20数年前、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」や「ダウンタウンのごっつええ感じ」を見ていて、バカな高校の昼休みに紛れ込んだような印象を受けた。それ以前、たとえばひょうきん族にしろドリフターズにしろ、程度の差こそあれどこかに大人の気配はあった。ひょうきん族で表立ってその役割を担っていたのはやはりビートたけしであろう。ドリフターズでいえば、角度は違うがいかりや長介と荒井注。
*
ダウンタウンのバラエティは、バカな高校生の、バカな高校生による、バカな高校生のためのバラエティ、すなわちバカな高校の文化祭の態であった。若年層がテレビ視聴の主役となり、笑いを一種神格化して占有しようとする芸人たちに押されて、大人たちは早々に手綱を手放したのである。お笑いの、テレビ向けコンテンツとしてのコストパフォーマンスのよさがそれを後押しした。
*
お笑いの「バカな高校の昼休み」時代はしばらくの間ずるずるとさらに「バカな中学校の昼休み」へとシフトしていくのである。ダウンタウンと同世代のトンネルズはまだ十分に高校生だが、うっちゃんなんちゃんは微妙に高校1年の春、ネプチューンになると、つるりと中学3年生に滑り落ちる。
*
はっきりとバカな中学生の昼休みを見せてくれたのは、岡村隆史(44)が喋るようになってからのナインティナインである。比較的、最近の話である。ちょうど芸能人がTwitterやブログを通して発言するのがあたりまえになり、同時にダウンタウン以降のお笑い芸人がキャリアを積んでそれなりの影響力を持ちはじめたころである。
*
岡村隆史の発言は主にラジオの深夜放送によるものだが、どうにか自説を述べようとする態度はそうした環境にも影響されているのだろう。体が動かなくなった岡村隆史にとってこのタイミングが幸だったのか不幸だったのか。ともあれ「ぐるぐるナインティナイン」や「めちゃ×2イケてるッ!」での岡村隆史は「中学生の、中学生による、中学生のための文化祭」を司っている。
*
*
本当に幼稚だよねえ、いい年こいて困ったもんだよねえ、と思っていたら、さまぁ〜ずのホントにダメなあんちゃん、三村マサカズ(47)がさらにさらに、まだ中学生にもなれていない醜態を晒してくれた。
*
「さまぁ〜ずのご自慢列島ジマング」(ダサっ!!)のなかでグラビアアイドル谷澤恵里香の胸を突然ワシ掴みにしたのである。マサカズは過去にも同様の行動がいくつもあり、ネット上に非難が高まった。しかし呆れるのはここからである。
*
マサカズのTwitterでの弁明である。「番組ちゃんと見てます? 記事だけ見ていってるんじゃないですか? あれはよくないことだけど共演者も喜んで現場は笑いになってます。あとセクハラではない。おさわり」。支離滅裂である。本気でいっているなら本物のバカである。最近セクハラでマスコミ沙汰になったどこかの首長でもここまではいわない。おさわりがセクハラでなければ警察は要らぬってくらいのものである。
*
これに対して一般ユーザーからは「セクハラ問題のことですよ 言わなくてもわかってますよね」という冷静至極なコメントが寄せられていた。セクハラの多くはマサカズのごとき加害者の無知と想像力の欠如から生じる点を突いたのである。しかしマサカズにはなんのことだか皆目見当もつかないだろう。その後も失言→謝罪を繰り返している。こういうバカな小学生には早くTwitterをやめさせたほうがいい。
*
また、いまサマーズがそこそこの視聴率を上げているからといって目をつむっているテレビ局の嫌らしさにも腹が立つ。
*
*
しかし有頂天の三村マサカズはそのうちバッサリやられるだろう。Twitter上での発言にはこんなのもある。「某テレビ局。企画重視、そのあとタレント。これで視聴率を狙う。いいときはいい。ダメになると最終回。主役のタレントはワイプで処理。いい加減タレントは怒りますよ! もっと魂のこもった番組を。そうすれば、視聴者はついていくと思います」(原文ママ)。
