自宅から徒歩圏内にスーパーマーケットが5店ある。そのうちどういうわけか、互いに最も接近している2店が、いわゆる高級店と激安店なのである。5店のうちのピンとキリが隣りあっている。そして明らかに客層が違う。
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高級店のほうは、お約束通り、身だしなみ整えブランドバッグなどを下げている。激安店はジャージに正体不明の財布、あるいはクラッチバッグひとつである。そして男女ともに頻繁に体のどこかしらを掻く。
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しかし最もいまいましいのは、高級店の客のほうが一見して高身長なのである。激安店の客の多くは低身長、しかも小太りである。つまり、激安店の客がなにかのはずみで大金を手にしても、すぐには高級店にはなじめないという事態が起きているのである。
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商品の半分程度は高級店も激安店も同じである。しかし陳列のしかたはまったく違う。激安店では商品の入ったダンボールを重ね置きしてそのまま開封、陳列していることがよくあるが、高級店でそんな光景を目にすることは絶対にない。
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値段の表示も違う。高級店では小さなデジタルディスプレイ、激安店では黄色のザラ紙に手書きである。ときどき朱でグルグルと渦巻きまで書いてある。そして店のあちこちが絶対的に狭い。
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環境によって人は変わるというから、こんな激安スーパーの店構えが低身長小太り族を生み出したのか? そんなわけはない。わけはないがしかし、格差の固定化がすすみ、階級社会、身分社会が再構築されて、とにかく体のできまで違ってきているのである。
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そこで、問題の「貧乏なのにデブ」である。しかし近所のスーパーマーケットでの観察によるかぎり、いまや様相は一変していて「貧乏だからデブ」なのである。
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したがって、「貧乏人のくせして太っていて恥ずかしくないのか!」という罵倒は的外れである。「そんなにデブだと貧乏があからさまで恥ずかしくないのか!」あるいはもっと簡潔に「貧乏臭い=デブ臭い!」に変えてもらわねばならないのである。
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デブすなわち貧乏という時代がついそこまできているのである。いままで貧乏と低身長とデブはそれぞれ独立した弱点であったが、ついにそれらが統合されるのである。当事者として気分的にはいささかラクではないか? そうでもないか。
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しかし一方で、金持ち、高身長、細身というアッパーの3要素は統合されることなく、そのまま維持される。デブ連中は十把一からげでかまわないが、アッパーにはアッパー内部での熾烈な闘いがあるのである。ご苦労さまなことである。
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階級間には対立があるはずだが、しかしデブ階級とアッパーは共存する。デブ階級がおとなしいからではなくて、自分がデブ階級だと自覚している者がいないからだ。しかし自覚なきデブ階級はアッパーからの脱落者を呑み込み、また旺盛な繁殖力をもって確実に増え続ける。
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そしていつの日かデブ階級の丸々としたからだが激安店の狭い通路を埋め尽くし、路上に溢れ、高級店にも入り込むだろう。デブ階級の春である。
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いまやネオ中流などとよばれるようになったデブ階級は、あいかわらず段ボール箱に首を突っ込み、競って特売品をあさる。デブ階級でいることも案外たいへんなのである。
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通常の献立用の食品のほかにインスタント食品なども大量に買い込まなければならないし、消臭剤や制汗剤はデブ階級にとって通年の必需品である。当然酒は毎日飲む。水もお茶もコーヒーも飲む。肝臓の薬、胃薬も飲む。ダイエット飲料も飲む。この泥縄式 on 泥舟とでも呼べそうな消費習慣がネオ中流=デブ階級の最大の社会貢献である。
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そしてやがて世の中は、そんな圧倒的多数のネオ中流=デブ階級と、もともとスーパーマーケットなどでは買物をしない、ごく少数のアンタッチャブル=不可触“選”民だけになってしまうのである。選民独裁である。それも面倒くさくなくていいかもね、などとうそぶくおまえは、この国の名前だけの主権者にしてものいわぬ大衆、ただ食って太るだけのサイレントデブなのである。(了)
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