水谷豊(62)、杉下右京である。2002年に連続ドラマ化されて以来、13シリーズが放映され、いずれも高視聴率を上げているテレビドラマ「相棒」の主役である。いま現在も、次期シリーズからの新しい“相棒”は誰か、とそんなところまでファンのさやあてかまびすしい人気作品なのである。
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さらに劇場版3作にスピンオフ映画2作も好調。水谷豊、いまや我が世の春。テレビ朝日界隈では“天皇”と揶揄されるほどの影響力を発揮しているらしい。
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「浅田次郎先生の原作を読んだとき、この北白川右京のビジュアルが降りてきました」「自分の中に降りてきたビジュアルをサラサラと紙に書いてみました」とは、この春に大コケした映画「王妃の館」のプロモーションで水谷豊が語った言葉である。
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ウソをつけ、である。公開された北白川右京のビジュアルを見れば、ひと目でパリ生活が長かった画家、藤田嗣治(享年81)の真似だとわかる。こういう見え見えの子どもじみたハッタリを通用させてしまうほど、いまの水谷豊は大物=稼ぎ手であり、本人もついつい調子こきしてしまっているということだろう。
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水谷豊の役者としてのキャリアは46年にもなる。これは、思うに3つに区分される。【1】テレビドラマ「傷だらけの天使」やATG映画「青春の殺人者」などのトンガリゆたか期、【2】小樽出身の小学校教師、北野広大を演じた「熱中時代」に代表されるアツアツゆたか期、そして【3】「相棒」の杉下右京を演じるオトナゆたか期である。
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そして水谷豊は一貫して、いつまで経ってもアカ抜けないのである。トンガリゆたか期に演じた青春像には、地方あるいは都市周縁部で育った若者の屈折がよく出てくるが、アカ抜けなさが上手くなじんで効果を上げていた。アツアツゆたか期の役柄イメージは純朴、アカ抜けしていない地方出身の青年のステレオタイプそのままである。
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ところが、オトナゆたか期の杉下右京になっても、このアカ抜けなさは頑固にしがみついて足を引っ張るのだ。たとえば杉下右京という人物の立体感のなさはどうだろう。東大卒、イギリスでの生活経験も豊富な知的都会派を演じるにあたって、水谷豊は完全にお手上げ。リアリズムを放棄するしかなかったのだろう。
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観ているこちらとしては、お芝居のパロディを見せられている気分だ。いまやプロデューサーの選任にまで口を出すほどの豊だから、脚本上で工夫しようとするなら難しくはないはずなのに。しかしアカ抜けない豊である。知的都会派への想像力は働かない。
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では、ここでいうアカ抜けないとはどういうことか。それは、あからさまに品がないとか野暮だとかいうことではなくて、もう少し微妙なニュアンスなのである。スレていない、ストレート、といったほうがいいかもしれない。ストレートに「趣味は手品」なのである。
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もうひとつ例を挙げると、いま豊は、それはそれはたいへん増上慢でおられる。しかし一方でそういう成功した状況を率直に喜んでしまっている自分を隠せないようすがありありと伝わる。アカ抜けないとはそういうことである。次期秋田県知事の下馬評も高い柳葉敏郎(54)と一緒にしてはいけない。ギバちゃんなら隠そうともしない。
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となると今度はアカ抜けなさの原因を追求しなければいけないのだが、これはすぐにわかった。豊、北海道東部の片田舎、芦別の出身なのである。高橋恵子(60)が子ども時代に一時住んでいた網走番外地にもそう遠くない僻地である。
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いつまで芦別にいたのかははっきりしないのだが、北海道日本海側のこれも炭鉱の町、小平町を経て、中学校時代にはすでに東京立川に移っている。
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同じように小学校6年で東京府中に移った高橋恵子にも、少しもったりとしているというか、微妙なストレート感があるのにお気づきだろうか? 幼少のみぎりの刻印深し。北海道恐るべし。私も北海道生まれだからよくわかる。「熱中時代」の北野広大の北海道訛りは、芦別、小平での幼少期に身についたものである。