*
え〜っと、わかりずらいのだが、三村マサカズのこの発言は、お笑い番組、とくに芸人主体の番組づくりを念頭に置いているようだ。芸には素人のプロデューサーやディレクターや放送作家だけで企画を練り、そこに芸人をはめ込むというつくりかたはどうなの? で、視聴率が上らなければ主役であるはずの芸人はひどい扱いを受けるわけだけど、それはどうなの? というわけである。現場の人間がこれをいうとは恐れ入る。
*
ただ芸人を連れてきただけで番組が成立するわけではない。先に一定の方向性を決めなければならない。局の営業との擦り合せもある。で、本当に実力と人気がある芸人を捕まえられれば、この段階で参加してもらう。しかし実力も人気もそのレベルにない“タレント”であれば、事細かに構成を決め、シナリオを書いてそのなかで動いてもらう。それをやりきって、さらにどれだけプラスアルファを残せるかが“タレント”の勝負である。
*
ダメになった番組の最終回でワイプ扱いされるのは“タレント”である。実力と人気のある芸人、つまり大物にその扱いはない。そのかわり番組が失敗しても“タレント”が責任を問われることはないが、大物には厳しい評価が待っている。三村マサカズは“タレント”の立場である。やらされるのがイヤなら、大物になるしかない。
*
*
マサカズは続ける。「結局、テレビなんて元々二流だったんだよね。それがさ、一流大学の就職先になってさ、俺らテレビ観てて、落ちこぼれた人間とって救いの場所だったわけ。情報なんていらない。情報はみるひとが選ぶ。後は歌と笑いを真剣にお願いします」(原文ママ)
*
これもヨレヨレでさらにわかりずらい。説明すると、ものすごく時間をはしょった話で、テレビが二流というのは、1950年代から60年代、民放の黎明期、それまで娯楽の王者の座にいた映画界から投げつけられた、やっかみ半分の蔑みである。
*
テレビ局が一流大学の就職先になったのは1970年代から。30数年も前、入局をめざしてひたすら勉強に励み、東大を卒業してフジに入社したものの、研修でADを体験中、横山やすしの楽屋のドアを開けるのにノックし忘れてビンタ一発。それで心折れて退職したというエピソードもあった。
*
で、「情報なんていらない」はまさにいま現在の話で、お笑い番組が減り、情報番組が増えつつある状況を憂えているのである。情報なんてテレビでやるまでもない。そこらで見られるだろう。お笑いはテレビが生命線なのに、というわけだ。自分が生まれる前からの、半世紀以上にわたるテレビの歴史をぎゅっと圧縮してしまったのだ。わけが分からぬうえに自分勝手である。
*
「テレビなんて元々二流だったんだよね」は、いまでも立派な超二流の三村マサカズがいってはいけない言葉だろうて。テレビ局の関係者なら、お前はいったい何様のつもりだ、である。たぶん酔っぱらっていたのだろうな、そしてそういうふうに弁解するだろうな、とは思うが。で、恐ろしいのは、超二流の三村マサカズでさえこうしてテングになるという事実だ。
*
*
「モヤモヤさまぁ〜ず2」など現在7本のレギュラーを抱え、かつては手も足も出なかったヒロミが復帰してくるにあたって一丁前に“和解”し、アイドルの乳を揉む。この程度のことでテングになるか? なるか。しかし、もうこれ以上テレビでブラブラ、ダラダラされててもつまらないだけだ。ここは復帰してきたヒロミみたいにしばらく乾いてみたらどや? みんな怒ってるし。
*
ということで思うのだが、マサカズのバカな小学生の散歩みたいな番組を見ている我々のほうはいったいなんなんだ、ということである。我々もいつのまにか小学生なんじゃないの? ということである。どこかのコンビニの横のほうでウンコ座りしてマサカズから「ヤバかったよお〜」みたいなバカ話を聞かされて喜んでいるガキの感じがしないでもない。ああ、恐ろしいことだ。このあと、ここから下はもう園児で、そこからまた下がればバブバブして涎を垂らすしかないではないか。 (了)