2015年6月17日水曜日

無事これ名馬って……。アルフィーはデビュー40周年だったのかあ




ジ・アルフィーが昨年デビュー満40年を迎えた。スゴいのか? スゴいのだろう。しかしなんだか全然スゴくないような気もする。たぶんそれはこの40年間が経済を中心に回る比較的なだらかな時代であったからだ。またアルフィー自身も突出したピークや大衆音楽史的な、記念碑的作品をもたなかったから、ということもあろう。だからなんとなく、要領よく生き延びたね、という印象なのである。


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キャリア40年の大ベテラン。大ベテランには陥りやすい危険な落とし穴があって、それは自己パロディ化である。知らず知らず自分自身のパロディを演じてしまうのである。若いころの自分を再現しようと過去の自分自身を模倣することは、すなわちかつての自分自身への批評行為である。しかも視聴者はごくわずかなタイミングのズレやスピードの衰えも見逃さないから滑稽さが増す。あるいは存在があまりに時代に密着してあると、その時代から切り離されただけでパロディの色あいを帯びることもある。


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具体例はそれこそ山ほどだが、見るところ森進一はコロッケがやるよりも数段激しい自己パロディと化しているし、郷ひろみもたいへんである。あと速攻全面謝罪で青春ゴッコの終わりを告げたサザンオールスターズも、そろそろ自己パロディの香りを漂わせはじめた。そしていま最も悲惨なかたちで自己パロディを演じているのが松任谷由実と桃井かおりである。表現者としての欲望とファンのシアワセがすっかり離ればなれである。


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ところがキャリア40年のジ・アルフィーには、テレビで観る限り、自己パロディの気配がないのである。それではジ・アルフィーはいつもリアルタイムなバンドなのか? 転がる石に苔はつかないってヤツか? それほど激しく変化してきたふうにも見えないし、昔の曲だってよく演る。フォークからプログレまでの幅広い音楽性があるからか? いやいやジ・アルフィーに音楽性とは野暮というものである。つまりジ・アルフィーはもともとパロディなのである。幽霊の幽霊がいないように、パロディのパロディもまたありえない。




ざっくり高見沢俊彦(61)はレッド・ツェッペリンのパロディだし、坂崎幸之助(61)はジョン・デンバーあたりのパロディ、よくわからない桜井賢(60)はマカロニほうれん荘のパロディだ。高見沢俊彦はクロスドレッサーのパロディでもある。窪んだ目は宜保愛子か間寛平でもある。音的には、そのときどきサイモン&ガーファンクルからヴァン・ヘイレン、イエスまで幅広く取り揃える。この雑多な模倣と混淆は、しかし日本の大衆音楽の本質なのである。民謡のほかに生活の音楽をもたなかった日本人が自分たちの流行歌を求めれば、とっつきは憧れの欧米や大陸の模倣から入るしかない。



ジ・アルフィーが森進一にも松任谷由実にもならず、かといってポカスカジャンにもならずにすんだのは、徹底して無自覚、無節操なパロディのたまものである。それは脱亜入欧、富国強兵の時代のパロディを演じるただいま現在の日本の姿とダブるのである。   (了)


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