聴者界」を裏切ったのである。「仲のいい友達で押し通す予定」を実行して。
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不倫騒動そのものはひとつのきっかけでしかない。“ベッキー騒動”というのは、それが露見したあとの「テレビ視聴者界」やファンに対する不誠実で悪辣とさえいえる態度、そしてそこに表れたベッキーとサンミュージックの低劣さが本質だ。それが5ヵ月間以上も続いたのである。誰もがウンザリしてあたりまえだ。
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ついこのあいだまで、ベッキーとサンミュージックは、なんとか自分たちよりの空気をつくろうとなりふりかまわなかった。たとえば、ゲスッチョ川谷に要求したといわれるCM違約金の折半問題である。約5億円のペナルティの半分を、ゲスッチョおまえももて、というのである。この話題はつい2日ほど前までネットニュースに上がっていた。
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まあ、滅茶苦茶な話でゲスッチョ川谷が受けるはずも受ける理由もないのだが、この話が出てきた理由は分かる。つまり、悪いのは誘惑したゲスッチョ川谷のほうだ、ベッキーはただ騙されていたのだ、という方向に世間を誘導しようとしたのである。
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最初から受け容れられる見込みがなくても、違約金折半の話が話題として出さえすれば、そうか悪いのはゲスッチョのほうなのかなー、と思う人も出てくるかもしれない、というヨミである。
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なんともあざといというか、薄汚いやりかたである。だいたい、ベッキーとゲスッチョの付き合いはベッキーがゲスッチョのファンミーティングの楽屋だかを訪れたところからはじまっているのである。
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もうひとつ、ゲスの邪推を書いておこう。『週刊文春』4月27日発売号に掲載された「ベッキーから本誌への手紙」である。これを読んだゲスッチョ川谷の元妻が態度を軟化させて、事態はベッキーの復帰、すなわち『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』出演に一気に動き出した、ということになっている。
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しかし、実際にベッキーがゲスッチョ川谷の元妻に謝罪をしたのは、『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』収録の2日後の5月2日だったことがバレている。すなわち、ゲスッチョ川谷の元妻の態度が軟化するしないに関わらず、それ以前からベッキーの『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』出演の計画はすでに動き出していたのである。
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「ベッキーから本誌への手紙」が掲載された『週刊文春』の発売は4月27日、『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』の収録は4月30日、謝罪が5月2日、番組の放送が5月13日。前週の金曜日(6日)はゴールデンウィーク中だから、放送のタイミングは最速でもこの日、13日ということになる。
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これ、事態は「ベッキーから本誌への手紙」がきっかけになって動き出したということではなくて、あらかじめ復帰までの日程を組んでから、そのきっかけをつくるべくベッキーが手紙を書いた、と考えるほうが正しいと思うのである。
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以前にも1度書いたけれども、「ベッキーから本誌への手紙」には、新しい事実はなにひとつ書かれていなかった。唯一、ゲス川谷とは“恋愛関係というべきだった”、という文言があったが、それにしても実際に恋愛関係にあったのか否かの肝心なところはボカされていたのである。
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何度もインタビューを申し込まれたが受けられないので、というのが手紙を書いた理由らしい。けれども、手紙にはそのインタビューを受けられない理由も書いていないし、かといってお詫びのシルシの小ネタのひとつもない。ただ、「文春に掲載された手紙をきっかけに」というふうにもっていきたいがためだけに書かれた手紙と考えざるをえないのである。
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これに対して、『週刊文春』側が「ベッキーから本誌への手紙」という、いかにも冷ややかな、しかし警戒感に満ちたタイトルを付けたのは当然である。この手紙を、4月22日、サンミュージック社長相澤正久が直々に『週刊文春』編集部まで届けたのである。
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『週刊文春』の発行スケジュールは、4月27日発売号のあとはゴールデンウィーク合併号となって、5月11日である。これだと計画通りにことをすすめても、TV復帰は6月にずれ込む可能性が高い。7月からの“完全復帰”の目論みには遅すぎる。
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でもって相澤正久、まさに虎穴に入る覚悟で『週刊文春』編集部に飛び込んだのである。これまでさんざん煮え湯を飲まされ続けてきた『週刊文春』だから話題になる、きっかけづくりになる。
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一方の『週刊文春』は、相澤正久が手紙を持参したこと自体がニュースだ、として掲載に踏み切ったのである。はい。ところが掲載してから一気に加速するベッキー復帰の動きを見ていると、どうも、というか、やはりというか、ベッキーとサンミュージックに利用されたようだ、と気付く。
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「処刑雑誌」だのなんだのと揶揄されることもある『週刊文春』がもっとも怖れているのは、読者からのやり過ぎ批判だ。しかしこれで少なくとも顔に泥を塗られたとの大義名分は立つ。で、ゲスッチョ川谷の元妻から相澤正久への「抗議文」という、5月19日発売号への記事へとつながっていくのだ。
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おかしいのは、ベッキーと相澤正久が『週刊文春』のこうした当然の反応を予測していなかったように見えることだ。おかしい、というのは「不自然」ということと「笑える」ということの両方の意味で。
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あれだけ叩かれた雑誌を利用してやろうと考えたとき、いやしかし、もしかしたらそんなことをしたら報復があるのではないか、と考えてみるのがふつうの感覚だろう。それ以前に、中身のない手紙をもっていった時点ですでにケンカを売っているととられても仕方がない、とは考えなかったのだろうか?