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豊が暮らしたころの芦別は炭坑の町であり、豊の父はそこで技師として働いていたらしい。芦別五山と称された三菱、三井、油谷、高根、明治の五大炭坑を擁し、産炭地として北海道でも有名だったのである。いまは産業遺跡だが。
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1970年、豊たちが去って十年ほどのこの片田舎の町に、突如「芦別レジャーランド」ができた。エネルギー政策の転換で先が見えない炭鉱依存から脱皮を図りたい地元の期待もあったようだ。1988年にはバブル景気の波に乗って営業規模を拡大。広大な敷地をもつ「北の京(みやこ)・芦別」という、ちょっと不思議な和洋折衷の健康ランドに衣替えをする。
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1989年には全長88m、総工費30億円の「北海道大観音」像が完成する。しかも「北の京・芦別」からこの「北海道大観音」までの550mを3両編成のモノレールで結んだのである。尋常ではない。だいたい「北の京(みやこ)・芦別」という名前からして危なかしい。
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私自身は「北の京・芦別」に行ったことはないが、「中国雑技団 連日公演中!」みたいなテレビCMはよく目にしたものだ。で、バブルが崩壊し、お約束通りの経営破綻は2008年である。よくもったほうである。その後2013年に「天徳育成会」という宗教法人が「北海道大観音」の部分を買い取り、いまは信者とその家族などが住み込んでいるようだ。
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長くなってしまったが、昭和中期、ミッドセンチュリーに地方に生れた人生の背景はだいたいこんなようなものだ。世の栄枯盛衰を傍らにかすめ過ぎ、あるいはそれに流されるなどして都会にたどり着く。生まれ故郷に残れたのは、農家、漁師の家の長男かそこに嫁いだ娘たち、運よく役場や組合にもぐり込めた者たちくらいのものだ。
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豊も親に手を引かれて田舎をあとにし、多少のコンプレックスを抱え、いつも背伸びをしながら都会に居場所を求めてきたのである。身長公称168cm。だから調子に乗ってくると、ついミッキー・マッケンジーというアメリカの女性と遠距離結婚までしてしまうのである(1982)。しかし4年で破綻。
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13歳で劇団ひまわりに入団し、16歳(1968)でテレビドラマ「バンパイヤ」で主役デビュー。「その人は女教師」で映画デビューを果たしたのは「芦別レジャーランド」がオープンした1970年である。豊、実写とアニメの合成で狼少年に変身する「バンパイヤ」を以前はひどく嫌っていたらしい。いまはどうなのだろう?
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実はこのテレビデビューと映画デビューのあいだに、豊は東京商船大学(現:東京海洋大学海洋工学部)を受験し、失敗している。それまでに海とのかかわりは見られない。劇団ひまわりに入団したのも、たぶんあとづけだろうが、「テレビという箱のなかに入ってみせる」と思ったからだそうだ。豊、夢見がちな少年だったわけである。
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1989年、最初の結婚が破綻して3年目、生まれ故郷の芦別に「北海道大観音」像が建ったその年に、豊は東京吉祥寺生れの都会の娘、伊藤蘭(60)と結婚する。高橋ジョージ(56)も同様だが、豊はこれで都会人になりおおせたと我知らず安堵したことだろう。東北出身のジョージが三船美佳となかなか別れたがらないのもこれだと思う。いまさら離婚なんて半生の全否定だもの。
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夢見がちな少年はいま62歳になり、関係者からは“天皇”と畏れ揶揄されるほどの役者になった。それは遠く北海道で風化がすすむ「北の京・芦別」から見ればまるでお伽話である。豊が演じる杉下右京もまた、リアリティを脱ぎ捨てたお伽話の世界の住人である。
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このお伽話がいつまで続くのか。役者水谷豊はどこへゆくのか。トンガリゆたか期ファンの私としては、お調子こきこきは映画「王妃の館」までにしてもらいたい。杉下右京は人物造形が薄っぺらなぶん、ドラマとしての収拾はつけやすいはず。
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私としては「傷だらけの天使」の老人バージョン、リブートを観たい。萩原健一まだ生きてるし。本気でかかれば奇跡の作品になる。ぜひ、マジで豊、お願い。 (了)





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