2015年6月5日金曜日
言葉をたいせつにしまつ
テレビのニュース番組を見ていて、やはりというかどうしても違和感があるのが、いい回しである。言葉は時代とともに変るものであるから、それについていけない私は年寄りということだろう。年寄りでけっこう。ウザくてたまらないのである。
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「食べることができるんですねえ」はひと昔前「食べられます」だった。文字数にして倍以上に増えている。時間の制約のなかではかえって不利になっているのである。しかしながら天下のNHKでさえ、この態の話し方が頻出するのである。ったくウゼエ。
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なぜこんなことになってしまったのかと思うに、リズム感が欧米化、なのだろう。「食べられます」はゆったりした2拍子、「食べることができるんです(−ねえ)」は4拍子で取ることができるんですねえ。
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それと「ことができる」に限れば、すなわち「Cotoga Dekiru=Can Do」で、イメージ上だが、文章的にも英文と重なってくる。日本語が構造変化を起こして欧米化しているのである。な、ジョイマンみたいなラップにもいい感じじゃね?
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ほんとうに、私としては「ことができる」と、取材VTR前の「〜に密着しました」「〜とは?」などの飽き飽きするほどの常套句の多用、それから「なかはジューシー、外はパリパリ」が消えてくれることを心底願う。消してくれればずっとその局だけを見続ける約束ができるくらいだ。
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日本語の欧米化でもうひとつ見逃せないのがJ-POPである。まあ、J-POPといっている段階で文化的に壊滅的大敗北を喫しているわけではある。とにかくあの巻き舌というか、たとえば「ウンコ」を「ウルンコウ」にしてしまう「R」と「U」のつけ足しである。ならば、それで「瓜 売り売り歩く 瓜売りの声」をやってみろといってやりたいくらいのものである。とくに最近の中村雅俊に。
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この疑似英語的日本語の創始者は桑田佳祐(59)である。佳祐率いるサザンオールスターズが「勝手にシンドバッド」でデビューしたのが1978年であるから、すでに37年の歳月を重ねているのである。
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つまり「ユー、ウルンチオケー?」などといい出しかねないモムとダッドのあいだに生まれ育ったキッドが、またキッドをプッシュしてしまう状況なのでR(by嵐山光三郎)。
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だからどうしたといわれれば、私はもう面倒くさいし、いっそ舌を噛み切って死のうか、と思うのである。藪からスティックですまね。(byルー大柴)。 (了)
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