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さて、ここからである。ベッキーとサンミュージックは、この5ヵ月間、こういうワケのわからない失敗を何度も何度も繰り返してきたのである。それはなぜか? である。ベッキーも相澤正久もアスペルガー症候群を抱えているのか? いやいや、そういうことではないだろう。
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騒動の渦中にいるベッキーを利用して利益を得ようとする連中がうごめいているのはわかる。今回の復帰劇でいえばTBSがその筆頭だし、各出版社は手記、告白本を狙っている。そういうさまざまな働きかけが冷静な判断力を損なわせている側面は確かにあるだろう。それにしても、あまりに凝りない失敗は、私からいえば謎である。
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まず相澤正久である。結局、この男の場合は二代目の弱点を盛大に背負い込んでいるように見える。サンミュージックの創業は1968年であり、相澤正久の誕生はたぶん1949年であるから、父親の相澤秀禎(享年80)の苦労は見てきているはずである。たぶんというのは、正確な生年月日を記した資料がいますぐは見つからないのだ。もうしわけのないことです。
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しかしおそらく正久には、その後の桜田淳子、松田聖子、早見優などがいた華やかな時代の記憶が強いのだろう。そして、今日につながる最大の問題点は、正久には、芸能界や芸能人を見る一般人としての目がまったく育たなかったことだと思う。正久は、つねに一種の身内、内部の人間として、少々の高みから芸能界、芸能人を見てきたのである。
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世間、「テレビ視聴者界」の人間がどんな気持ちで芸能界、芸能人を見ているのか、正久にはまったく理解できていないのだ。それは逆に、芸能界や芸能人がこう動けば世間はこう反応する、といった対象でしかない。世間の人々は、正久にとっては漁のために上手に誘導しなければならない魚のようなものだ。しかし、海の中からの景色は想像したこともないのである。
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つまり、人気というものが世間から立ち上がっているその足元がまったく見えていないのである。魚なんて放っておけばどんどん増えてくる、エサを撒けば寄ってくる、と正久は思っている。しかし実際は違う。
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もうひとつ、正久にとって災いしたのはネットの普及だ。正久のメディア対応を見ているとマスコミさえ押さえて味方に付けておけば世論はどうにでもなる、と考えているフシが窺える。しかしいまやネットがそれを監視しているのである。マスコミと結託してなにかを動かせたのは昭和の時代の話である。
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しかもネット上での情報発信も多岐にわたる。それにSNSが加わる。さまざまな情報が、社員から、同業者からも漏れていく。で、ボロボロとウソがバレる。船の上での話は海中の魚には聞こえないと思ったら大間違いなのである。
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というわけで、相澤正久に足元の感覚がなかったことと、ネット社会に対応できていなかったことが、ワケのわからない失敗の大きな要因になっていたのだろうと私は思う。
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対するもうひとり、ベッキー(32)である。芸能界入りは14歳のとき。下着モデルのオーディションで審査員をしていたサンミュージック前社長の相澤秀禎に見出されたことが芸能界入りのきっかけだそうだ。
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で、2000年、16歳のときに『おはスタ』(テレビ東京)ではじめてのレギュラー番組をもつ。えっとお、TBS『中居正広の金曜日のスマたちへ』が最初のレギュラー番組であり、それが後続のというか名前だけ少し変わった『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』を復帰第1弾に選んだ理由だというのも、ウソなのである。ともかく、以後、2015年まではご承知の通り、順風満帆の芸能生活であった。
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うむ。なんだかわかる。しかし、これは決して人を軽々しく見下していっているわけではないことを、まずはわかっていただきたい。そのうえで書く。ベッキー、そうとうハングリーだったのだろうと思う。
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14歳の少女が下着モデルのオーディションである。1998年の段階で。そうとうな勇気と決断が要ったはずである。しかも焦ってもいた。おそらく下着モデルのオーディションの前にいくつかのオーディションを受けて失敗しているからだ。中2か中3の少女が、いきなり下着モデルが第一志望です!! はあり得ない。かといって、ほかのオーディションを待つ余裕もない。
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であるから相澤秀禎に拾われてからのベッキーは、ただひたすら、がむしゃらに頑張ったのだろうと思う。正久との関係がどうだったのか詳しいことはわからない。ただ、正久がサンミュージックの社長に就いた2004年時点にはすでにベッキーの芸能活動は軌道に乗っていて、以来、二人三脚でやってきたのだろうとの想像はつく。2004年というとベッキーは20歳である。
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自分のチカラで人生を開きつつあるハングリーな少女と、 足元感覚のない、情報リテラシーにうとい芸能プロダクション経営者。 そしてほどなくベッキーはサンミュージックでダントツ、ナンバーワンの稼ぎがしらになってゆく。
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ベッキーが、正久の影響のもと、正久と同じように、つねに一種の身内、内部の人間として、しかも少々の高みから芸能界や、芸能人を見わたすようになってしまったのも、むしろあたりまえのような気がする。そしてもちろん、ベッキーにとっても「テレビ視聴者界」の住人やファンは、漁のために上手に誘導しなければならない魚のようなものだ。
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たぶん、ベッキーのかたくななまでの愚かさの原因はこれである。この世界観、哲学をもって、ハングリーな少女は世間に対峙し、勝ち抜いてきたのである。前にも書いたかもしれないが、ベッキーはこうした世界観にしがみついているかぎり、もうこれ以上はほとんど前に進めないだろうと思う。
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あれ? 高橋みなみのことを書こうとしていたのに、もうベッキーのことでいっぱいいっぱいになってしまった。あれだけベッキーはもういい、もういい、といっておきながらこれである。
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でも、ベッキーについては、そろそろほとんどのことは考え尽くしたと思う。なので、もうほんとうにオサラバできるような気もしている。ま、ベキッチョ&マサのことなので、なにが起きるかわからないけれども。って、何度も同じ過ちを繰り返すどこかの誰かさんたちと似ているのかもしれない。(了)
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