2015年6月2日火曜日

死んで花咲く団塊世代。デスブーム到来!!  


今いくよ、今井雅之、愛川欽也、阿修羅原、今江祥智、桂米朝、三笑亭夢丸、辰巳ヨシヒロ、三五十五、宮崎総子、坂東三津五郎、シーナ、河野多恵子、園田天光光、赤瀬川隼、陳舜臣、斉藤仁、平井和正、石井光三、大塚周夫、宮尾富美子……。2015年5月までに病で亡くなった方々のごく一部である。ご冥福をお祈りする。



テレビなどでよく見知った人たちがどんどん死んでゆく。もちろん身の回りに聞く訃報も多い。日本の2015年の予測年間死亡者数は137万6000人であり、さらに2021年には151万4000人、2026年には160万1000人に達する(国立社会保障・人口問題研究所)。そしてこの水準が今世紀半ばまでは確実に続く。100万人を超えたのは2003年だから、死亡者の数はやはりめざましく増え続けているのである。死亡率で見ると2015年は約1.1%。死亡大国である。



死んでゆく人々の約3分の2が75歳以上である。ずいぶんたくさん死んではゆくが、個々にしてみれば「なかなか死なない」といえないこともない。そういえば「あまり長生きするのも考えもの」「長生きしてしまったばっかりに……」といったご当人たちからの嘆息もしばしば聞えるようになった。もちろん100%の本音というわけではないだろうが。



で、やはり結局は惜しまれつつ、あるいは待ち望まれつつ死んでゆくわけである。とくにこれからは1947年〜49年生れの団塊の世代が死にごろを迎える。生れは3年間に集中していても死ぬ時期はバラけるからそれほど目立ちはしないが、明らかにまたひとつのブームがやってくるわけである。かつてのベピーブームに対して「デスブーム」みたいのが。



「デスブーム」は例によって新しい市場、つまり終活市場みたいなものを開拓するわけである。たとえば大手流通業が葬儀ビジネスに参入したり、死んだあとのもろもろの始末の代行業が出てきたり、小型の斎場がいつのまにか街にとけ込んでいたり。それから線香の匂いやらなにやら慶賀な披露宴と仕切るのはたいへんらしいから法事専用ホテル。イタコの口寄せも流行るかもなー。そんなこんなで新しい仕事、職場、雇用が生まれ、人の死は確実にこの国の立派なメシの種のひとつになるのである。



で、老若男女、この国では誰もが死と隣り合わせの実感をもって生きるようになる。どうせ人間誰でもいつかは死ぬのだ、と目の当たりにして暮らすのである。そうなると無常観が深くなり、日本人の特性といわれるメランコリア気質が昂進し、全体がはっきりと鬱的傾向を示しはじめる。



そうこうするうち、またこれが間の悪いことに「デスブーム」はさっさと去ってしまうのである。「第2次デスブーム」まではまだ相当の時間がある。一部の法事ビジネスは中国や東南アジアに進出して命脈を保つかもしれないが、国内は壊滅的なダメージを受けてしまうのである。かくして団塊の世代が去りしのち、経済は衰退し、失業者があふれ、だるーく、無気力な社会、精神の空洞と荒廃した国土を抱えた廃虚のような日本ができ上がるのである。



しかしいま述べたような事柄は、政治や行政の中枢にいる者なら誰でも気がついていることなのである。公にしないのは、かといってどうする手だてもなく、いたずらに民心を不安に陥れるだけだという、例の愚民化思想のせいである。いや、そのころにはどうせ自分も死んでしまっているので、あとは知らぬ存ぜぬのほうかむり。勝手に野となれ山となれ、がほんとうのところなのである。  (了)




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